映画監督の伊丹十三さんは多くのエッセイをお書きになっています。その中には子育てに関するものもたくさんあります。今日はその中のひとつをご紹介します。
以下一部抜粋(『ぼくの伯父さん』より)
・・・さて、育児というものは、日日のこまごました営みでありますからして、とかく、その問題の矮小さにとりまぎれて問題の根本を見失い勝ちである、ここは一番大方針を立てねばならぬ、というので、われわれ夫婦は日夜語り合って、子育ての大方針を「独立自尊」ということに決定した。つまりですね、子供が30歳ぐらいになった時にだね、自分の力で物を考え、自分の力でこの世に生きて行けてだね、なおかつ「ああ、俺はこの世に生まれてきてよかったな、俺は俺でよかったな」と思うことができるようになる、その基盤を作る手助けをする、というのが主眼でありますからして、そういう照準のもとにすべてを考えて行く。・・・・
1960年代のエッセイですが、ほとんど古さを感じさせません。
まず親が教育方針を決め、人生における重要な決断から日常の枝葉末節なことまで、その方針に従って子育てをする。そうすれば、大きくぶれることなく子育てを進められる、ということなのだと思います。
皆さん、意外と行き当たりばったりで子育てをしていませんか?
例えば、学校選び。公立にするか私立にするか、大学に行くか専門学校にするか。塾や習い事はどうするか。
習い事はできるだけ早く始めた方がいいらしい?
公立は受験には向かないらしい?
塾は個別がいいらしい?
子育ては選択の連続です。その都度、「らしい」につられて選択を続ければ、一貫性のない子育てになって子供は混乱するばかりです。
もちろん、子育ては他人が口を出すものではありません。人がどんなにとやかく言おうとも、すべてその責任は親にかかっているのですから。
しかし、20歳を過ぎて、親の言う通りにするんじゃなかった、こんな人生を歩むつもりじゃなかった、なんて自分の子供に言われたら、どうしますか?
そうならないために、子供が小さいうちに親が教育方針を考え、その方針に基づいて行動した方がよいでしょう。ある時期が来れば、子供は必ず反抗します。でも、これは自立への正しい反応と見て下さい。どうしてもうまくいかなければ、途中で教育方針を修正すればいいのです。
「うちはお金がないから、高校までしか出せない。だからお前はそれまでに自分でお金をお稼げるようになってくれ。」
これだって立派な教育方針です。
他の家庭と比べても仕方ありません。
いわゆる「ヨソはヨソ、ウチはウチ」なのです。家族の中で解決するしかありません。
ところで、
伊丹家の「独立自尊」という教育方針、
的確だと思いませんか。
フランス通でも有名な伊丹さんですから、
フランスの影響があるのかもしれません。
一般的に、フランス人は子供の躾を厳格に行うと言われています。一人の人間として、しっかりとした意見が言える人間になってもらいたい、つまり、個人として、社会人として自立して欲しいという意識が日本人より強い、そういうことなのかもしれません。
伊丹さんは、幼い時に映画監督であった父を亡くしています。本人曰く、「父がいなかったことは自分の人格形成において10年を無駄にした。」とあります。
文字通りとれば、父の立派な教育方針に従うことができればこんなに紆余曲折せずにもっと楽に今の自分にたどり着けたのに・・・、もう少し深読みすれば、反面教師であってもいい、面と向かって価値観をぶつけ合い、乗り越える相手が欲しかった・・・、ということでしょうか?
様々な職業をこなしながら、最終的に父と同じ映画監督になった伊丹十三。ダンディズムを追求し、「男とは、父とは、」を考え抜いたのは、乗り越える前にいなくなってしまった父の存在が大きかったのでしょう。
教育方針を考えることは、自分の中の潜在意識をあぶり出す作業なのかもしれません。
ちなみに、伊丹十三さんは、自分の長男に父と同じ「万作」という名前つけています。感慨深いですね。
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