白石城と言えば、

伊達政宗の軍師を務めた、

片倉小十郎(かたくらこじゅうろう)の、

居城として知られております!


片倉小十郎景綱(かげつな)は、

政宗の前半生を支えて、

景綱の子の重長(しげなが)は、

政宗の後半生を支えました!


そして、片倉氏は、

江戸時代のはじめから幕末まで、

ず~っと白石城主を務めることとなったわけです。


そんな白石城は、

なぜか、真田幸村ゆかりの地なんです!



駅には、

「片倉小十郎と真田幸村 歴史秘話の地」と、

大々的に書かれております!



「大坂夏の陣」で、

奮戦空しく討ち死にした幸村ですが、

実は、幸村の子供は保護されて、

生き延びているんです。


その保護をしたのが、

片倉小十郎(重長)であり、

保護された場所こそが、

この白石城だったんです!



保護された幸村の子供は、

息子の大八(だいはち)と、

娘の阿梅(おうめ)でした。


大八は、

片倉家の家臣となり、

真田守信(後に片倉守信)を名乗り、

仙台真田家の祖になります。


この守信の系統は、

現在も脈々と受け継がれていて、

第14代にあたる真田徹さんとは、

歴史イベントなどで、

度々共演させていただいております!


また、阿梅は何と、

片倉重長の奥さんに迎えられています!


そんな幸村の遺児たちが成長するまで、

小十郎が匿っていた所が、

白石城の二の丸でした。



現在は公園になっていて、

阿梅の銅像が立っています。



あ、すいません!


阿梅じゃなくて、

白石出身の、

第18代横綱・大砲(おおづつ)でした!


失礼しましたm(__)m


さて、

白石城ですが、

明治時代に破却されたものの、

平成9年(1997年)に、

三重櫓や大手門などが、

木造で忠実に復元されました!



大手門を攻めてきた敵軍の背後を、

櫓から射撃できる縄張りになっていることが、

とても良く分かります!


再建から20年近く経っていますが、

櫓の内部も、

木の温もりを感じる、

素晴らしい造りになっています!





石垣を登ってきた敵を、

矢や鉄砲などで攻撃するための石落としや、



建物内から射撃するための、

狭間(さま)もキレイに再現されています!



その他にも、

延命寺(えんめいじ)には、

厩口門(うまやぐちもん)が、

移築されて現存していて、



城下町には、

片倉家臣の小関家の、

武家屋敷が残されています!





素晴らしい!


あと!

白石城は、

戦国時代の片倉・真田のエピソードで、

語られることが多いんですが、

幕末の出来事を忘れちゃいけません!


薩長を中心に構成された新政府軍は、

会津藩を朝敵として、

東北に攻め込んできました。


東北の諸藩は、

会津を救おうと立ち上がり、

同盟を組みます!


その名も、

「奥羽越列藩(おううえつれっぱん)同盟」!


結ばれた地こそ、

この白石城の本丸でした!



この同盟は、

新政府軍の侵攻を受けて、

瓦解してしまいますが、

東北諸藩が一致団結して、

立ち向かったという歴史も、

是非お忘れなきよう!


最後は、

初体験の白石温麺(うーめん)!



麺大好きの私にとっては、

もう堪らない一品です!


チュルっとしてて美味しかった~~~!




またね。