歴史芸人・長谷川ヨシテルが黒田官兵衛ゆかりの城を巡る!
【大河ドラマ先駆けツアー】
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おかげさまで、第8回までやってきました。


周りの方からは、何かやってるねー、と大好評です。


今回ご紹介するお城は、黒田官兵衛とはあんまり関係ない、

赤穂城(あこうじょう)」です。

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

官兵衛とは関係なかったんですけど、前々から気になってて行きたかったの。


さて、それは良いとして、

赤穂といえば、

江戸時代に一大ブームとなった講談「忠臣蔵(ちゅうしんぐら)」です!


赤穂駅にもドデカく「蔵臣忠」!

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

主君の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)を改易(クビ)・切腹に追い込んだ、

高家(身分の高い公家のような武家)の吉良上野介(きらこうずけのすけ)の首を取りに、

47人の赤穂浪士が吉良家に討ち入りして見事大願を成就させるというお話です。


リーダーは大石内蔵助(おおいしくらのすけ)さん。


お城の敷地内の大石さんの屋敷跡に、長屋門が残っています。

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

主君の不運を知らせに来た使者は、まさにこの門を叩いたそうです。


今は文化財だから叩いちゃダメよ。


そして、大石さんの屋敷跡は、

“大願成就”のご利益があるとういう「大石神社」となっています。

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

参道の脇には、四十七士の像が威風堂々と立っています。


今回は特別に、四十八士として撮影させてもらいました。


境内の中には、

「水みくじ」なるものがありして、

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

この真っ白のおみくじをお水に浸すと、あら不思議、

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

文字が浮かび上がるんです!!


一人旅だったので仕方がないのですが、

ここで初めてあの時の感動をお披露目できました。


感動したんだから~、大吉だったし。


さて、赤穂城の中心部へ足を運びましょう。

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

本丸への入り口にある本丸門にて一枚。


シンプルな枡形虎口(ますがたこぐち)になっています。


本丸跡には、

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

かつての天守台跡が猛々しく残っています。


天守は、幕府への遠慮や金銭面の事情から築かれることはなかったそうです。


江戸時代には結構多いんですよね。


伊達政宗の青葉城(仙台城)もその一つだったり。


そして、そこから本丸跡を眺めてみると、

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

江戸時代の殿さまの住居の間取りがわかるように整備されていて、

庭園は復元されております。


間取りって飽きないんですよね。


ああ、玄関の隣の部屋に武士が控える間があったのか、とか、

侍を身近に感じることができます。


自分の家を建てる時に参考にしたい思います。


ちなみに、丸の内北口ビルの1階にも、

細川家の屋敷の跡が地面に描かれています。


撮影禁止なのが残念なのですが。


城の外も、非常に良い景色が広がっています。

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

「赤」?


あ!「赤穂」だからか!

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

「穂」が見当たらない!


まあ、複雑な作りの字だけども。


「赤」を作ってから気付いたのかしら、

「穂」ムズイから「赤」だけで行きましょう!、って。


そんなわけないか。


さて、赤穂城は、戦国時代に築かれたのではなく、

平和な時代の江戸時代に入ってから造られたお城です。


平和ボケをしていたわけではありませんが、

実践的な知恵が若干置いていかれ、

机の上で考えられた理想のお城となっています。


どこら辺がそんなことになっているのか!


お城というのは、

攻めてきた敵をなるべく「横から攻撃する」ということに、

重点を置いて築かれることが多いです。


「横から攻撃する」ことを、“横矢掛かり”(よこやがかり)と言います。


お城に行くと、

一直線で天守へ行けなくなっていて、

あっち行ったり、こっち行ったりしますよね。


あれは攻めてきた敵を直進させず、横から攻撃するためなんです。


赤穂城は、とにかく“横矢掛かり”のことを考えて、

というか“横矢掛かり”のことしか考えずに築かれました。


お城のマップを見るとわかります。

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

赤穂城はなんと、十四角形なんです!(長谷川調べ)


おそらく北海道の五稜郭を抜いて、日本最多角形のお城です!(長谷川調べ)


これでもかっていうくらい、角があります。


確かにこれだったら、攻めてきた敵を横から攻撃しまくれますが、

味方を十四等分しなければいけないことを考えると、

一つ一つの面ががうっすうすの戦力になるんではないかと心配になってしまいます。


でも、大丈夫!


赤穂城には、こいつらがいる!

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

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$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

何かたくさんいるー!


すべて赤穂城の敷地内にオフィシャルで飼われているみたいです。

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

今の赤穂城は、侍に代わって彼らが守っています。


訪れた際は、挨拶と手土産をお忘れなく。


雰囲気から、黒鳥が城主っぽかったです。


手土産はおそらく食パンで大丈夫です。


見どころ満載の赤穂城は、まだまだ見どころがあります。


大手門を抜けて、

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

城の外に出ると、

巴屋本舗(ともえやほんぽ)さんが、

お城のたたずまいで出迎えてくれます。

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

将来、こんな家を建てたい!


さっきの間取りを参考にして!


その巴屋さんで、

名物の「塩味もなか」と「討ち入りそば」をいただき、

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

お城に隣接する「赤穂市立歴史博物館」で、

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

赤穂城と赤穂の塩の歴史を学んできました。


博物館によると、

江戸時代から赤穂は塩作りが盛んだったそうで、

当時の塩田の広さは、甲子園100個分だったそうです。


え!広さを甲子園で例えるのか!


東京ドームじゃないのね!そりゃそうか!


そっちに驚いてしましました。


思いの外、と言ったら失礼ですが、

赤穂は見どころが本当に満載で、予定の滞在時間を大きく過ぎてしまいました。


名産はともかく、

赤穂城、全然しょっぱくなかったです。


うまく、ない?


甘めの判定でお願いします。


第9回は、姫路城を秀吉に譲った黒田官兵衛が居城とした、

妻鹿城(めがじょう)」です。


どうかごひいきに~。




またね。