今日はひな祭り~♪


時代や地域によって形や大きさが違って、

それを知るのもまた楽しい~♪




☆3月3日生まれ☆

「第六感に恵まれ芸術センスに長けた筒井順慶タイプ!うぬぼれや独占欲が強くところも?」

■長所
ユーモア性、明るい、気さく、建設的、創造性、愛情深い、自由を愛する、言葉の才能がある

■短所
飽きっぽい、嫉妬深い、大げさ、身勝手、怠け者、わがまま

■3/3生まれの歴史上の人物
【筒井順慶(つついじゅんけい)】(旧暦・天文11年3月3日=新暦・1549年3月31日)

奈良県のお坊さん戦国武将・順慶さん!
一般的にはなじみのない武将だと思いますが、奈良県の方々にはおなじみの武将!のはず…。
「島左近」という「石田三成」の家臣を知っていますか?
隠居生活をしていた左近に「自分の給料の半分を渡すからオレの家臣になってくれ」って三成が伝えて雇った、というエピソードのあるあの左近さん。
実は三成以前は「筒井順慶」の下でバリバリ働いていたそうです!
左近ほどの名将が仕えるということは、中々の人物だったんでしょう。
そんな順慶さんが筒井家のトップになったのは、何とわずか「2歳」!
ポストやドンキもビックリなヤングさなわけです。
成人後は「織田信長」に従い、間もなくすると「本能寺の変」を迎えるわけです。
その時、順慶さんは!?
実は順慶さんは「明智光秀」と義理の兄弟の関係。
順慶さんのお嫁さんは、明智光秀のお嫁さんの妹なんです。
とは言え、秀吉の勢いはスゴイしどっちにつこう・・・、という状況。
そこで順慶さんが取った行動は日和見(ひよりみ)!
つまり、有利な方につこうというわけです。
「洞ヶ峠(ほらがとうげ)」という大阪と京都の間にある峠まで出て、秀吉と光秀はどちらが有利かというのを眺めていたとか。
このことから「洞ヶ峠=有利な方につくため情勢をうかがうこと」という言葉が生まれました。
「あいつ洞ヶ峠を決め込んでやがるぜッ」と使うとあなたも順慶通!
しかし、実際の順慶さんはこの時、何と洞ヶ峠に行ってないとか!!
順慶さん、濡れ衣!
どうやら自分の居城の「郡山城(こうりやまじょう)」にいて中立を保っていたそう。
「洞ヶ峠」は濡れ衣ですが、どっちにしろ日和見?
この「洞ヶ峠事件」の前には、「順慶が切腹したらしい」なんていうウワサも流れたり、順慶さんはお坊さんの風貌からは想像できないゴシップ要素が!
今だったら週刊誌を騒がしてくれそうです。
武将としてはちゃんと優秀だったんですよ。
信長→秀吉に実力を認められて、現在の奈良県を治めていたので。
何か一応のフォローみたいになってしまいましたが。
そんな順慶さんは後世、勝手に“ユーモア性”を足されてしまい、ことわざを生み出してしまうほどの“言葉の才能”も付随させられてしまいました。(笑)
順慶さんの「何としても大和(奈良県)はオレが治める!」という気持ちは、“わがまま”で“嫉妬深い”のかもしれませんが、奈良県への“愛情深さ”を感じます。
ちなみに作家の「筒井康隆」さんは、順慶さんの御子孫とか!
「信長の野望」をプレイする時は、ぜひ順慶さんを使ってみてください~。





またね。