近年カツラ考 | さりげないわざとらしさ

近年カツラ考

『近年カツラ孝』

寒い冬でも『カツラ』の存在がますます気になる。
日本のカツラ事情は高度成長期をきっかけに大きく変貌を遂げた。
それまでのカツラは、芸術的意味合いが強く、俳優が劇を演じる際に用いられたり、女性が結婚式等で利用したりということが多かった。それが、経済の急成長とともに、男性の『ハゲ隠し』という発想が生まれ、その目的のための装用が多くなった。
 では、なぜ『ハゲを隠す』という発想が生まれたのか。
戦前、戦中の日本では、『ハゲは男の勲章』という運動の下、男らしさの象徴として表現され、また女性の中にも『ハゲ好き』『ハゲ狂い』というものも多く存在した。つまりハゲはモテていたのである。しかし、現在の日本はハゲを嫌う傾向が強く、『ハゲおやじ』『このハゲが』など、一般的に悪い意味に使われる言葉も多い。
ここまで劇的にハゲの印象を変えたのは、やはり加山雄三の登場によるところが大きい。加山雄三は言うまでもなく、若大将であり、戦後の世の女性を痺れさせた男である。加山の登場により、女性たちの間に、「やはりハゲてないほうがいいかも…」という新たな感覚が生まれ、いわゆる『ノンハゲ派』の台頭が目立つようになり、それがそのまま高度成長期、そして現在に至っていると言えよう。
それまでモテていたハゲの男性たちは、当然加山を憎み、全国に「加山がナンだ連盟」を組織し、一大キャンペーンを展開したが、時すでに遅く、その後ハゲ男のモテる機会は1/70までに減った。
こうして昭和30年代後半、『ハゲ=モテない』という公式が成立したのである。
ハゲを恐れた世の男性陣は、毎夜流れ星に向かい、「どうかハゲませんように…」という願いを込めるようになった。
それでも所詮人の子である。ハゲる人はハゲる。「ハゲはヤだな」「ハゲをどうにか隠したいな…」「モテたいな…」そう思ったハゲ男の一部は、笹の葉でハゲを隠すようになった。これがすなわち『男性用カツラの誕生の瞬間』と言っても過言ではないであろう。
その後、男性用カツラは脅威の進化を遂げ、笹の葉→ススキ→稲穂→芝→馬毛と時代とともにその材質を変え、物が豊かになるに連れ、その需要も増え、『アデランス』『アートネイチャー』に代表されるカツラ製造業という新たな職種を生むまでに発展したのである。
物を製作する業者が増えると、当然『良い品』『悪い品』というものが現れてくるのであって、粗悪品を扱う業者も増えてくる。
カツラの場合もまさにそれで、近年は、大きく分けて2つのパターンに分類されるようになった。すなわち①分からないタイプ(良い品)と②バレるタイプ(悪い品)である。
①の場合は、ここ最近の科学技術の目覚ましい発達により、見た目には全く分からないような物も数多く出回るようになり、そのままシャンプーもできるという優れものも登場してきている。(風呂に入るときは外してもよいと思うのだが…)
ところが、問題は②である。頭に乗っかっていますというような『どんぶりフタ型』の物や、耳から下は本物で白髪まじり、上は真っ黒ヅラといった『急速ツートンカラー調』、また電車内で首を横に向けて寝ていたため、ズレてしまった、ズバリ『横ズレ型』というものも根強く登場し続けている。
言うまでもなく、①のほうが値段は高い。質の良いものになると②タイプの数十倍の値段がすることもざらである。従って、より安い物を買うという心理は分かる。しかし、あまりにもカツラ過ぎというのはいかがなものか。当人はバレていないと考えるのであろうか。またおそらく、安価な物は通気性が悪いため、炎天下の中では、頭皮に大変な悪影響を与えること必至である。
こうした安価なカツラは、自らの体を傷つけ、より惨めにさせるのはもちろん、「果たしてつっこんでよいものかどうか…」といった、他者への余計な心配、すなわち精神的苦痛をも増大させると言えよう。
『つけるなら ケチることなく 高価なものを』

12月、港の見える小さな旅館にて 
              (週刊『近代日本史』新春特大合併号より)