歴史芸人・長谷川ヨシテルが黒田官兵衛ゆかりの城を巡る!
【大河ドラマ先駆けツアー】
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マイノリティーの方に好評のこちらの企画、

おかげさまで第6回までやってきました。


第6回は、黒田官兵衛が初めて大名になった時のお城,

篠ノ丸城(ささのまるじょう)」です。

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

姫路城から車で向かって1時間ほどでしょうか、

「揖保の糸」の本拠地?を通過してひと興奮し、

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

兵庫県の宍粟(しそう)市にある城跡、

最上山公園(さいじょうさんこうえん)に到着です。


この時はまだ時期が早かったので気付きませんでしたが、

紅葉のスポットとして有名だそうです。


最上「山」というだけあって、

住宅街から山腹の駐車場まで細い山道を車で登ります。


悪天候(大雨)×不安(この細い山道合ってる?)×孤独(26歳独身) < 城熱(城バカ)、

という方程式を持った方のみ、

山腹の駐車場の「しーたん」に出会うことができます。

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

あー、しーたん、ホッとしたよー。


その駐車場から、徒歩で頂上を目指します。

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

これが「しーたん」と共に戦う長い戦の始まりになるとは、

長谷川は知る由もなかったのであった・・・。


お城めぐりの時は面白いほど天気が良くなるという、

晴れ男なぼくには珍しく、この時は大雨!


そんな悪天候の中始まった篠ノ丸城″めぐり″、

いや、篠ノ丸城″登山″でした・・・!

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

スタート地点から、

「これはもしや・・・?」ときな臭さを感じていたのですが、

大雨の中、兜をかぶって山を登り、

頂上まで要した時間は・・・20分!


たかが20分と思うなかれ、

昨日からの城めぐりで足がパンパンな上、

兜をかぶって重量アップし、

大雨という悪条件、下はぬかるんで足をとられ、

頂上までどれくいらいなのか全くわからず・・・、

不安だったー!!!


しかし、そうなんです。


勝手に自分でやっているだけなんです。


ガッハッハ。


そして、ちゃんと調べていけということなんです。


ガッハッハ。


言い訳をしますと、

官兵衛さんがこんな山城に居城しているとは思わなかったんですよね。


合理的で経済や流通の意識のあった官兵衛さんだったら、

山の麓に城をとったんじゃないかなと思ってたんですよね。


後で調べてみると、官兵衛さんも篠ノ丸城を不便に感じたのか、

山の麓の「山崎城」に移ったようです。


官兵衛さんと共感できたようなので、この孤独な登山も報われました。


めでたしめでたし。


さて、話を戻しますが、

ゼーハーゼーハー登山している最中に、

ところどころ「しーたん」がいるんですよね。

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

1しーたん。

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2しーたん!

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3しーたん!!

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

4しーたん!!!

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

5しーたーん!!!!

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

6しーたーーーん!!!!!


長い戦でした・・・。


この「給しーたんポイント」がなかったら、

途中でくじけていたかもしれません。


ありがしーたん。


無事、頂上の城跡に到着しました。

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

山の上には誰もいるはずもなく、抜け殻の兜を置いて一枚。


何も残っていない、というような情報がありましたが、

そんなこともなく、

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

約400年前に掘られたであろう堀の跡や、

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

その余った土でかきあげられた土塁が、きちんと残っていました。

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

これは虎口(こぐち=入り口)跡かしら?


確かに建物などは何も残っていないのですが、

きちんと城があったということがわかって嬉しいねー。


そして、山頂には、

最上山「公園」ということもあって、

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

遊具があります。


遊ぶ体力もうないってー!


子どもはスゴイ。


しっかりした登山ということもあって、

山頂からの景色は見事です。

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

これから「下山」が待っていることを忘れさせてくれる美しさでした。


紅葉の季節になったら、さらにキレイなことでしょう。


そして、逆「給しーたんポイント」を通過しつつ、

何とか下山を果たし、登山口から再び城跡を眺めました。

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

右の樹木の隙間から見える山の頂上が、篠ノ丸城跡だったようです。


ハイエストマウンテン!


高いな、おい!


登る前に気付いて覚悟しておけば良かった。


これからお城へ訪れる方は、

きちんと軽い登山の恰好で行ってくださいねー。


さて、最後に、

黒田官兵衛がこの城の城主であった遺構をご紹介します。


本邦初公開だと思われます。


こちらです。

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

よーく見てみると、なんと!

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

十字架!


キリシタン大名であった官兵衛が城主だったという何よりの証です!


官兵衛の生誕地である姫路城にも、

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

十字架の鬼瓦がありました、

この篠ノ丸城にもその十字架が・・・!


登っている時に、

「この官兵衛ボケはおもしろいぞ~♪」と意気込んでいたのですが、

冷静になって聞いてみると・・・、しーたんに会わせる顔がないですね。


このくだらない官兵衛ボケを墓まで持っていくのはしんどかったので、

最初で最後の披露をさせていただきました。


おかげさまでしっかり成仏できたと思います。


アーメン。


さて、第7回は戦国のレ・ミゼラブル「上月城(こうづきじょう)」です。


どうかごひいきに~。




またね。