歴史芸人・長谷川ヨシテルが黒田官兵衛ゆかりの城を巡る!
【大河ドラマ先駆けツアー】
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第2回は「三木(みき)城」です。

$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』

神戸電鉄粟生(あお)線の「三木上(うえ)の丸駅」が最寄りで、

そこから歩いて1分のところに三木城が、

というか、言ってみたら駅も城の敷地内にあります。


上の丸=本丸って言ってるくらいですもんね。


駅を左手に出て、

江戸時代に栄えた街道だという商店街を左に入り、

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急峻な坂を登ると、

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あっと言う間に三木城跡に到着です。

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現地の案内板によると、

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本丸にあたるようです。


三木城といえば、

1577から1578年に起きた「三木の干し殺し」が有名です。


織田信長の軍団長として派遣された羽柴秀吉が、

軍師の黒田官兵衛と竹中半兵衛を率いて、

周辺の山々に陣取り三木城を大軍で囲み、

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2年に渡る歳月をかけて落城させました。


その壮絶な戦の三木城を仕切ったのが、

播磨の戦国武将、別所長治(べっしょながはる)でした。

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圧倒的な軍勢を相手に戦った別所軍でしたが、

約2年もの月日は城の兵糧を食い尽くし、

別所さんはとうとう城を明け渡すことにしました。


その時、別所さんは秀吉にこう伝えたといいます。


「自分が腹を切る。だから、領民の命だけは救ってくれ」


享年23だったと言われています。


地元の方といろいろお話しましたが、三木の別所さん人気はスゴイです。


まさに地元のヒーローです。


三木で「別所さんと言えば?」と聞いたら、

「ハムの人」でなく「城の人」と返ってきます。


城自体は、

本丸が跡地として残っているのみということで、

かんかん井戸や、

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天守台が残っています。

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天守台には、

別所長治さんの辞世の句が石碑として残っています。

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「今はただ 恨みもあらじ諸人の 命に代はる 我が身と思へば」


好きな辞世の句の一つです。


一番のお気に入りは、

このブログのタイトルとして使わせてもらっている、

剣豪将軍・足利義輝辞世の句なんです。


それは良いとして。


お城の遺構はそれだけということでしたが、しっかり残っていました。


本丸から二の丸の方へ歩いていくと、

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本丸と二の丸の間に道が走っています。


お!ひょっとして・・・!


この本丸と二の丸に比べて少し低い道を、

先ほどの城の古地図と見比べてみると、

やはり・・・堀の跡でした!


一段低かった堀の跡を、

現在は道路として整備され利用されているようです。


本丸の跡を巡ってみると、

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周りより少し低い道が取り巻いています。


400年前の歴史が今も息づいているなんて、素敵じゃないですか。


そして、

何となしに二の丸跡の方へ足を運ぶと、

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「三木甲冑倶楽部」なるものを見つけました。


少し古い民家のような建物に恐る恐る足を踏み入れると、

中では、ご年配の方や子供たちが、甲冑を手作りしていました。

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これ、全部紙で出来ているんです。


指を加えてヨダレ垂らして見ていると、

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全身着させてくれましたー!


素晴らしい完成度です。


それと共に、僕の老後の趣味も決まりました。


突然の訪問ではありましたが、

三木甲冑倶楽部の皆様、

親切にしてくださってありがとうございました。


また、本丸跡には「金物(かなもの)神社」があります。

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別所長治さんが敗れ、秀吉がこの地に入ると、

「立派な若い武将がいた素晴らしい土地」ということで、

秀吉はこの地の復興を大規模に行ったそうです。


その際に、

全国各地から超優秀な大工さんを呼びました。


それに伴い、

大量の大工用具が必要となり、

それを作る鍛冶職人の方も集まり、

以後、金物の地として大いに栄えることとなったそうです。


現在も全国屈指の金物の街として名を馳せているそうです。


そんな由緒ある場所に建つ、金物神社のお土産がこちら。

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左から、

「のこべえ(鋸)」、「のみきち(鑿)」、「かんなどん(鉋)」、「こがたなちゃん(小刀)」、「こてっち(鏝)」。


ぼくは「かんなどん」推しです。


どうやら「かんなどん」は1番人気らしく、

着ぐるみが完成したようで、

11月の「三木金物祭り」でソロデビューするそうです。


どうやら金物のゆるキャラではありますが、

現代の金の問題には勝てず、

この度、ソロデビューということになったそうです。


帰りの電車まで少しばかり時間があるということで、

駅から徒歩30秒の「万寿庵」へ。

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「くりのすけ」が出迎えてくれました。

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そして、名物「あまぐりジェラート」を一つ。

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やだー、うまあまーい!


あまぐりとジェラートがこんなに合うとは・・・!


この日は既に夕方近くなっていたのですが、

たくさんの城を巡るための分刻みの過密スケジュールのため、

まだ朝から何にも口にしていないことに気づきました。


そんな事情も手伝ってくれて、

あまぐりジェラートのとりことなっていました。


ごちそうさまでした!


では、最後に一句。


「くりのすけ 名前のわりに デカかった」


第3回は「御着(ごちゃく)城」です。


どうかご贔屓に~。




またね。