山形県の、

山形市と米沢市の間にある上山市!


「うえやま」でも「かみやま」でもなく、

「かみのやま」と読みます。


上山は室町時代から、

温泉地として知られております!


何でも、

1458年(長禄2年)に、

スネをケガした鶴が、

温泉で傷を癒しているのを発見したことが、

上山温泉の始まりだそうです。


そのため古くから、

「鶴脛(つるはぎ)の湯」とも呼ばれていたそうです。


そんな温泉地に上山城が建てられたのは、

開湯より後の1535年(天文4年)!



戦国時代は、

最上家が支配下に治めていて、

領地の最南端の城郭だったことから、

隣国の伊達家との戦いで、

度々争奪戦の的になったそうです。


江戸時代になると、

城主はコロコロと変わっていきます。


【(能見)松平→蒲生→鳥居→土岐→金森→(藤井)松平】


むむむ、

なかなか覚えらんないなこりゃ!


まぁでもどうやら、

この中で特に覚えとくと良いのは、

土岐さんみたいです。


この土岐さんの時に、

あ、

「とき」さんの「とき」にって言っちゃった、

ぷぷぷぷぷ。。。


その土岐氏の治世下で、

上山城は近世城郭として整備され、

「羽州(うしゅう)の名城」と称されたそうです!


※羽州=出羽国≒山形県&秋田県



そんな上山城では、

何と、足湯に浸かれるんです!



天守の真下で天然温泉に浸かれるなんて、

全国でも、

この城だけだけなんじゃないでしょうか!


地元の方々が、

おにぎりを片手に、

ゆるりと浸かっていました。


良いですね~~~。


効能は、

切り傷、関節痛、冷え症、疲労回復などなど!


城内で温泉に浸かれるなんて、

歴史ある温泉地に相応しいお城です!


もちろん、

この施設は当時からあったものではないですが、

城内で温泉が湧いてくる場所もあったかもしれないですね。


また、土岐時代には、

紫衣(しえ)事件によって沢庵(たくあん)和尚が、

上山に流されてきたそうです。


沢庵和尚(おしょう)とは、

たくあん浸けの考案者という説もある、

戦国時代から江戸時代にかけての名僧です!


そんな和尚から、

城主の土岐頼行は実の祖父のように慕って、

様々なことを学んだそうです。



和尚が頼行さんに説いたもので、

「上中下三字説」という教えがあるそうです。



「上(為政者)の字を返せば、

下(領民)になる。

下を返せば上となる。

上下は一体である。

上と下を取り結ぶものが中である。

中は口に上下の縦線を貫く。

言葉で意思が通じ合うものだ」


おぉ、何て良い言葉なんだ!


その素晴らしい言葉を噛み締めながら、

天守からの眺める蔵王連峰が、

非常に清々しい!



まぁ、ちょっと曇ってるけど。


その他、

城内には月岡神社が建っています。





境内には、

こんな家紋が……



何と、葵の御紋!


この家紋を使って良かったのは、

徳川家と親戚の松平家などだけです。


月岡神社の祭神は、

松平利長と、

その息子の松平信一(のぶかず)!



利長さんは藤井松平家の祖で、

信一さんは、

徳川家康の祖父・松平清康の、

いとこにあたります。


信一さんは徳川家康に仕えて、

「桶狭間の戦い」
「姉川の戦い」
「長篠の戦い」
「小牧長久手の戦い」

などで武功を挙げ、

家康が最も頼りにした武将の1人でした。


そんな藤井松平家は、

1697年に上山城主となって、

月岡神社を建立して、

幕末まで城主を務めました。


そういった歴史もあって、

神社には葵の御紋が使われておりました。


さて、

城下町には武家屋敷群も残っております!







素敵~~~!


さあ、

城下町の散歩も終わって、

足に疲れが溜まったところで、

再び城内へ!


目的はもちろんコチラ!



あぁ、疲労回復です~~~♨




またね。