どうも(・∀・)

渡辺よしてる です!!

今回は、「東西ドイツの統一でどうなったか?」をお話したいと思います!


画像はWikipediaより


東西ドイツ統一って言うけど、実際は少し違います。


東西ドイツがあって、ベルリンの壁が崩壊して

新しく「ドイツ」が出来た!

ってイメージ持ちますよね(^^ゞ

実際は「ドイツ連邦共和国」(西ドイツ)「ドイツ民主共和国」(東ドイツ)編入されたんです!!


実は西ドイツって建国の時に「憲法」を作りませんでした!

やがてくる「東ドイツとの統一」
この暁には初めて憲法を持つことにするんだぞ!!

と意識を持っていました。

ですから「憲法」ではなく「ドイツ連邦共和国基本法」と言う名前で一部を改正しただけで、現在も基本法を使っています。

※名前は憲法ではなくても実質的にドイツの憲法として機能しています。

◇統一の流れ
================================
 
1989年

ベルリンの壁が崩壊します。

東ドイツの「ドイツ社会主義統一党」による「国家の指導」を定めた憲法の条項が削除される。

※社会主義国の憲法には支配政党による「国家の指導」が規定されていて、一党独裁体制を取っているのが主流なんです。

1990年

東ドイツで最初で最後の自由選挙が実施され、東ドイツに西ドイツのマルクが導入されます。

東ドイツの人民議会で西ドイツの加盟が決議され、西ドイツに加入し、現在の統一ドイツになりました。

================================


分断国家が統一されて良かった~!!

ってことばかりではないんです(´・ω・`)


東ドイツと西ドイツの経済格差は物凄く大きく、東西ドイツマルクの通貨交換を1:1の割合で行った為に約5000億マルクの損失があったと言われています。

当時の日本円で3兆円以上!!

一気に赤字に転落です。

【東ドイツマルク】


【西ドイツマルク】

※画像はWikipediaより


他にも東ドイツの国営企業が民営化し、どんどん倒産していきました。

「社会主義の時は少なくとも仕事は、あったんだぞ~!」

失業者は増加し、極右政党が移民排斥を訴えるます。
東西ドイツ時代には封印されていたネオナチス思想が格差が残る旧東ドイツで復活。

さらには2007年にドイツで行われた世論調査会社の調査によると「東西に分断されていたドイツの方が良かった」と答えた人が19%、全ての人がドイツの統一を歓迎していないことがわかります。



さて今日はここまで(^^)v

次回も冷戦の話などについて書きたいと思います!!


渡辺よしてる