とうとうこの日がやってまいりましたー!


今日は、私が一番歴史上で影響を受けたというか、

私の人生を変えてくれた歴史上の人物の誕生日!






☆3月31日生まれ☆

「好奇心旺盛で決してあきらめない足利義輝タイプ!地震がなくわがままなところも?」

■長所
活動的、大胆、創造力に優れる、独創的、設計力に優れる、建設的な視点を持っている、現実的な判断ができる、話し上手、責任感が強い
 
■短所
自信がない、短気、疑い深い、すぐにやる気をなくす、目標が低い、わがまま、強情

(参考図書:「誕生日大全」主婦の友社)

■3/31生まれの歴史上の人物
【足利義輝(あしかがよしてる)】(1536年)

戦国にキラリと輝く剣豪将軍、義輝公です!

私事ですが、ある日、何となしに自分の下の名前である「ヨシテル」を検索しているとすぐに義輝公にヒットしました。
確かそれは20歳の時だったと思うのですが、それまでは特別歴史が好きというわけではありませんでした。
ところが自分と同じ名前を持つ義輝公を調べてみると、戦国時代は何と面白いものか!
そこから戦国時代中心の日々が始まったわけです!
ということで、今日は大いにえこひいきして文章を書いていきたいと思います!

義輝公をご存じない方も多いかもしれませんが、「足利」「室町幕府」は聞いたことがあるでしょう。
義輝公はその室町幕府の13代将軍です。
生まれた時代は戦国時代、同い年には「明智光秀説」のある「天海」がいたりします。

当時、室町幕府はまったく機能していませんでした。
政治は元は家臣の家臣だった三好家が仕切り、さらには家臣の家臣の家臣である「松永久秀」が取り仕切るほどでした。
そんな時に、義輝公が掲げたのが「室町幕府の再興!」だったんです。

「武家の棟梁はかくあるべし!」と義輝公は自ら剣術を学び、剣聖「塚原卜伝」から「一つの太刀」という一撃必殺を伝授され習得します。
さらに政治力にも長け、「伊達家」の内紛、「武田信玄」と「上杉謙信」の争い、「島津貴久」と「大友宗麟」の争い、「毛利元就」と「尼子晴久」の争い、などの大名間の調停に入りました。
これらのビッグネームの戦国武将も義輝公には一目置いていたわけです!

さらに!
義輝公は偏諱(へんき=名前を1字授ける)も盛んに行いました!
例えば、「毛利“輝”元」、「島津“義”久」、「上杉“輝”虎(=上杉謙信)」、「最上“義”光」などなど!

そして!
義輝公に一目お会いしたいということで、自分の領地からわざわざ義輝公のいる京都へ上洛した武将も2人いるんです!
それが何と「織田信長」と「上杉謙信」!!
この2人が注目するほどの器量だったというわけです!!

ところが、この幕府の復活劇を良く思っていない人たちが・・・。
それが当時、政治を取り仕切っていた「三好三人衆」と「松永久秀」。
永禄8年(1565年)5月19日、4人は軍勢を率いて義輝公のいる二条城を襲撃したんです。

義輝公この絶体絶命な状況を自慢の剣で迎え撃ちました!
手元にある足利家伝来の全ての名刀を集め、部屋の畳に突き刺し、襲ってくる軍勢を斬っては刀を変え、斬っては刀を変え、数十人を討ち取ったそうです!
強いぞ剣豪将軍!!

しかし、衆寡敵せず、義輝公は討ち死にします。
辞世の句は「五月雨(さみだれ)は 露か涙か 不如帰(ほととぎす) 我が名をあげよ 雲の上まで」。
僭越ながら、ブログのタイトル名に拝借しました。

ね!カッコイイ人でしょ!!





またね。