織田 信長は、比叡山延暦寺を
始め、数々の寺を焼き払い、
血も涙も無い様に、思われていますが、
歴史の事実は違います(;^_^A
当時のお寺の中には、庶民の土地を
安く買い叩き、しかも、
庶民が、商売を始めようとすると、
「場所代を出せ(`_´メ)」
と、高い場所代を取り、商売の利益を
喰っていました(;^_^A
また、勝手に関所を作っては、
「通行料(`_´メ)」
を 搾取して、物品の往来を邪魔し、
それによって、全ての商品の値段が上がり、
インフレの元も、作っていて、
庶民にとっては、目の上のタンコブ(ーー;)
でした(;^_^A
それを見かねた、信長が、
庶民がどこでも、自由に、
「場所代(`_´メ)」
を払わなくても、商売ができる様に、
「楽市楽座(^○^)」
の法を 制定しました(^^)
その信長を 疎ましく思った、
延暦寺等の寺院は、信長の政策に、
反対する行動を起こし、
武装して、抵抗して来たので、
信長は、庶民の生活を護る為に、
「抵抗する、比叡山延暦寺を
焼き払え(`Δ´)」
と、比叡山延暦寺に、火を放ち、
焼き払いました(;^_^A
当時のお寺のお坊さんは、
お坊さんの修行より、戦の鍛練を優先する
「武装集団(`_´メ)」
だったので、その事も、
信長には、
「寺の坊主が、人を助ける為の修行もせずに、
庶民を苦しめるとは、
迷惑千万(`Δ´)」
との、思いがあり、
焼き討ちに、踏み切った様です(;^_^A
結果、信長は、
「坊主殺し(`Δ´)」
の、悪名を被りましたが、
そのお陰で、庶民の生活は、
格段に良くなりました(^^)
なんせ、ヤクザ坊主(`_´メ)を
信長が、追っ払ってくれたのですから(^○^)
これが、歴史の真実です(;^_^A
信長の行動は、偏った伝えられ方を
しているものが、多々あります(;^_^A
信長は、希代の天才だったと、
俺は、思っていますd(^^)
(伊沢 先生のコラムを参照に、
まとめました(^^) )