3月11日を迎えました。


別に私が何を言えて何ができるわけではありませんが、

毎年行っている鶴ヶ城(福島県会津若松市)や青葉城(宮城県仙台市)や、

WAEの活動でとても縁のある牡鹿半島(宮城県石巻市)、

真夏にレンタルサイクルでめぐった中尊寺金色堂(岩手県西磐井郡平泉町)などなど、

今まで行ったことがある場所に加えて、

さらに色々なところに遊びに行こうと思っています。


「被災地」とか「復興」とか「元気を分けに」とか、

私たちはそんなことはわざわざ口にしなくて良いんじゃないのかなと。


旅行に行ってウマいものを食べてキレイな景色を見る、

それが私にできることだと思っています。


さて、今日も行きます!




☆3月11日生まれ☆

「情熱的で知性溢れる徳川斉昭タイプ!優越感に浸りがちで支配的な一面も?」

■長所
落ち着き、集中力、客観的、精神力、社交的、発明家、美的センス、自己回復力が高い、優しい、信念がある

■短所
誠実さに欠ける、目的がない、感情的になりすぎる、わがまま

(参考図書:「誕生日大全」主婦の友社)

■3/11生まれの歴史人の人物
【徳川斉昭(とくがわなりあき)】(旧暦・寛政12年3月11日=新暦1800年4月4日)

幕末の激しい殿様・徳川斉昭、別名「烈公(れっこう)」さん!
烈公は斉昭さんの諡号(しごう=死後に贈られる名前)で、出身地の茨城県水戸市辺りではこちらの方がお馴染みとか。
諡号「烈」の由来は、昼も夜もまさに激(烈)しい殿様だったから。
まず、昼の方から行きましょう!
レッコーさんは「水戸学(みとがく)」の申し子でした。
水戸学は「日本らしさ!」を教える学問で、元々はあの水戸黄門で有名な「徳川光圀」さんがまとめた「大日本史」が深く関係しているとか。
「日本らしさ!」とうのは、「天皇の伝統的な権威!」や「日本国の建国神話!」や「身分&秩序!」などを大事にしようということです。
ということで、「ペリー来航」した後の「開国政策」に関してはもちろん激しく反対!!!
開国派の「井伊直弼(いいなおすけ)」と激しく対立するわけです。
しかし、この争いにレッコーさんは負けてしまいます。
一説によると、幕府を裏で仕切っていた「大奥」に激しく嫌われていて支持がなかったからとか。
普段から大奥の女性に対するセクハラ発言が多かったんですって(笑)。
激しいですねレッコーさん。
では、お待たせしました、夜の方のレッコーさんに行きましょう。
レッコーさんはとにかく女好き♡
難しい歴史の本にはよく「艶福家(えんぷくか=女性にモテる男性)」と書いてありますが、つまりとんでもない女好きということ。
モテる人だったら大奥には嫌われないと思うので(笑)。
そんなレッコーさんが生涯にもうけた子どもは男女あわせて何と37人!
激しい!
身内のお手伝いさんにレッコーしたのはもちろん、息子の奥さんにもレッコーしたとか・・・。
激しすぎる!!!
いやはや、手をつけることに手がつけられなかったというわけです。
これはまた別のジャンルの夜のお話なのですが、息子の寝相の悪さを治すために枕の両脇にカミソリをセッティングしたとか(笑)。
寝相を治すというか、まず眠れないわ。
ちなみにこの息子、江戸幕府最後の将軍・「徳川慶喜(とくがわよしのぶ)」さんです。
へー!、と言ってもらえるとありがたいです~。
あ、ありがとうございます。
レッコーさんの地元ならではの「水戸学」は時代の流れもあって「尊王攘夷(そんのうじょうい=天皇を大切にし外国を払う)」の考え方に大きく影響し、最終的に「倒幕⇒明治維新」に繋がっていきます。
「徳川御三家」の内の1つの家の考え方が最終的に徳川家を滅ぼすことに繋がって、さらにその徳川家の最後の将軍がその家の人物(徳川慶喜)であるというのも幕末の動乱ぶりと歴史の皮肉さを痛感します。
さて、そんなレッコーさんは良くも悪くもとにかく激しく“情熱的”!
小さい頃から学問に励み“知性”溢れる水戸学の申し子。
“信念がある”のでしょうが、“感情的になりすぎて”“誠実さに欠けて”“支配的”なあたりが玉に傷?
地元では水戸黄門と共に名君として慕われているレッコーさん。
あ、ちなみに日本初のエレベーター(手動式)を作ったのもレッコーさんです。
「日本三名園」の1つである水戸市の「偕楽園(かいらくえん)」に復元されています。
ん!?カイラク園!?快楽!?
由来を調べてみると・・・。
レッコーさんの「領民の“偕”(みんな)と“楽”しめる“園”にしたい!」という激しい願いがあったからだそう!
疑ってゴメンナサイ!
激しく謝罪!m(__)m





またね。