その日に生まれた方の運勢と、

その日に生まれた歴史上の人物をご紹介!


「歴人誕占い」です。


改めて、企画内容を説明してみました。


今日もいきます!




☆2月24日生まれ☆
「エネルギッシュで心の広い大山捨松タイプ!高飛車でめんどくさがりなところも?」

■長所
率直、決断力、マジメ、公平、家庭を愛する、理想主義、仕事ができる

■短所
お金に細かい、誠実さに欠ける、頑固者、執念深い

(参考図書「誕生日大全」主婦の友社)

■2/24生まれの歴史上の人物
【大山捨松(おおやますてまつ)】(旧暦・安政7年2月24日=新暦・1860年3月16日)

去年の大河ドラマで「水原希子」さんが演じてた「大山捨松」さん!
幕末好きだったら知っているけど、一般的には知られていない人物だと思います。
幕末~明治~大正の激動を生きたスゴイ女性なので少々お付き合いくださいませ。
生まれは会津藩、現在の福島県会津若松市です。
まず気になるのは「捨松」というお名前。
元々の名前は「さき」さんで、「捨松」は11歳の時に改名したものなんです。
改名のキッカケは「アメリカ留学」!
捨松さんは何と「日本人女子初の海外留学生」だったんです。
出発を控えて、「さき」さんのお母さんは「捨てたつもりで待つ(松)!」という想いを込めて「捨松」と改名させたそうです。
名前に「捨てる」なんていう言葉入れるなー!
と、言いたくなるところなんですが、「捨」というのは実は昔から縁起の良い言葉。
「捨て子は育つ」なんていう言い伝えもあったので、「捨松」には「しっかり育ってきなさい!」という意味も込められていると私は思います。
ちなみに、豊臣秀吉も子供に「棄(すて)」という名前を付けたりもしています。
とは言え、現代から見たら「キラキラネーム」であることは間違いないですね。
くれぐれもお子さんに改名をススめる時は慎重に。
さて、捨松さんの留学年数は何と11年!
11歳から11年ということは、今で言う小学高学年から大学卒業までということです。
捨松さんは英語だけでなく、フランス語やドイツ語もペラペラになったとか。
そして日本に帰ってくるわけですが、はっきり言って「変わり者」扱いでした。
あだ名は「アメリカ娘」だったとか。
今だったらつんく♂さんがプロデュースしてくれそうな呼び名ですが、この時つんく♂さんはまだ生まれていないので、みんなただ珍しげな顔で見ていたそうです。
今でも帰国子女はだいぶ珍しいのに、まだ江戸時代が終わったばかりのお話ですからね。
そんな個性的な捨松さんを嫁にめとったのは「大山巌(おおやまいわお)」さん。
出身は薩摩藩(鹿児島県)の方で、「西郷隆盛(さいごうたかもり)」さんのイトコにあたります。
明治時代に陸軍の中心人物で幕末の「戊辰戦争(ぼしんせんそう)」の時は何と敵同士!
ところが、当時は海外の軍の仕組みを導入していた陸軍の巌さんは、外国語がペラペラな捨松さんを妻として求めたそう。
敵同士ということもあり家族は反対しますが、アメリカナイズな捨松さんには関係なし!
二人は、この時代珍しい「恋愛結婚」だったとか。
ステキ~♡
そして捨松さんが一躍有名になったのが「鹿鳴館(ろくめいかん)」!
教科書で一度は目にしたこの言葉。
当時の外務大臣の「井上馨(いのうえかおる)」さんが「外国に日本が文明国であることをアピール」するために造った舞踏会などが行われた社交場です。
ところが、踊りもマナーも全然ダメだった鹿鳴館の日本人。
だいぶ「滑稽」として映っていたそうで、国内の評判も良くありませんでした。
ところがこの鹿鳴館で一人異彩を放つ女性が・・・!
SUTEMATSU!SUSHI、TEMPURA、SUTEMATSU!
捨松さんは11年間の留学経験を見事に生かし「鹿鳴館の華」とまで称されました。
カッコいいー♡
そんな真っ直ぐで“素直”で“マジメ”な捨松さんは、まさに“仕事ができる”女性!
晩年は「ボランティア活動」や「女子教育」に奔走し、「日本初のチャリティー活動」もしたとか。
周りから敬遠されつつも、自分の思い描くところを目指す“理想主義”ぶりは“執念深く”も“エネルギッシュ”!
チャリティー活動の際、4円のものに対して5円札を出された時に「慈悲活動なのでお釣りはありません」と言ったあたりは“お金に細かく”、“めんどくさがり”な一面?(笑)
現代風に変換すると「オ・ツ・リ・な・し…オツリなし」。
ちょっともう古いですか?





またね。