先日勝手に出題した戦国クロスワードパズル、
思いの外、反応してくださる方がいらっしゃって大感謝でございます。
解答を発表したいと思います。
まず問題はこちら。
【戦国クロスワードパズル①】
[よこ]
1、奇行が多かった織田信長の小さい頃のあだ名と言えば?
2、明智光秀が「本能寺の変」を起こしたのは○○差したから?
3、秀吉による中国地方征伐の一つの○○城攻め、別名「○○の干殺し」
4、「関ヶ原の戦い」を仕掛けた二人、石田三成と直江兼続は「旧知の○○○」。
5、本多忠純の将軍・秀忠暗殺未遂事件「○○○○○城釣り天井事件」
6、公家や僧侶と交流をするため武将も「○○」を詠んだ。
[たて]
1、武将の吉凶占いをしたのは「○○○○○師」
7、信長が京都で行った軍事パレードは「御○○揃え」
8、徳川家康役と言えばやっぱり「○○○雅彦」さん。
9、秀吉は生まれながらに人たらしの○○○があった。
10、岐阜城があったのは「○○の国」、現在の岐阜県。
11、賤ヶ岳七本槍の一人だけどマイナーな武将「○○○武則」
まだ解いてないからやってみたい!、という方はここで一旦お別れ。
ばいばーい。
さあ、答えの発表です。
答えはこちら!
[よこ]
1、奇行が多かった織田信長の小さい頃のあだ名と言えば?
⇒「大うつけ」
「うつけ」というのは、「バカ」とか「マヌケ」とかという意味ですね。
服装や髪形、言動、何もかも変わっていたそうです。
2、明智光秀が「本能寺の変」を起こしたのは○○差したから?
⇒「魔が」
原因は諸説ありますが、信長にストレスがたまっていて発作的に起こしたという説もあります。
3、秀吉による中国地方征伐の一つの○○城攻め、別名「○○の干殺し」
⇒「三木」
現在の兵庫県三木市にある三木城を攻めました。
城の周りを砦で囲って兵糧攻めをして城主の別所長治を切腹に追い込みました。
4、「関ヶ原の戦い」を仕掛けた二人、石田三成と直江兼続は「旧知の○○○」。
⇒「誼(よしみ)」
以前から知り合いであった二人は徳川家康を討つために会津と大坂で挟み撃ちの計画を立てたとか、そうじゃないとか。
5、本多忠純の将軍・秀忠暗殺未遂事件「○○○○○城釣り天井事件」
⇒「宇都宮」
本多忠純の父は家康の軍師・本多正信でしたが、2代・秀忠の代になると政権交代の時勢に逆らえず、忠純に日光参拝の際に将軍を暗殺する陰謀があるらしいという容疑をかけられ失職しました。
この事件はでっち上げという説が有力です。
6、公家や僧侶と交流をするため武将も「○○」を詠んだ。
⇒「和歌」
詩が好きな武将は非常に多いです。
これが出来なきゃ一流の武将とは呼べないというステータスな意味もありましたし、政治的な交流にも必要な外交手段だったんです。
[たて]
1、武将の吉凶占いをしたのは「○○○○○師」
⇒「陰陽」
武将の行動は陰陽師が決めていたと言っていいほど、陰陽道というのは超重要事項でした。
長篠の戦いを描いた絵画には、信長の近くに陰陽師の姿が見られます。
7、信長が京都で行った軍事パレードは「御○○揃え」
⇒「馬」
信長は自分の権威を政治の中心地の京都に誇示するために大規模な軍事パレードを行いました。
時の天皇も見学に行き、織田軍の行列は見るものを圧倒するきらびやかさだったと言われています。
8、徳川家康役と言えばやっぱり「○○○雅彦」さん。
⇒「津川」
私の中で非常に印象深い、大河ドラマ「徳川葵三代」の徳川家康を演じた津川雅彦さん。
ほとんど本人が降臨したんじゃないかというような古今最強の演技力でした。
9、秀吉は生まれながらに人たらしの○○○があった。
⇒「気質」
秀吉には敵も味方もたらしこんでしまうような不思議な魅力があったと言います。
時には、敵対していた相手の城に、普段着で刀も差さず、しかも一人で交渉しに行ったと言います。
10、岐阜城があったのは「○○の国」、現在の岐阜県。
⇒「美濃」
美濃の武将とえいば”美濃のマムシ”斎藤道三(さいとうどうさん)です。
娘の濃姫(のうひめ)が信長に嫁いでいるので、信長の義父にあたります。
岐阜の義父というわけです、ははは。
11、賤ヶ岳七本槍の一人だけどマイナーな武将「○○○武則」
⇒「糟屋」
七本槍の一人、糟屋武則(かすやたけのり)。
秀吉の下で地味ではありますが、活躍した武将です。
七本槍は他に、加藤清正、福島正則、加藤嘉明(よしあき)、脇坂安治(わきさかやすはる)、片桐且元(かたぎりかつもと)、平野長泰(ながやす)がいます。
そして、
A・B・Cを並べると、正解は「オ・カ・ミ」となります。
正解者の方、おめでとうございますー!!
調子に乗って第2問も既に作っちゃったので、
また後日出題させていただきます。
またね。