真田幸綱、昌幸、幸村の、
真田家三代が仕えた武将と言えば、
“甲斐の虎”と称された、
戦国屈指の名将・武田信玄です!
信玄さんは、
まさに野心の権化のごとく、
甲斐(山梨県)から信濃(長野県)を席巻して、
上野(こうずけ=群馬県)や、
駿河(静岡県)なども支配下に収め、
後の江戸幕府初代将軍の徳川家康を、
「三方ヶ原の戦い」で散々に打ち破るなど、
とにかく戦国最強クラスの武将でした!
その信玄さんの、
生涯唯一の軍配違い(作戦ミス)と言われ、
大敗北を喫したのが、
ここ「砥石城(といしじょう)」でした!
このお城は、
「真田氏本城(←前回ご紹介!)」から、
眺められる位置にあります。
そういった位置関係にあることから、
砥石城は元々、
真田家の支城ととして築かれたそうです。
しかーし!
当時の真田家の当主だった、
真田幸綱(幸隆とも:幸村の祖父)は、
砥石城を奪われ、
さらに、
その他の真田氏本城なども失い、
真田の郷を追われて、
上野(群馬県)に亡命した歴史があります。
真田家を亡命に追いやった相手とは、
村上義清(むらかみよしきよ)という武将でした。
この村上義清、
マイナー武将なんですが、
めちゃくちゃ強いんです!
何を隠そう、
武田信玄を2度も破ったという、
とんでもない戦績を持っているんです!
1度目は「上田原の戦い」、
そして2度目は、
この城で起きた「砥石城の戦い」、
別名「砥石崩れ」でした!
大軍を擁した信玄さんは、
義清さんが籠城する砥石城を、
1ヶ月も包囲したんですが、
逆に反撃にあって、
大敗北を喫してしまったんです!
前書きが長くなってしまいましたが、
砥石城に実際に行ってみると、
「そりゃあ、信玄さんも崩れなさるわ!」
と思わずにはいられないお城でした。
だって、
ひたすらハードな山登りなんですもの!
登って!
登って!!
登って!!!
まだまだ登って!!!!
まだまだまだ登って!!!!!!
着いたぞ~~~~!!!!!!!
良い景色~!
急な坂道を約30分登って足はパンパンです!
ようやく登った先に、
めっちゃ強い村上軍がいるんですから、
武田軍もそりゃ崩れますよ!
ただこれで、
砥石城は終わりじゃありません。
砥石城というのは、
尾根伝いに分かれた小さなお城が、
3つ合体した三位一体な山城なんです!
手書きのザックリ縄張りをご参考にどうぞ!
今たどり着いたのは、
途上ルートを登り切った「砥石城」の部分です。
この先に、
「本城」「桝形城」と、
呼ばれる郭が広がっていきます。
まずは、
砥石城と本城の間に、
大きな土塁×堀切が見られます!
↑土塁×堀切 アップ
↑本城から砥石城を望む
本城の方へ進んでいけば、
郭が段々に築かれているのがわかります!
↑本城 大手口
郭の繋ぎ目には、
道をウネウネ曲げた
桝形のような跡が所々残されています!
また、
戦国時代初期の東国の山城ですが、
石垣も見ることができました!
ないと思ってた時に現れる石垣って、
かなり興奮します!
「やだ何、あるの~~?」
ってなるんですよね。
さて、
特に開けた部分に出ると、
どうやらここが本城の中心部分だそうです。
さらに進むと、
「あら、良い空堀!」
と口にしてしまうような、
ワクワクな遺構に遭遇します!
良いですね~~~~。
さらに、
この先にある桝形城に向かうのですが、
ここの尾根は特にスゴいです!
この崖、
落ちたら最期です・・・!
そしていよいよ、
砥石城の最高地点である、
標高800mの桝形城に到着です!
名前の理由は、
この郭の入り口の桝形です!
ウネっとしているのがわかります!
さらに、
桝形城の先端部分に向かってみると、、、
端っこまで丁寧に備えられた、
ゴリっとした空堀の先に、
パーッと景色が広がっていきました!
街道を挟んで、
真田氏本城を望むことができます。
この山城は、
真田幸綱から村上義清に移り、
武田信玄に大黒星をつけたわけなんですが、
その後、
幸綱さんは砥石城を落城させて、
再び手中に収めました!
