歴史芸人・長谷川ヨシテルが黒田官兵衛ゆかりの城を巡る!
【大河ドラマ先駆けツアー】
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来年の大河ドラマの主人公「黒田官兵衛」ゆかりの城をめぐる、
兵庫県の城めぐりブログ【大河ドラマ先駆けツアー】もいよいよ最終回となりました。
記念すべき最終回は、
来年の大河ドラマ『軍師官兵衛』のロケ地として使われ、
“天空の城”“日本のマチュピチュ”の異名を持つ、「竹田城」です。
ここ2、3年色々なところに取り上げられて、今日本で一番注目を浴びているお城です。
姫路から北に向かって車でだいたい1時間くらいの、朝来(あさご)市にあります。
近年稀にみるほどのワクワク感を抱え、お城へ向かいました。
最寄り駅の「竹田駅」からは、
徒歩で1時間かからないくらいでいけるそうですが、
昨日からのレンタカーがあったので、車で山腹の駐車場へ。
いやぁ、驚き!
時刻は朝の6時半だったのですが、駐車場はいっぱい!
150台くらいは収まりそうな駐車場だったのですが、渋滞ができていました。
休日は規制がかかってるということらしいですから、その人気ぶりがわかります。
従業員の方は、朝の3時から動いているようです。
お勤めご苦労様です。
何とかうまい具合に駐車場が空きまして、いよいよ竹田城へ登城です。
小高い山の上にあるお城ですから、登城中の景色は・・・、
いや、霧ヶ峰~っ!!!
全然周りが見えず、柔和な雰囲気を醸し出していました。
15分ほど山を登ると、
徐々に霧の隙間から、竹田城の石垣が見えてきました。
右上の方にひょこっと!
さらに登ると、一気に幻想的な世界が広がります。
パズーとシータが念願のラピュタを目の前にした時の気持ちはこうであっただろう、
と、思えるような純粋な気持ちに浸ることができます。
ちなみに、この城の石垣は「穴太積み(あのうづみ)」と言いまして、
“穴太衆(あのうしゅう)”という石垣積みのプロ集団が積んだものです。
なんと、コンクリートより丈夫!
まったく加工されていない自然の石を、
経験と勘だけで積んでいくという、最高峰の技術を持った集団がいまして、
信長・秀吉・家康の時代のお城の石垣は、ほとんど彼らが造ったものです。
穴太衆の技術は書物では全く残ってないらしく、
全て口伝(くでん)、つまり、口で伝えられたもののみだそうです。
何がおもしろいって、この技術は現在も継承されているんです。
尊い~。
さて、この石垣のお城の一番高いところ、天守台からの景色はさらに圧巻です。
徐々に霧が・・・、
晴れて・・・、
きたー!!!!
にー!!!!!(*^-^*)
少し落ち着いて記念撮影。
竹田城の天守台跡の360度の大パノラマは、どこを見ても絶景でした。
ちなみに、このお城は、
赤松広秀(あかまつひろひで)さんという武将が、
秀吉の支援を受けて現在残るような立派な石垣のお城としたそうです。
秀吉の晩年の戦国時代の終わりの頃は、お城の建築技術は最高レベルでした。
戦いの経験がお城のレベルをグーンと上げたからです。
つまり、「竹田城」は日本史上で一番実践的な建築技術があった時のお城なんです。
つまり、竹田城の素晴らしいところは景色だけじゃないぞ!、ということであります。
例えば、
籠城する時のための井戸らしき遺構や、
攻めてきた敵を直進させず、
横からの攻撃(横矢掛かり)を仕掛けるための縄張りなど、
実践的な要素がたくさん含まれているのです。
地形的に見ても面白いです。
竹田城は、
播磨国(はりまのくに=兵庫県南西部)と、
但馬国(たじまのくに=兵庫県北部)の国境に位置し、
南には生野銀山(いくのぎんざん)があり、
近くを流れる円山川(まるやまがわ)の運河を使って交流や貿易ができた場所なんです。
政治的にも経済的にも大事な拠点だったのねー。
雲海を見に、朝早く行くとしたら、基本的には車になるのでしょうが、
駐車場もいっぱいになるし、休日は規制もかかるそうなのでお気をつけください。
休日は車だけでなく、歩行者も規制がかかるそうです。
また、山の上にあるお城で、足元も危険ですので、軽装はお気をつけください。
何より、カーナビに「竹田城」と打つと、
「パチンコ竹田城」にナビゲートされてしまうので、特にお気をつけください。
しかも、すでに閉店していて、
そちらも“竹田城跡”になっているので、お気をつけください。
いくら並んでも整理券はもらえません。
ただ、「パチンコ竹田城」の辺りから見る「竹田城」は良いもんですよ。
「良いお城だったなぁ」、そうつぶやいて、
長谷川はまたどこか違うお城へと向かうのであった・・・。
またね。
~完~
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来年の大河ドラマの主人公「黒田官兵衛」ゆかりの城をめぐる、
兵庫県の城めぐりブログ【大河ドラマ先駆けツアー】もいよいよ最終回となりました。
記念すべき最終回は、
来年の大河ドラマ『軍師官兵衛』のロケ地として使われ、
“天空の城”“日本のマチュピチュ”の異名を持つ、「竹田城」です。
ここ2、3年色々なところに取り上げられて、今日本で一番注目を浴びているお城です。
姫路から北に向かって車でだいたい1時間くらいの、朝来(あさご)市にあります。
近年稀にみるほどのワクワク感を抱え、お城へ向かいました。
最寄り駅の「竹田駅」からは、
徒歩で1時間かからないくらいでいけるそうですが、
昨日からのレンタカーがあったので、車で山腹の駐車場へ。
いやぁ、驚き!
