2月25日生まれの方、すいません~。


この企画を始めて1か月、

とうとうタイムリーに更新できませんでした。


失礼いたしました~。


お許しを~。





☆2月25日生まれ☆
「直感と理性が同居し頭の切れる山本覚馬タイプ!嫉妬深く毒舌な一面も?」

■長所
完璧主義、観察眼、創造的、直感力、人付き合いがうまい、思慮深い

■短所
衝動的、無責任、秘密主義、批判的、気分屋、神経質

(参考図書:「誕生日大全」主婦の友社)

■2/25生まれの歴史上の人物
【山本覚馬(やまもとかくま)】(1828年)

2日連続、幕末の会津人!
今日は去年の大河ドラマの主人公・八重さんの兄の「覚馬」兄ちゃんです。
「西島秀俊」さんが演じていまして、序盤?に上半身が裸になるシーンがあったのですが、西島さんの見事な体が映ったテレビを食い入るように見てしまいました。w
さて、覚馬兄ちゃんは何をした人か?
この人は「今の京都を創った人」!
幕末よりずっと前から京都は日本の中心だったのは当然なのですが、実は幕末の国内戦争「戊辰戦争」やその前哨戦で京都は焼野原に・・・。
その京都の復興を先頭になって行い、近代的な京都へ導いたのが覚馬兄ちゃん。
つまり、今風に言うと「都市プランナー」という感じでしょうか。
また、「内国勧業博覧会」という日本初の博覧会を開いて日本の魅力をアピールもしました。
その際、しっかりと魅力が伝わるように、これまた日本初の英語のパンフレットを作ったとか。
そして、私が一番驚くのは、京都の復興を担っている時は既に視力を失い、カラダの自由も利かなくなっていたという点です。
そのような状態になったとして覚馬兄ちゃんのようにエネルギッシュにクリエイティブに動けるかどうか・・・。
そういったところも含めて覚馬兄ちゃんはスゴイわけです!
当時の人も「スゴイ!」と思ったのでしょう。
親しみと尊敬を込めて、ある逸話が生まれました。
それは「山本覚馬は、武田信玄の軍師“山本勘助”の末裔らしいよ!」というものでした。
山本勘助もカラダが不自由で、片目の視力を失っていたと言います。
幕末の時は会津藩、明治に入って京都の参謀として活躍した覚馬兄ちゃん。
勘助は、信玄の軍師として活躍しました。
な~んか妙に一致してくるも面があるんです。
私は都市伝説の域だと思うのですが、この逸話が生まれるほど覚馬兄ちゃんの功績や人柄が素晴らしかったということだと思います。
そんな覚馬兄ちゃんは“観察眼”が優れ“思慮深く”、未来の京都のために“創造的”な“直感力”を存分に発揮しました。
「戊辰戦争」真っ只中に、「管見(かんけん)」という新しい国の形を文章にまとめ、「西郷隆盛」さんや「岩倉具視」さんなどを大いに関心させたと言います。
これはある意味、今までの日本を“批判的”に見ることによってたどり着いた境地だったのではないでしょうか。
“無責任”ということはなかったでしょうが、“衝動的”な一面があったからこそ、京都の未来へ向けて博覧会など様々な新しい活動ができたと思います。
ところで「山本勘助末裔説」はどうなんでしょう。
それについて覚馬兄ちゃん本人がこういったというのを聞いたことがないのは“秘密主義”だったからかしら?
果たして真相は如何に!?





またね。