この難攻不落のお城を、
幸綱さんはどのように落としたのか。
それは、
真田家お得意の調略によってでした!
詳しい調略方法はわからないようで、
当時の史料には、
「砥石ノ城 真田 乗取」とのみ、
登場してくるそうです!
果たして、
どんな策で乗っ取ったんでしょうね!
ん?
あれ?
幸綱さんの調略は置いておいて、
そういえばさっき、
世にも不思議な光景を目にしたような気が……
えぇ?
嘘だろ……
ここは武田信玄も落とせなかった、
標高800mにもなる山城のはず……
急な崖と階段、
登るのも大変だった……
なのに、
なぜ山頂にあるんだ、、、
原付がーーー!!!!!!!
何だこれ!!!
いやマジで、
ホラーレベルで怖いよこの状況!!!!
とにかく、
最悪の事態を予想して、
周囲に人を求めました。
すると!
向こうから人が歩いてきます。
「あ~、無事で良かった~~!」
と思うとともに、
我が身の不安を覚えました。
「お、襲われるかも…」
全身黒のウインドブレーカーに、
小さめのリュックサック、
40歳前後の中肉中背の男性が、
何かをお腹に抱えながら、
ゆっくりと迫ってきます……
「一体何を抱えてるんだ…。
まさか、その抱えているもので私を………」
いよいよすれ違います……
ゴクリっ。
私はすれ違う瞬間に、
男性が抱えているものを目撃しました……
ま、ま、
マツボックリでした!(笑)
それも大量の!
大量のマツボックリを、
服を使ってお腹に大量に抱えていました!
ああ、ホッ~~とした~~~。
おそらく、
シンプルに、
変わった御仁だったようです(笑)
どうやら、
私が登ったルートとは、
別のルートがあるみたいで、
変わった御仁は、
大量のマツボックリをヘルメット入れに入れて、
原付に乗って去っていきました。
いや!
に、しても、
この道も険しすぎるでしょ!!
※御仁は特別な訓練を受けています。
良い子は決して真似しないでください。
あ~、怖かった~~~~~。
またね。
真田家三代が仕えた武将と言えば、
“甲斐の虎”と称された、
戦国屈指の名将・武田信玄です!
信玄さんは、
まさに野心の権化のごとく、
甲斐(山梨県)から信濃(長野県)を席巻して、
上野(こうずけ=群馬県)や、
駿河(静岡県)なども支配下に収め、
後の江戸幕府初代将軍の徳川家康を、
「三方ヶ原の戦い」で散々に打ち破るなど、
とにかく戦国最強クラスの武将でした!
その信玄さんの、
生涯唯一の軍配違い(作戦ミス)と言われ、
大敗北を喫したのが、
ここ「砥石城(といしじょう)」でした!
このお城は、
「真田氏本城(←前回ご紹介!)」から、
眺められる位置にあります。
そういった位置関係にあることから、
砥石城は元々、
真田家の支城ととして築かれたそうです。
しかーし!
当時の真田家の当主だった、
真田幸綱(幸隆とも:幸村の祖父)は、
砥石城を奪われ、
さらに、
その他の真田氏本城なども失い、
真田の郷を追われて、
上野(群馬県)に亡命した歴史があります。
真田家を亡命に追いやった相手とは、
村上義清(むらかみよしきよ)という武将でした。
この村上義清、
マイナー武将なんですが、
めちゃくちゃ強いんです!
何を隠そう、
武田信玄を2度も破ったという、
とんでもない戦績を持っているんです!
1度目は「上田原の戦い」、
そして2度目は、
この城で起きた「砥石城の戦い」、
別名「砥石崩れ」でした!
大軍を擁した信玄さんは、
義清さんが籠城する砥石城を、
1ヶ月も包囲したんですが、
逆に反撃にあって、
大敗北を喫してしまったんです!
前書きが長くなってしまいましたが、
砥石城に実際に行ってみると、
「そりゃあ、信玄さんも崩れなさるわ!」
と思わずにはいられないお城でした。
だって、
ひたすらハードな山登りなんですもの!
登って!
登って!!
登って!!!
まだまだ登って!!!!
まだまだまだ登って!!!!!!
