【上田城】の記事でご紹介しましたが、

「第二次上田合戦」で西軍についた、

真田昌幸と幸村は徳川軍を見事に撃退しました!


が、

結果的に西軍が敗れてしまったので、

昌幸さんと幸村さんは、

紀州九度山(和歌山県九度山町)に蟄居を命じられて、

世間を離れてひっそりと暮らすことになってしまいます。


その住んでいたと言われる場所が、

現在も残っています!



通称「真田庵」!


現在は、

「善名称院」という尼寺になっています。



門や屋根に使われている瓦には、

真田家の家紋である、

「六文銭」と「結び雁金(かりがね)」が!



真田家と言うと、

三途の川の渡し金を表す、

六文銭が有名ですが、

「良い報せを運んでくる」と信じられて縁起の良い、

雁の家紋も使用していました。


おや?この家紋、、、

「関ヶ原の戦い」→「九度山」→「大坂の陣」

の約15年間の幸村さんの境遇を、

偶然にも表しているではありませんか!


和歌山駅から1時間半ほどかかり、

高野山の麓に位置する九度山。



のどかで健やかな良い場所ですが、

天下人の豊臣秀吉の下で働き、

天下の名城・大坂城に住んだ武人の幸村さんにとって、

「ワンチャンあれば、大暴れしたい」

と思わせる場所でもあったのではないかと思います。


そんな時に起きたのが「大坂の陣」!


豊臣家からの大坂城入城の話は、

幸村さんにとって、

まさに良い報せだったに違いありません!


そして、

三途の川をいつ渡っても悔いはない戦い方で、

古今にないような武功を挙げたというわけなわですね!


そんなことを一人考えながら歩く九度山。


楽しすぎる。


幸村さんと共に、

父の昌幸さんもこの地に住んでいたそうなんですが、

残念ながら、

「大坂の陣」の3年前に亡くなっています。


真田庵には、

昌幸さんの墓が建てられています。



個人的には、

真田と言うと昌幸さんが好きでして、

「幸村・隠棲の地」というより、

「昌幸・最期の地」というところに、

一番グッと来ました!


とは言え、

やはり幸村さんは大人気のヒーロー!


境内には、

こんな井戸もあります。



その名も「雷封じの井」!


何でも、

幸村さんがこの屋敷に落ちてきた雷を捕まえて、

この井戸に閉じ込めて、

九度山を救ったんだそうです。


幸村さん、スゴすぎ!(笑)


私のもう一つの趣味であるポケモンで言うと、

特性「ひらいしん」ですね。


この伝承の真偽は置いておいて、

幸村さんが愛されていたことがわかります!


さらに、

真田庵に向かう途中には、

こんなものもあります。





こちらの名前は「真田古墳」!


え?真田の古墳?

昌幸さんか幸村さんを埋葬したもの?


いえいえ、違います。


こちらは、

戦国時代から約1000年前に造られた、

6世紀頃の古墳時代後期の横穴式石室です。


なぜ真田と名がついているかと言うと、

「大坂城への真田の抜け穴」だという、

都市伝説が生まれたからでした!



実際の長さは約3mだそうなので、

もちろん抜け穴ではないのですが、

これまた、

江戸時代からの幸村人気を感じ取れる遺跡です!


さて、

真田庵を訪れる際に是非寄りたいのは、

こちらのお店です!



「そば処 幸村庵」です!



こちらは、

真田の発祥の里である、

長野県上田市で修行を積んだご主人が、

お蕎麦を打っている、

真田ゆかりの絶品お蕎麦屋さんなんです!



どうですかー!


美味しそ過ぎるでしょー!!!


もちろん美味しそ過ぎましたーー!!!!


私が頼んだのは「幸村御膳」!


お蕎麦以外にも、

九度山の名産である柿や、

高野豆腐、柿の葉寿司などが付いてくる、

贅沢な御膳です!


その他にも、

「大助(幸村の息子)御膳」、

「佐助御膳」「才蔵御膳」などがあり、



店内には、

厳めしい甲冑が展示してあります!



平日の昼に訪れたのですが、

店内はかなりの大繁盛!


ランチタイムから少し時間をずらして行くと、

良いかと思います~。


また、来年以降に、

再び九度山へ訪れた時に楽しみなのがコチラ!



何の工事現場かと言うと、、、



「真田ミュージアム」です!



こんな感じで完成するみたいなんですが、

どういったものが展示されるのか、

非常に楽しみです!


大河ドラマ「真田丸」だと、

おそらく中盤以降に登場すると思われる、

幸村ワンチャン待ちの地・紀州九度山!


史跡巡りプランで言うと、

和歌山城→九度山→高野山

なんかがオススメです!


ぜひ訪れてみてくださいませ~~。




またね。