時刻は朝の6時半だったのですが、駐車場はいっぱい!
150台くらいは収まりそうな駐車場だったのですが、渋滞ができていました。
休日は規制がかかってるということらしいですから、その人気ぶりがわかります。
従業員の方は、朝の3時から動いているようです。
お勤めご苦労様です。
何とかうまい具合に駐車場が空きまして、いよいよ竹田城へ登城です。
小高い山の上にあるお城ですから、登城中の景色は・・・、
いや、霧ヶ峰~っ!!!
全然周りが見えず、柔和な雰囲気を醸し出していました。
15分ほど山を登ると、
徐々に霧の隙間から、竹田城の石垣が見えてきました。
右上の方にひょこっと!
さらに登ると、一気に幻想的な世界が広がります。
パズーとシータが念願のラピュタを目の前にした時の気持ちはこうであっただろう、
と、思えるような純粋な気持ちに浸ることができます。
ちなみに、この城の石垣は「穴太積み(あのうづみ)」と言いまして、
“穴太衆(あのうしゅう)”という石垣積みのプロ集団が積んだものです。
なんと、コンクリートより丈夫!
まったく加工されていない自然の石を、
経験と勘だけで積んでいくという、最高峰の技術を持った集団がいまして、
信長・秀吉・家康の時代のお城の石垣は、ほとんど彼らが造ったものです。
穴太衆の技術は書物では全く残ってないらしく、
全て口伝(くでん)、つまり、口で伝えられたもののみだそうです。
何がおもしろいって、この技術は現在も継承されているんです。
尊い~。
さて、この石垣のお城の一番高いところ、天守台からの景色はさらに圧巻です。
徐々に霧が・・・、
晴れて・・・、
きたー!!!!
にー!!!!!(*^-^*)
少し落ち着いて記念撮影。
竹田城の天守台跡の360度の大パノラマは、どこを見ても絶景でした。
ちなみに、このお城は、
赤松広秀(あかまつひろひで)さんという武将が、
秀吉の支援を受けて現在残るような立派な石垣のお城としたそうです。
秀吉の晩年の戦国時代の終わりの頃は、お城の建築技術は最高レベルでした。
戦いの経験がお城のレベルをグーンと上げたからです。
つまり、「竹田城」は日本史上で一番実践的な建築技術があった時のお城なんです。
つまり、竹田城の素晴らしいところは景色だけじゃないぞ!、ということであります。
例えば、
籠城する時のための井戸らしき遺構や、
攻めてきた敵を直進させず、
横からの攻撃(横矢掛かり)を仕掛けるための縄張りなど、
実践的な要素がたくさん含まれているのです。
地形的に見ても面白いです。
竹田城は、
播磨国(はりまのくに=兵庫県南西部)と、
但馬国(たじまのくに=兵庫県北部)の国境に位置し、
南には生野銀山(いくのぎんざん)があり、
近くを流れる円山川(まるやまがわ)の運河を使って交流や貿易ができた場所なんです。
政治的にも経済的にも大事な拠点だったのねー。
雲海を見に、朝早く行くとしたら、基本的には車になるのでしょうが、
駐車場もいっぱいになるし、休日は規制もかかるそうなのでお気をつけください。
休日は車だけでなく、歩行者も規制がかかるそうです。
また、山の上にあるお城で、足元も危険ですので、軽装はお気をつけください。
何より、カーナビに「竹田城」と打つと、
「パチンコ竹田城」にナビゲートされてしまうので、特にお気をつけください。
しかも、すでに閉店していて、
そちらも“竹田城跡”になっているので、お気をつけください。
いくら並んでも整理券はもらえません。
ただ、「パチンコ竹田城」の辺りから見る「竹田城」は良いもんですよ。
「良いお城だったなぁ」、そうつぶやいて、
長谷川はまたどこか違うお城へと向かうのであった・・・。
またね。
~完~