歴史芸人・長谷川ヨシテルが黒田官兵衛ゆかりの城を巡る!
【大河ドラマ先駆けツアー】
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前回に引き続きまして、

第5回は「姫路城(下)」をご紹介します。

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

姫路城は、

来年の大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公である、黒田官兵衛が生まれ育ったお城です。


官兵衛が居城していた時は、

こんな大天守(※現在、大修理中)や、

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

こんな櫓など、

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は全然建ってなく、

小さな小屋のような建物が並んでいたにすぎませんでした。


その後、

黒田官兵衛が羽柴(豊臣)秀吉にこの城を譲った時に改修され、

ちょこっと大きな城になって、

江戸時代に入って、

池田輝政(いけだてるまさ)という武将が大改修をして、

このような大きな城になりました。


そして、260年にも及ぶ長い江戸時代の間は、

城主がコロコロ入れ替わり、ところどころ整備されました。


こういった歴史もあってか、姫路城はとにかくバラエティに富んでます。


例えば「石垣」です。


”扇の勾配(こうばい)”の立派な石垣もあれば、(「ぬの門」)

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侵入した敵を奇襲するための隠れた門を設けるための石垣があったり、(「るの門」)

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(内側から)

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(観光客は存在にあまり気づかないようで、お城のガイドさんが近道として利用)

石垣を支えるための石垣があったり、(「補強石垣」)

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石垣の間に白い石臼が使われていたり、(「水の一門」の「姥が石」)

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(近所の姥が石材に困っていた秀吉にすすんで石臼を提供したことに由来するそう。実際は押収されたんだろうけど)

秀吉時代の石垣が残っていたり、(「上中里曲輪」)

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秀吉時代の空堀の跡があったり、(「三国堀」)

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(空堀の跡が石垣で埋められているという珍しい遺構)

顔のパーツに並べられた石垣があったり、(「ぬの門」の「鏡石」、別名「人面石」)

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

(登城ルートに入るということで「にらみを効かす」というような呪術的な意味があるらしい。同じ口がひん曲がった顔をしてみました)

ハート型の石垣があったり、(「ぬの門」)

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

見ていて、とにかく飽きることがありません。


そして「瓦の家紋」もバラエティに富んでます。

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

何かいろいろありますね。


蝶々がいたり、車輪があったり、巴があったり、桐があったり、

蝶々と車輪の紋はどこの家か知っていたのですが、

「巴紋・・・?巴紋はどこの家だ・・・?」

頭をポリポリしながら歩いていると、

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

なるほど!越前松平家か!!


「あれ?あと桐の紋は?秀吉か?」

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

「なるほど!秀吉の義理のお兄ちゃんの木下家か!」

良かった、解決しました。


案内板があると助かります。


しかしこう見ると、

城主になった家々は、なかなかのビックネームです。


先ほど言った池田輝政の奥さんは徳川家康の娘だし、

本多家と榊原家と酒井家は「徳川四天王」だし、

越前松平家は家康の次男の家系だし、

姫路城がどれほど重要視されてたかわかりますね。


ただ、こんだけ前の人の瓦が使われているということは、

あんまりお金がなかったんでしょうかね。


ということで一句。


『姫路城 お金がなくて 変わら(瓦)ない』


ガッハッハ。


ちなみに、こんな瓦も。

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十字架が刻まれた鬼瓦です。


江戸時代は鎖国でキリスト教は禁止されていましたから、

なぜこんなところに十字架があるのかは、謎だそうです。


一説には、

「シメオン」という洗礼名を持った、

キリシタン大名の黒田官兵衛のものが残ったのではないかと言われています。


とにかく謎みたいです。


「西の丸」には、

本多忠刻(ほんだただとき)に嫁いだ、

家康の孫娘・千姫(せんひめ)のための櫓群が残っていまして、

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

その長さから「長局百間廊下(ながつぼねひゃっけんろうか)」と呼ばれています。

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

「1間=約1.82m」ですから、「100間=約182m」ですね。


それほど長いと思われていたんですね。


そういうのありますよね。


「百人力」とか「江戸300年」とか、

少し大げさに言って、箔をつけようとする表現って。


実際はそれよりも結構小規模なんですよね。


この「長局百間廊下」もパンフレットによると、

実際には「約121間=約240m」しかないらしいです。


・・・・!?


実際の方が長いじゃない!!


そんなことあるの!?


ちょっとディスってゴメンナサイ!


この渡櫓の一つに、

千姫が化粧を直したという「化粧櫓(けしょうやぐら)」が残っています。


中では、

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

千姫が百人一首で遊んでいました。


読んだ詩の札をなかなか取らないので、

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「それだよそれ!」と指示を出してきました。


それでも彼女は動きませんでした。


ちなみに、

戦国のプリンス・千姫はヘビースモーカーだったみたいです。


千姫の右手にあるのが灰皿だそうです。


お姫様も大変ね。

(実際には健康のために吸っていたそう。伊達政宗も同じく)


さあそして、「大天守」はと言うと、

ただいま平成の大修理中ということで、

ケーキのようにカポっとフタをかぶせられています。

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

修理中ということで特別に設置されている、

スプラッシュ並みの待ち時間のエレベーターに乗れば、

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大天守の最上階と同じ目線に立つことができます。

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

まるで、碇シンジがエヴァの目の前に立ったのと同じように、

驚きと興奮に満ちた出会いとなりました。


大天守修理の見学は、来年の1月15日までだそうです。


僕たちが生きている内に、

城の天守と同じ目線で見つめ合うことはないかもしれませんので、

是非時間を作って、見に行ってほしいです。


最上階では、

姫路城の瓦の構造についての展示もあり、ガイドの方が詳しく説明してくれます。

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

この軒瓦の先を見て欲しいんですけど、先っぽだけ輪郭が取れてますよね。


これは屋根を流れてくる雨水をうまく流すために、このように細工されているそうです。


ちなみに、横から見ると、

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

同じように雨水をうまく流すために、ちょっと反っているんです。


うまくできてる!


そして、

この軒瓦の先から水がポタポタ垂れ続けると、地面がどんどん穴が空いていきますよね。


それはダサい!ということで、

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姫路城の軒下には、

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瓦が敷き詰められて、地面にダサい穴が空かないようになっているんです。


うまくできてるー!!!


第4回と第5回で二つに分けて紹介した姫路城ですが、まだまだ語り尽くせません!


滞在時間は、

前日の夜も入れると9時間を優に超えるのですが、もっともっと探検したかった!


名残惜しいかな、次なるお城へ!


第6回は、黒田官兵衛が初めて大名となった時のお城「篠ノ丸(ささのまる)城」です。


どうかご贔屓に~。




またね。