着いたぞ~~~~!!!!!!!
良い景色~!
急な坂道を約30分登って足はパンパンです!
ようやく登った先に、
めっちゃ強い村上軍がいるんですから、
武田軍もそりゃ崩れますよ!
ただこれで、
砥石城は終わりじゃありません。
砥石城というのは、
尾根伝いに分かれた小さなお城が、
3つ合体した三位一体な山城なんです!
手書きのザックリ縄張りをご参考にどうぞ!
今たどり着いたのは、
途上ルートを登り切った「砥石城」の部分です。
この先に、
「本城」「桝形城」と、
呼ばれる郭が広がっていきます。
まずは、
砥石城と本城の間に、
大きな土塁×堀切が見られます!
↑土塁×堀切 アップ
↑本城から砥石城を望む
本城の方へ進んでいけば、
郭が段々に築かれているのがわかります!
↑本城 大手口
郭の繋ぎ目には、
道をウネウネ曲げた
桝形のような跡が所々残されています!
また、
戦国時代初期の東国の山城ですが、
石垣も見ることができました!
ないと思ってた時に現れる石垣って、
かなり興奮します!
「やだ何、あるの~~?」
ってなるんですよね。
さて、
特に開けた部分に出ると、
どうやらここが本城の中心部分だそうです。
さらに進むと、
「あら、良い空堀!」
と口にしてしまうような、
ワクワクな遺構に遭遇します!
良いですね~~~~。
さらに、
この先にある桝形城に向かうのですが、
ここの尾根は特にスゴいです!
この崖、
落ちたら最期です・・・!
そしていよいよ、
砥石城の最高地点である、
標高800mの桝形城に到着です!
名前の理由は、
この郭の入り口の桝形です!
ウネっとしているのがわかります!
さらに、
桝形城の先端部分に向かってみると、、、
端っこまで丁寧に備えられた、
ゴリっとした空堀の先に、
パーッと景色が広がっていきました!
街道を挟んで、
真田氏本城を望むことができます。
この山城は、
真田幸綱から村上義清に移り、
武田信玄に大黒星をつけたわけなんですが、
その後、
幸綱さんは砥石城を落城させて、
再び手中に収めました!
この難攻不落のお城を、
幸綱さんはどのように落としたのか。
それは、
真田家お得意の調略によってでした!
詳しい調略方法はわからないようで、
当時の史料には、
「砥石ノ城 真田 乗取」とのみ、
登場してくるそうです!
果たして、
どんな策で乗っ取ったんでしょうね!
ん?
あれ?
幸綱さんの調略は置いておいて、
そういえばさっき、
世にも不思議な光景を目にしたような気が……
えぇ?
嘘だろ……
ここは武田信玄も落とせなかった、
標高800mにもなる山城のはず……
急な崖と階段、
登るのも大変だった……
なのに、
なぜ山頂にあるんだ、、、
原付がーーー!!!!!!!
何だこれ!!!
いやマジで、
ホラーレベルで怖いよこの状況!!!!
とにかく、
最悪の事態を予想して、
周囲に人を求めました。
すると!
向こうから人が歩いてきます。
「あ~、無事で良かった~~!」
と思うとともに、
我が身の不安を覚えました。
「お、襲われるかも…」
全身黒のウインドブレーカーに、
小さめのリュックサック、
40歳前後の中肉中背の男性が、
何かをお腹に抱えながら、
ゆっくりと迫ってきます……
「一体何を抱えてるんだ…。
まさか、その抱えているもので私を………」
いよいよすれ違います……
ゴクリっ。
私はすれ違う瞬間に、
男性が抱えているものを目撃しました……
ま、ま、
マツボックリでした!(笑)
それも大量の!
大量のマツボックリを、
服を使ってお腹に大量に抱えていました!
ああ、ホッ~~とした~~~。
おそらく、
シンプルに、
変わった御仁だったようです(笑)
どうやら、
私が登ったルートとは、
別のルートがあるみたいで、
変わった御仁は、
大量のマツボックリをヘルメット入れに入れて、
原付に乗って去っていきました。
いや!
に、しても、
この道も険しすぎるでしょ!!
※御仁は特別な訓練を受けています。
良い子は決して真似しないでください。
あ~、怖かった~~~~~。
またね。