結局、今何をしても変わらないものは変わらない。
それなら今のままでもいいと思うしかない。
たとえ苦痛を伴っても時間に身を任せる。
時間が経つにつれ何かが変わってくれたならそれでよし。
変わらなければどこかで区切りをつけなければいけない。
それは自分の責任だ。
物事は至ってシンプルに解決できる時もあれば反対に恐ろしく入り組んでいて手の施しようの無い時もある。
後者の場合、正しい解決法なんて探すべきではなくむしろ幾重にも絡まった不正解だらけの紐を一本ずつ紡ぎ出し、いつか正解に辿り着くことなのではないか。
もちろん良く吟味して選ぶこと、そして時間をかけ入念に一本を絞り込むこと。それが一番要求される手段であることは確かである。
しかし、言う程容易くできるものなのか。それは単なる言葉の摩耶化しに過ぎない気がしてならない。
入念に選ぶこと、それはとてつもない思考が要求される。一人でなら尚更のはずだ。そして失敗した責任は全て自分にのしかかる。あれだけ時間をかけ、入念に選んだ結果がこれだ。失敗から復帰するにはとても強いメンタルが必要とされるだろう。
それならば、始めから失敗だろうとわかった上で何回も選んで行った方が効率的で経験にもなる。さらにリラックスして挑むこともできるだろう。
ただし、これはあらゆる物事に対応するかと言えばそうではない。何回でも試みることができる場合もあればチャンスは一回しかない場合だってある。
しかし、それはもはや個人の問題としか言いようがない。
言葉が個人を救うのはほんの僅かなことに過ぎず、そして言葉は問題を解決する時もあればより複雑にしてしまう時だってある。
言い出すときりがない。
とりあえず、以上のことを始めから知っておくことが大切なのだ。
そうすれば最後はなるようになる。
いつだって未来は無責任である。
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