伊達政宗というと、

宮城県の仙台のイメージが強いですが、

実は、山形県の米沢生まれなんです!


生まれた場所は、米沢城!


江戸時代には上杉家が居城として、

現在は上杉神社となっています。



ところが!

「政宗さんが生まれた米沢城というのは、
本当にこの米沢城なの?」

と最近は言われていまして、

発掘調査や史料によると、

どうやら、当時の米沢城とは、

舘山城(たてやまじょう)のことである、

と考えられているんです!



政宗さんの祖父の伊達晴宗(はるむね)が、

1548年に拠点を米沢に移した時に、

この舘山城を本拠地としました。


そして、

1567年に政宗さんが、

このお城で誕生したというわけです!



その後、政宗さんが、

1591年に本拠地を、

岩出山城(宮城県大崎市)に移すまで、

43年間、伊達家の本城だったと言われております。


こちらのお城は、

予想外になかなかユニークでして、

城跡の入り口には、

こんな注意書が立っています。



「え、残念、入れないのか…」

のち「大歓迎かいっ!」


訪れた全ての方が、

こう突っ込んでいることでしょう。


さらに、

その周囲には井戸跡が。



お~。



お~~~。



お。



いや、、、



井戸跡、多くないっ!?


最後の井戸跡の立札には、

「ここにも 井戸跡 発掘されました」(笑)


山城である舘山城の、

麓にあたるエリアなのですが、

おそらく城主や重臣の屋敷群が、

この辺りに広がっていたんでしょう!



その他にも、

登城者のために準備された給水器や、



スキーのストックなどが置かれています。



そんな登城者への思いやりにホッコリしながら、

大手口跡から10分ほどの登山をすると、





土塁で囲まれた、

四角い空間のお城の入り口が現れます!



専門用語で、

桝形(ますがた)という防御施設です!


そこを抜けると、

広い空間に出ます!



曲輪(くるわ)と呼ばれる空間で、

かつては屋敷などが建っていました。


さらに、主郭(本丸)に向かうと、

その途中には、

石垣に囲まれた桝形があります!



はっきりした時期はわからないようですが、

舘山城は廃城となって壊されたため、

石垣は既に崩れております。



わずかに、

下段の石垣が残っているのみです。





しかし!

古城の趣が増して、

逆に良いですね~~~!


さらにその先へ進もうとすると、

「順路↑」の立札が。



しかし!

足元には、、、



「キケン 入らないでください」


どっちを信じたら良いの~~!(笑)


ということで、縄張り図を確認!



とりあえず、

落とし穴などはなさそうなので、

この先にあった搦手口(お城の裏口)や、

大規模な土塁を確認してまいりました~。





隅々まで見学できて大満足!


そして、

下山してスタート地点に戻ってみると、

だいぶ汗をかいていたことに気づきました。


持参していたボディシートで、

汗を拭いてスッキリ!


ちょうど、

ゴミ箱らしきものがあったので、

そこにポイっとしようとしたら、、、



「護美くず入」!


あらま!おっしゃれー!


最初から最後まで、

ユニークでホッコリした、

伊達政宗生誕のお城でございました~~~。




またね。