豊臣秀吉の天下統一は、
1590年(天正18年)の、
「小田原攻め」で北条氏を滅ぼして、
達成されたと言われております。
その「小田原攻め」のキッカケを作ったのが、
上野(こうずけ)にあった小さな山城の、
名胡桃城(なぐるみじょう)でした!
築いたのは、
真田昌幸(幸村の父)!
元々、名胡桃館という、
小規模な城郭があったのですが、
1579年(天正7年)に昌幸さんが、
得意の調略を使って攻略して改築を加え、
名胡桃城を築きました。
そして、
このお城を足掛かりに、
翌年の1580年(天正8年)に、
沼田城(←前回ご紹介!)を、
これまた調略によって、
戦わずして落城させました。
地元の埼玉県熊谷市に、
比較的近いのですが、今回が初登城!
どんな山城なんだろ~~、
と非常に楽しみだったのですが、、、
「保存整備のため見学できません」
ノーーーーーー!!!
今年いっぱい整備を行っているそう!
お勤めご苦労様です!
さて、
城内には入れませんでしたが、
周囲の堀を見るだけでも、
その堅固さを想像することができます!
見事な空堀です!
お城めぐりに、
整備や修理は付き物なんですが、
キレイに整備されたてだったり、
普段見られない、
地下構造なども見られたりするので、
「むしろチャンス!」、
だったりするんですよね。
名胡桃城の縄張り図(城の間取り)は、
こんな感じ!
左の「般若郭(はんにゃくるわ)」が、
元々あった名胡桃館だそうで、
昌幸さんが改築したのは、
右の「本郭(ほんくるわ)」を中心に、
連郭式(れんかくしき=縦長)に、
広がっている部分だそうです。
この縄張り図は、
お城の入り口部分に、
デカデカと書かれていて分かりやすく、
城めぐりが何倍も楽しくなるのですが、
さらに、
隣接した「名胡桃城址案内所」に入ると、
さらに何倍も楽しくなります!
ここには、
名胡桃城を鳥瞰できるジオラマや、
秀吉の天下統一の最後の総仕上げとなった、
「小田原攻め」に関連した、
秀吉や昌幸さんなどに関する、
貴重な書状の写しが展示されています!
また、
案内所に置いてあるパンフレット類も、
非常に充実!
色々な種類のパンフレットが、
4、5冊ほど置いてありました。
これがどれも趣向が違って、
とても分かりやすい!
中でも、
「小田原攻め」のキッカケとなった、
「名胡桃城事件」をまとめた、
8コマ漫画がオススメ!
いまいち分かりづらい一連の事件が、
とても良くまとまっております!
事件の内容を、
真田家視点の歴史背景から、
ザックリ説明しますと、、、
-------------------------------------------------------
①信長による「甲州征伐」で武田家滅亡
↓
②主君の武田家を失った真田家
⇒織田家の滝川一益(かずます)に従う
↓
③「本能寺の変」
⇒真田家は主君を再び失いピンチ!
↓
④真田家、主君を短期で変えまくる
⇒上杉・北条・徳川と主君を変えて見事に生き残る
↓
⑤上野(群馬県)の沼田は誰のもの!?
⇒真田と北条が大揉め
↓
⑥徳川家(←この時の真田家の主君)がジャッジ!
家康「昌幸、北条に沼田を譲れ!」
昌幸「自分で取った土地だ!家康に言われる筋合いはない!渡すものか!」
↓
⑦真田家が徳川から上杉に鞍替え!
⇒怒った家康が真田家を攻める(が、敗北)
■1585年(天正13年)
「第一次上田合戦」 ○真田vs徳川●
↓
⑧真田家はラスボスの秀吉に接触!
↓
⑨いよいよ秀吉が登場!
秀吉「揉めに揉めとるね!天下人のわしが裁定を下す!利根川から東が北条!西が真田!わかった!?あ、あと惣無事令出したから!」
・東⇒沼田領の三分の二⇒「北条家」
・西⇒沼田領の三分の一⇒「真田家」
※惣無事令=大名同士の私闘を禁止
↓
⑩これで一件落着と思いきや……
北条家臣の猪俣邦憲(いのまたくにのり)が、秀吉のジャッジと惣無事令を守らず真田家の【名胡桃城】を攻め落とした!
※『名胡桃城事件』!!!!
↓
⑪秀吉激怒!
秀吉「北条家を攻めるぞ!小田原攻めじゃ~!!」
↓
⑫北条家滅亡!秀吉、天下統一達成!
------------------------------------------------------
と、いうわけでございます。
こういった背景があるため、
「名胡桃城は歴史を動かした」
と評されるんです!
また大正時代には、
大河ドラマ「八重の桜」で、
中村蒼さんが演じた、
思想家で歴史家でもあった、
徳富蘇峰(とくとみそほう)が、
名胡桃城の歴史的意義に注目して、
「名胡桃城址之碑」を揮毫しています!
その文字は、
そのまま石碑へと刻まれました!
残念ながら、
現物は見られなかったので、
パンフレットの表紙から拝借!
この石碑はかなり大きいんですが、
何と、文字は原寸大だそうです!
蘇峰さんが、
名胡桃城の歴史的意義を表現するために、
とにかくどでかく書いたと言います。
そして、
「名胡桃城はスゴい城だから、私が書いたものより小さくしたらダメ!」
と言ったために、
そのままの大きさで石碑にしたそうです!
