歴史芸人・長谷川ヨシテルが黒田官兵衛ゆかりの城を巡る!
【大河ドラマ先駆けツアー】
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のらりくらりと、第9回までやってまいりました。


読者の皆様には感謝感謝です。


おそらく次回が最終回となりますので、

もう少しお付き合いくださいませ。


第9回は、秀吉に姫路城を譲った直後に黒田官兵衛が居城とした、

妻鹿城(めがじょう)」です。

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

別名、甲山城、功山城、国府山城、袴垂城・・・、

いや、呼び名がメガ多いって!


甲山城、功山城、国府山城は全て(こうやまじょう)と読みまして、

袴垂城は(はかまたれじょう)と読むそうです。


こんだけ呼び名があると、メガインパクトです。


このお城は、

黒田官兵衛が自分の居城であった姫路城を、

「便利だから!」ということで、

大胆にも主君の秀吉に献上し、その後に移り住んだお城です。


言ってみたら、

黒田官兵衛が“売れる”直前、

いや、“売れる”きっかけとなったお城です。


この前に「赤穂城」でずいぶん時間を使ってしまい、

着いた頃には、一枚目の写真というわけです。

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

最寄り駅の「妻鹿駅」に着いた時は、

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

まだ若干明るく、

お城に近づいた時にも、

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

まだ…大丈夫!という様子だったんですが、

右折して細い道に入るということに気付かず、

さらにレンタカーをどこに停めて良いかもわからず、

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

メガ暗くなってしまったというわけです。


外灯も少なく、ほぼ暗闇でした。


せっかく来たんだから城跡を見学しないと、

ということで、登山口へ。

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』-rps20131120_053152.jpg

いや、メガ怖っ!!


・・・・。


あ、ちょっと時間ないから引き返そう。


いや、時間がなかったからで、

決してビビっていたわけではありません。


さて、

せっかくだから、お城の案内板は撮って帰ろう。

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

メガぶれ!


今見返すと、文字が全然読めない。


これは急いでいたからで、ビビっていたからではありません。


ああ、忙しかった忙しかった。


また日を改めて、日中に登城したいと思います。


さて、最後に問題です。


メガと何回言ったでしょう。(「妻鹿」「めが」は含まない)


正解は次の最終回に、

しようと思ったのですが、

これを引っ張ってもどうしようもないですから発表します。


正解は、6回でした!


5回じゃないですー。


最後の「メガと何回言ったでしょう。」の“メガ”も含まれてるんでしたー。


引っかかった引っかかったー。


がっはっは。


さあ、次は最終回、

来年の大河ドラマ『軍師官兵衛』のロケ地として使われ、

“天空の城”“日本のマチュピチュ”の異名を持つ、

竹田城(たけだじょう)」です。


ぼくがブロガーとして担当した地域ではないお城なんですが、

どうしても行きたくて我慢できませんでした。


こちらの都合では番外編なのですが、最終回としてご紹介します。


どうかごひいきに~。




またね。