以前こちらのブログでお知らせしましたが、

毎週金曜日と土曜日のどちらも22時から1時間、

「ニコニコ動画」というサイトで動画を生配信していいますー。


金曜日は趣味のポケモントーク&バトル番組「ポケモンフライデー」、

土曜日も趣味の歴史トーク番組「土曜の夜は小田原評定」をやっております。


どちらも趣味でしたね(笑)


歴史芸人・長谷川ヨシテルの『ニコニコ一揆』


ちなみに今晩は歴史の方の番組!


興味のある方は是非~♪





☆3月15日生まれ☆

「人から信頼され親切で謙虚な高橋泥舟タイプ!心配性で権力を乱用してしまうことも?」

■長所
意欲的、寛大、協力的、ものの真価がわかる、理解力、熱心、創造力

■短所
落ち着きがない、責任感に欠ける、自己中、変化を嫌う、優柔不断

(参考図書:「誕生日大全」主婦の友社)

■3/15生まれの歴史上の人物
【高橋泥舟(たかはしでいしゅう)】(1835年)

「幕末の三舟(さんしゅう)」トリオの一人・泥舟さん!
他のメンバーは「勝海舟(かつかいしゅう=3/12生まれ)」と「山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)」のお二人。
幕府の忠臣だった三舟の中で、泥舟さんはおそらくその中で一番コアなファンを持つ通なメンバーです。
泥舟さんはどんな方だったかというと、徳川家の家臣だった「槍バカ」です。
「長谷川、オマエ何バカとか言ってんだよ!調子のんなよ!(怒)」
あ、いや、ちょっと待たれい待たれい。
「槍バカ」と言ったのは、三舟の一人である勝先生ですので悪しからず(笑)。
槍の実力は「海内無双(かいだいむそう=日本一)」、「神業(かみわざ)」と評される域だったそうです。
その能力を買われて幕府の槍の先生になって、さらに「新撰組(=京都で活動)」の江戸バージョンの「新徴組(しんちょうぐみ)」のトップになり、その後「徳川慶喜(とくがわよしのぶ)」の側近の警護にあたり、「戊辰戦争(ぼしんせんそう)」を迎えます。
そして、劣勢の幕府軍を最後まで守り続け、慶喜の周りを自慢の槍で守り続けたんです!
江戸幕府は倒され明治の新しい時代となり、新政府は誠実で周りからの“信頼”が厚かった泥舟さんに声をかけます。
「泥舟殿、政府の中で働きませんか?」
「主君であった前の将軍(徳川慶喜)が謹慎生活を送っているのに、私が偉そうに働けるかい」
「まあ、そうですが、そこを何とか・・・。お願いします!」
「うーん、よし、わかった!」
「あ、ホントですか!?ありがとうございます!」
「総理大臣だったら引き受けてやる!www」
「(ズコーッ)」
(以上、長谷川の史実要約)
非常に“謙虚”で“寛大”でユーモアな泥舟さんの人柄が伝わってくるようです。
ちなみに、泥舟さんの名前の由来は「カチカチ山」の泥舟なんていう話があります。
それを物語る泥舟さんのこんな歌が残っています。
「たぬきには あらぬわが身もつちの舟 漕ぎ出ださぬが かちかちの山」
※「私は土(=泥)の舟のようなもの。下手に表に出ると失敗するから表には出ません。その方が結局ウマくいく。」みたいな感じでしょうか?
ウマい!面白い!
さらにこんな歌も!
「欲深き 人の心と降る雪は 積もるにつれて 道を失う」
これまたウマいー!!
勝先生、泥舟さん全然「槍バカ」じゃない気がするんですが!
さて、これらの歌から察するに、「泥舟」という名前はあくまで自分はそういった存在であるということを見失わないためにつけた名前だったんでしょうか。
非常にカッコイイ!粋だ!!
まさに自分を始めとした世の中の“ものの真価がわかり”“変化を嫌う”泥舟さんの性格が表れているようです。
ちなみに新政府軍が江戸を攻める時に、「西郷隆盛」との交渉役に勝先生が始めに指名したのは泥舟さんだったとか。
しかし、「将軍の警護があるので」とお断りしたあたりは謙虚ながらも少し“心配性”?
代わりに交渉にあたったのは「山岡鉄舟」。
最初に紹介した三舟メンバーの一人で、泥舟さんの義理の弟にあたります。
その鉄舟さんが借金を抱えたまま先に亡くなってしまい、泥舟さんが肩代わりすることになったそうです。
大金を持っていなかった泥舟さんはお金を借りる時にこう言ったそうです。
「金を貸してくれ!担保はオレの顔だ!」
それはちょっと“権力の乱用”な気が・・・(笑)
ちなみに「まあ、泥舟さんが言うことなら・・・。」ということでお金を貸してくれたそうです。
借りられた!!泥舟さんスゲー!!!





またね。