私は自分の下の名前が、

たまたま戦国時代の将軍「足利義輝(あしかがよしてる)」と同じだった、

というところから戦国時代が好きになったので、

そんなキッカケ作りのおせっかいとして、

この企画を楽しんでいただけたら幸いです。


「自分の誕生日は○○が生まれた日なんだ~。へ~」って。




☆2月22日生まれ☆

「場の空気を読み直感力に長けた高浜虚子タイプ!神経質で理想が高すぎることも・・・?」

■長所
実利的、現実的、手先が器用、手際が良い、モノ作りが得意、問題解決力がある

■短所
親分風を吹かせる、横着になりやすい、独りよがり、お金に厳しい

(参考図書:「誕生日大全」主婦の友社)

■2/22生まれの歴史上の人物
【高浜虚子(たかはまきょし)】(1874年)

明治から昭和の俳人・虚子さん!
良い笑顔!
ネット住民やゲーマーが陥る「廃」人じゃないですよ。
俳句を詠む人で「俳」人です。
そんでもって、「虚」しい「子」どもというわけじゃないですよ。
本名が「清(きよし)」さんだったから、それを文字って「虚子」です。
名付け親は「正岡子規(まさおかしき)」大先生。
二人の地元は愛媛県松山市で虚子さんは大先生から俳句を教わり、ドップリとその世界にのめり込んだそうです。
そこから一気に人生が好転していくわけですから、ホント出会いって大切。
縁は大切にしたいですし、使えるものは全部使った方が良いんだなと思うわけです。
さて、「高浜虚子」を学校で習った時に覚えなきゃいけないワードは「ホトトギス」!
ちなみに、「鳴かぬなら――」の信長、秀吉、家康の「ホトトギス」とは別のお話です。
こちらの「ホトトギス」は俳句雑誌の名前!
子規大先生の友人が、虚子さんなどと共に子規大先生の協力を借りて松山市で創刊しました。
後にこの雑誌を虚子さんが継承して東京へ移転して、俳句だけでなく和歌や小説なども載せる雑誌になりました。
何で有名になったかというと、あの有名な夏目漱石の「吾輩は猫である」や「坊っちゃん」などが載っていたから!
夏目漱石さんは2月9日生まれで一度ご紹介しましたが、ここで繋がってくるとは面白い!
ちなみに何と現在も「ホトトギス」という雑誌はあって、「日本一長寿の雑誌」なんていう異名が付いてたりもします。
その主宰を高浜虚子さんのひ孫さんが務めているそうです。
現代まで繋がっている虚子さんの俳人としての“直感力”は古今東西認められているものでしょう!
俳句だけでは雑誌として成り立たないと踏んだのか、小説や和歌を柔軟に取り入れるあたりは“現実的”で“手際が良い”一面でしょうか?
それも何より“お金に厳しい”ところがあったからかも。
晩年は俳句ではなく小説にも挑戦していた虚子さん。
きっと“モノ作りが得意”でひらめいたものを文字をスラスラするあたりは“手先が器用”な証?
ここまでいくとちょっと強引ですかね(笑)
ところで、自分の思い描く芸術の“理想が高すぎる”ところがあったのでしょうか。
その理想を子孫の方やお弟子さんたちが追い続けているから、現代まで虚子先生の世界観が息づいているのかもしれません。
良いこと言ったかしら?(自分で言うな)
最後に、ライバルの俳人の死を悼んだ虚子先生が詠んだ句をご紹介。
「たとふれば 独楽(こま)のはぢける 如くなり」
出会いを大切にした虚子先生の仲間への思いが詰まったアツい俳句だと思う!






またね。