また来年、
整備された名胡桃城と石碑を、
観に行きたいと思います~~。
またね。
1590年(天正18年)の、
「小田原攻め」で北条氏を滅ぼして、
達成されたと言われております。
その「小田原攻め」のキッカケを作ったのが、
上野(こうずけ)にあった小さな山城の、
名胡桃城(なぐるみじょう)でした!
築いたのは、
真田昌幸(幸村の父)!
元々、名胡桃館という、
小規模な城郭があったのですが、
1579年(天正7年)に昌幸さんが、
得意の調略を使って攻略して改築を加え、
名胡桃城を築きました。
そして、
このお城を足掛かりに、
翌年の1580年(天正8年)に、
沼田城(←前回ご紹介!)を、
これまた調略によって、
戦わずして落城させました。
地元の埼玉県熊谷市に、
比較的近いのですが、今回が初登城!
どんな山城なんだろ~~、
と非常に楽しみだったのですが、、、
「保存整備のため見学できません」
ノーーーーーー!!!
今年いっぱい整備を行っているそう!
お勤めご苦労様です!
さて、
城内には入れませんでしたが、
周囲の堀を見るだけでも、
その堅固さを想像することができます!
見事な空堀です!
お城めぐりに、
整備や修理は付き物なんですが、
キレイに整備されたてだったり、
普段見られない、
地下構造なども見られたりするので、
「むしろチャンス!」、
だったりするんですよね。
名胡桃城の縄張り図(城の間取り)は、
こんな感じ!
左の「般若郭(はんにゃくるわ)」が、
元々あった名胡桃館だそうで、
昌幸さんが改築したのは、
右の「本郭(ほんくるわ)」を中心に、
連郭式(れんかくしき=縦長)に、
広がっている部分だそうです。
この縄張り図は、
お城の入り口部分に、
デカデカと書かれていて分かりやすく、
城めぐりが何倍も楽しくなるのですが、
さらに、
隣接した「名胡桃城址案内所」に入ると、
さらに何倍も楽しくなります!
ここには、
名胡桃城を鳥瞰できるジオラマや、
秀吉の天下統一の最後の総仕上げとなった、
「小田原攻め」に関連した、
秀吉や昌幸さんなどに関する、
貴重な書状の写しが展示されています!
また、
案内所に置いてあるパンフレット類も、
非常に充実!
色々な種類のパンフレットが、
4、5冊ほど置いてありました。
これがどれも趣向が違って、
とても分かりやすい!
中でも、
「小田原攻め」のキッカケとなった、
「名胡桃城事件」をまとめた、
8コマ漫画がオススメ!
いまいち分かりづらい一連の事件が、
とても良くまとまっております!
事件の内容を、
真田家視点の歴史背景から、
ザックリ説明しますと、、、
-------------------------------------------------------
①信長による「甲州征伐」で武田家滅亡
↓
②主君の武田家を失った真田家
⇒織田家の滝川一益(かずます)に従う
↓
③「本能寺の変」
⇒真田家は主君を再び失いピンチ!
↓
④真田家、主君を短期で変えまくる
⇒上杉・北条・徳川と主君を変えて見事に生き残る
↓
⑤上野(群馬県)の沼田は誰のもの!?
⇒真田と北条が大揉め
↓
⑥徳川家(←この時の真田家の主君)がジャッジ!
家康「昌幸、北条に沼田を譲れ!」
昌幸「自分で取った土地だ!家康に言われる筋合いはない!渡すものか!」
↓
⑦真田家が徳川から上杉に鞍替え!
⇒怒った家康が真田家を攻める(が、敗北)
■1585年(天正13年)
「第一次上田合戦」 ○真田vs徳川●
↓
⑧真田家はラスボスの秀吉に接触!
↓
⑨いよいよ秀吉が登場!
秀吉「揉めに揉めとるね!天下人のわしが裁定を下す!利根川から東が北条!西が真田!わかった!?あ、あと惣無事令出したから!」
・東⇒沼田領の三分の二⇒「北条家」
・西⇒沼田領の三分の一⇒「真田家」
※惣無事令=大名同士の私闘を禁止
↓
⑩これで一件落着と思いきや……
北条家臣の猪俣邦憲(いのまたくにのり)が、秀吉のジャッジと惣無事令を守らず真田家の【名胡桃城】を攻め落とした!
※『名胡桃城事件』!!!!
↓
⑪秀吉激怒!
秀吉「北条家を攻めるぞ!小田原攻めじゃ~!!」
↓
⑫北条家滅亡!秀吉、天下統一達成!
------------------------------------------------------
と、いうわけでございます。
こういった背景があるため、
「名胡桃城は歴史を動かした」
と評されるんです!
また大正時代には、
大河ドラマ「八重の桜」で、
中村蒼さんが演じた、
思想家で歴史家でもあった、
徳富蘇峰(とくとみそほう)が、
名胡桃城の歴史的意義に注目して、
「名胡桃城址之碑」を揮毫しています!
その文字は、
そのまま石碑へと刻まれました!
残念ながら、
現物は見られなかったので、
パンフレットの表紙から拝借!
この石碑はかなり大きいんですが、
何と、文字は原寸大だそうです!
蘇峰さんが、
名胡桃城の歴史的意義を表現するために、
とにかくどでかく書いたと言います。
そして、
「名胡桃城はスゴい城だから、私が書いたものより小さくしたらダメ!」
と言ったために、
そのままの大きさで石碑にしたそうです!
また来年、
整備された名胡桃城と石碑を、
観に行きたいと思います~~。
またね。