あの日を振り返って…。

 

結果を聞きに来る時は、

自分以外の方1人付き添いが大丈夫です。

朝7時半という早い時間ですがしっかり食事してきて下さい。。

 

っと。。!?

 

何故はてなマークはてなマークはてなマークわざわざ、そんな事を伝える。。。??

 

という疑問が残る予約確認の連絡が前日に入り…。

 

嫌〜な予感…ニヤリ

 

その日は考えてもしょうがないの分かってはいるが、いまいち気分が晴れず…。

 

で、旦那様数日前から絶対一緒に行くと言ってくれてたので一緒に向かい、

 

個室に呼ばれて、

コンピューター状に通訳さんお願いして、

 

ガーンガーンガーン

 

まさか!? 嘘!? 私のこと!? 

そのまま、私の乳がんの今分かる範囲でのタイプ、今後の各科への予約、予定、流れを説明されていたけど、

実感も無く言われてる事を聞いてるだけといった感じで…。

 

太い乳がんの説明やらが書かれた勿論全部英語の本を頂き…。(今だに殆ど読んでない笑い泣き)

 

ホルモン陽性、HER2 まだ未定、1.7センチのシコリ

 

『小さいシコリだから、

全摘出ではなくて良いし、抗がん剤も必要ないよ。』

 

っとこの時点で言われていた。。

 

今思うと、私が個人的に思うアメリカ特有のポジティブ思考…。

良い方向にしか考えない。。

今この時間さえ気分良く過ごせばそれで良い的な…キョロキョロ

 

今思うと、この時聞いた言葉は、

100%では無い事なのに、(後に抗がん剤治療への迷い、悩む時期がきたから)

ハッキリそんな大切な言葉を発してはいけない、もしくは私みたいなタイプには聞きたく無かった。。

 

確かに癌告知されて動揺していた時期だから落ち着く言葉の1つかもしれないが、

私はその言葉は違うと今も思う…。

日本のお医者さんならそんな言い方しないと思う…。

 

アメリカに住んで10年ちかく、

やはりアメリカの常識、感覚、人々… 

色々な事に嫌な面が見え、

自分の常識というものは本当に自分だけのものなのだと思う今日この頃……。

 

さてさて、そんなこんなで、テンション⤵️⤵️⤵️で帰宅🚗

 

最近何回も病院通いしていた私だから今の状況を娘2人には正直に伝えていたから、

 

上の娘が寄って来て、

どうだった???っと…。

 

「癌だって…。でも絶対治すから…。」っと

 

ここで初めて私の涙がえーんえーんえーんあせる

そして娘も一緒に涙…。えーんえーんえーん

 

子供と旦那様の体調ばかり心配していた主婦の私がこんなに娘達に心配させてしまって、

悔しいやら申し訳ないやら…。

 

その後直ぐ仕事に向かわなければならなく、

1人車の中で、

 『死にたくない…。死にたくない…えーんえーんえーんえーんえーん

と、家族の前では心配してくれてるのが分かりすぎて、

大泣き出来なかった糸が一気に切れ、

涙が止まらなかったあせる

 

職場にはまだ言える心境ではなく、

少し病気の事を忘れられた時間が過ごせて、

帰宅したら、旦那様、ネットで色々調べてくれていて、

次回のアポイントメントまでには質問やらまとめてくれてて、

凄く心強く、彼が居てくれて本当に良かったとドキドキ

 

結婚するまでは

自由に自分のやりたい仕事や趣味ばかりに時間もお金もかけて来た私が、

結婚して、子供が出来て少しづつ

勝手が効かなくなっていったというより、

自然には変化を楽しめ頑張って来れたのもこの家族あっての事で…。

 

感謝しかないなぁ〜っと改めて感じる事になるラブラブ!

 

その後数日して担当医や外科医、遺伝子検査担当者との予約でバタバタし、

夫婦で出かけるなんて殆どなかった今までが、

がっらッと変わり、

コロナの影響でなるべく院内は制限されている状況でしたが、

私の精神面、英語の心配などをする旦那様は、

頑張って許可を取り、全て隣で付き添ってくれていた照れ

 

ここから手術日が決まるまでも、

な〜んか自分の中に癌があると思うと、怖くて怖くて。。

さっさと取ってくれ〜って気持ちでいっぱいでした。

 

でも、そんな簡単な事ではないらしく…。

 

そこからMRI やら温存するか全摘出かの決断をせまられて、

頭も精神的にも毎日毎日疲れてた。

ネットで調べても調べても、

最終的には自分で決断しなきゃいけない…。

結果次第ではもしかして命まで掛かってると思うと簡単な決断ではなかったガーン

 

 

 

こんな日々から今現在は2ヶ月半ほどしかたってないが今はすっかり元気爆  笑

 

人間って凄いチョキ