今日は何だか久々の雨な気がしますねー。


とか、思ってたら、

一昨日、小諸城に行った時、雨に降られてました。


はっはっは。






☆3月20日生まれ☆

「礼儀正しく協調性にあふれた前原一誠タイプ!繊細すぎて傷つきやすい一面も?」

■長所
博愛主義、気配りができる、理解力がある、思慮深い、人当たりが良い、友好的、善意的

■短所
疑い深い、神経過敏、わがまま、悪賢い

■3月20日生まれの歴史上の人物
【前原一誠(まえばらいっせい)】(旧暦・天保5年3月24日=新暦・1834年5月2日)

「吉田松陰」の秘蔵っ子、一誠さんです!
一般的にはマイナーな幕末の志士でしょうか?
出身は山口県萩市、長州藩の下級武士の生まれです。
吉田松陰の私塾「松下村塾(しょうかそんじゅく)」で学びまして、クラスメイトには「高杉晋作」や「伊藤博文」、「山県有朋」、「久坂玄瑞」などなどのビッグネームばかり。
その中でも一誠さんは、松陰先生に「勇あり、智あり、誠実さ人に過る(すぎる=優れている)」と評されるほどの逸材でした。
まさに“礼儀正しく”“人当たりの良かった”一誠さんの人柄を表しています。
さらに、時代が風雲急を告げると、クラスメイトの高杉晋作と共に長州藩をリード!
「戊辰戦争(ぼしんせんそう)」では、「長岡城」(新潟県長岡市)や「鶴ヶ城」(福島県会津若松市)を攻める軍隊の参謀を務めるほどの実力者でした。
その鶴ヶ城攻めの時、決死に籠城する会津藩士に「胸中に一点の風味あるに似たり」と一種のシンパシーを感じていたそう。
その後、明治政府の主要メンバーとして政治に参加するのですが、ここである政治家と対立し萩へ戻ることになりました。
その政治家とは、「木戸孝允(桂小五郎)」と「山県有朋」・・・。
どちらも何と二人とも同郷の元長州藩士!
山県有朋に関しては松下村塾のクラスメイト!
(吉田松陰は「ヤマガタ?誰それ?」状態だったと言われていますけどw)
そして、「徴兵令」などの政府の方針に反対して追い出されてしまった一誠さんは、地元の萩で反乱を起こします。
これがいわゆる「萩の乱」!
これより前に「江藤新平」(3/18生まれ!)が起こした「佐賀の乱」や、「西郷隆盛」が起こした「西南戦争」と同じカテゴリーの不平士族(元武士)の反乱の1つです。
同じ志を目指して新しい世の中を創ればまたその中で対立が起きる、というのは何だか寂しい気持ちになってしまいます。
“神経過敏”なゆえに、新政府から煙たがられたんでしょうか。
反乱はすぐに鎮圧され、一誠さんは処刑されることとなりました。
もっと“悪賢く”生きられれば、また違った運命をたどれたのかもしれません。
師である松陰先生の如く、熱く激しい人生を歩んだ志士のお話でした。







またね。