企画を始めて1ヵ月ちょっと、

思っているよりも色々な方が見てくださっている様で、

嬉しいながらも、下手なこと書けないな、と若干のプレッシャーも感じています(笑)。





☆3月7日生まれ☆

「直感力に長け合理的で繊細な佐竹義重タイプ!無愛想で秘密主義なところも?」

■長所
学識がある、理想主義、正直者、科学的、綿密

■短所
疑い深い、支離滅裂、批判的、自己陶酔

(参考図書;「誕生日大全」主婦の友社)

■3/8生まれの歴史上の人物
【佐竹義重(さたけよししげ)】(1547年)

きたー!常陸(ひたち=茨城県)の戦国武将・佐竹義重ー!
ある合戦で7人を一瞬で斬り伏せた!?という話が出るほどの勇猛さから付けられたニックネームは「鬼義重」!
そんな「鬼」さんが愛用した兜(上の写真)のモチーフは何と「毛虫」!
(肖像画は残っていないそう)
虫博士だった、というわけではなくて、これには戦国武将ならではの理由があります。
「毛虫⇒前にしか進まない=後退しない⇒勝ち戦の象徴」というわけなんです。
左右のモサモサは鳥の毛だそう。
「となりのトトロ」のメイちゃんみたい(笑)。
当時は動物の毛皮を使うのがステータスみたいなところがあったので、おそらくその一環だと思われます。
そんな鬼さんの武将人生は「北条家」と「伊達家」との戦いの日々でした。
伊達家のトップはご存じ「伊達政宗」。
何回か大きな戦をしていて、どれも鬼さんが有利だったはずのに、なぜか最終的に政宗が勝っちゃうんですよね。
そして佐竹家も滅亡の危機に陥るのですが、ここで登場するのが豊臣秀吉!
鬼さんは以前から連絡を取り合っていた天下統一間近の秀吉にさらに急接近。
鬼さんの才能を買っていた秀吉は「常陸は鬼のモノ」と所領を安堵(あんど)しました。
秀吉からこのコメントを引き出せば、もう誰も手が出せないわけです。
勇猛さだけじゃなくて、政治力もある鬼さん!
ちなみにこの時、鬼さんと秀吉のパイプになったのは「石田三成」です。
「関ヶ原の戦い」の時、佐竹家が石田三成の西軍寄りだったのはこの時の恩があったからとか。
しかしその結果として、佐竹家は常陸(茨城県)から出羽(でわ=秋田県)へ転封(てんぽう=左遷)となるのですが、何でもその時に常陸中の美人を出羽に連れて行ったと言います。
何とこれが「秋田美人」の始まりとか!
そして、都市伝説ではありますが、「水戸」が「日本三大ブス」の1つに数えられる由来となったとか。(注:あくまで都市伝説!)
何で連れてったのかということなんですが、これは鬼さんが女好き・美人好きだった、というわけではないと思っています。
実は鬼さんが出羽に引っ越した後、常陸の水戸には徳川家康の四男・松平忠吉(ただよし)が入ったんです。
つまり、美人を連れて行ったのは徳川家への嫌がらせではないかと!
「人を引っ越させておいて自分が入るのか!しかも、仲の良かった石田三成を・・・!よしお前の領地をブスだらけにしてやる!(怒)」といった具合?(笑)
ただ困ったことに、「徳川家康はブス専だった」なんていう話もありますから、家康はホクホクだったかもしれませんね(笑)。
そんな鬼さんは義に厚い“正直者”!
しかし、実は「関ヶ原の戦い」の時、西軍が負けるかもしれないという“直感力”を働かせ、徳川家とも連絡を取り合っていたといいます。
これはいわゆる裏切りなどではなく、あくまで佐竹家を守るためだったといいます。
こういった面は非常に“綿密”で“合理的”でしたが、それを息子の理解なしに行動に移してしまったところは“秘密主義”でもある?
いくら戦国時代とはいえ、毛虫の兜を堂々と使っていたあたりは“自己陶酔”のきらいがあるかも。
ちなみに現在の秋田県知事は、何と鬼さんのご子孫!
「佐竹敬久(のりひさ)」さんと言って、最近猫好きとして話題になっているお方。
鬼に毛虫に美人にブス、そして猫・・・。
秋田ですけど、まったく飽きませんね。
はっはっは。





またね。