歴史芸人・長谷川ヨシテルが黒田官兵衛ゆかりの城を巡る!
【大河ドラマ先駆けツアー】
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第2回は「三木(みき)城」です。
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/3b/45/j/t02200124_0599033712729617806.jpg?caw=800)
神戸電鉄粟生(あお)線の「三木上(うえ)の丸駅」が最寄りで、
そこから歩いて1分のところに三木城が、
というか、言ってみたら駅も城の敷地内にあります。
上の丸=本丸って言ってるくらいですもんね。
駅を左手に出て、
江戸時代に栄えた街道だという商店街を左に入り、
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/4e/25/j/t02200165_0800060012729614904.jpg?caw=800)
急峻な坂を登ると、
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/da/ac/j/t02200165_0800060012729614903.jpg?caw=800)
あっと言う間に三木城跡に到着です。
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/b7/91/j/t02200165_0800060012729614905.jpg?caw=800)
現地の案内板によると、
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/5b/22/j/t02200165_0800060012729625693.jpg?caw=800)
本丸にあたるようです。
三木城といえば、
1577から1578年に起きた「三木の干し殺し」が有名です。
織田信長の軍団長として派遣された羽柴秀吉が、
軍師の黒田官兵衛と竹中半兵衛を率いて、
周辺の山々に陣取り三木城を大軍で囲み、
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/c7/a9/j/t02200165_0800060012729615728.jpg?caw=800)
2年に渡る歳月をかけて落城させました。
その壮絶な戦の三木城を仕切ったのが、
播磨の戦国武将、別所長治(べっしょながはる)でした。
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/16/yoshiteru-hasegawa/49/fe/j/t02200165_0800060012729639762.jpg?caw=800)
圧倒的な軍勢を相手に戦った別所軍でしたが、
約2年もの月日は城の兵糧を食い尽くし、
別所さんはとうとう城を明け渡すことにしました。
その時、別所さんは秀吉にこう伝えたといいます。
「自分が腹を切る。だから、領民の命だけは救ってくれ」
享年23だったと言われています。
地元の方といろいろお話しましたが、三木の別所さん人気はスゴイです。
まさに地元のヒーローです。
三木で「別所さんと言えば?」と聞いたら、
「ハムの人」でなく「城の人」と返ってきます。
城自体は、
本丸が跡地として残っているのみということで、
かんかん井戸や、
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/76/a8/j/t02200165_0800060012729614907.jpg?caw=800)
天守台が残っています。
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/e5/8f/j/t02200165_0800060012729614906.jpg?caw=800)
天守台には、
別所長治さんの辞世の句が石碑として残っています。
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/a4/9a/j/t02200165_0800060012729615729.jpg?caw=800)
「今はただ 恨みもあらじ諸人の 命に代はる 我が身と思へば」
好きな辞世の句の一つです。
一番のお気に入りは、
このブログのタイトルとして使わせてもらっている、
剣豪将軍・足利義輝辞世の句なんです。
それは良いとして。
お城の遺構はそれだけということでしたが、しっかり残っていました。
本丸から二の丸の方へ歩いていくと、
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/bb/b1/j/t02200165_0800060012729615732.jpg?caw=800)
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/6e/20/j/t02200165_0800060012729616577.jpg?caw=800)
本丸と二の丸の間に道が走っています。
お!ひょっとして・・・!
この本丸と二の丸に比べて少し低い道を、
先ほどの城の古地図と見比べてみると、
やはり・・・堀の跡でした!
一段低かった堀の跡を、
現在は道路として整備され利用されているようです。
本丸の跡を巡ってみると、
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/03/f9/j/t02200165_0800060012729616578.jpg?caw=800)
周りより少し低い道が取り巻いています。
400年前の歴史が今も息づいているなんて、素敵じゃないですか。
そして、
何となしに二の丸跡の方へ足を運ぶと、
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』-20131019_135519-1.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/16/yoshiteru-hasegawa/2f/83/j/t02200318_0342049412729656983.jpg?caw=800)
「三木甲冑倶楽部」なるものを見つけました。
少し古い民家のような建物に恐る恐る足を踏み入れると、
中では、ご年配の方や子供たちが、甲冑を手作りしていました。
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/d0/3f/j/t02200165_0800060012729616576.jpg?caw=800)
これ、全部紙で出来ているんです。
指を加えてヨダレ垂らして見ていると、
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/8e/bb/j/t02200124_0800045012729617807.jpg?caw=800)
全身着させてくれましたー!
素晴らしい完成度です。
それと共に、僕の老後の趣味も決まりました。
突然の訪問ではありましたが、
三木甲冑倶楽部の皆様、
親切にしてくださってありがとうございました。
また、本丸跡には「金物(かなもの)神社」があります。
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/31/8b/j/t02200165_0800060012729615731.jpg?caw=800)
別所長治さんが敗れ、秀吉がこの地に入ると、
「立派な若い武将がいた素晴らしい土地」ということで、
秀吉はこの地の復興を大規模に行ったそうです。
その際に、
全国各地から超優秀な大工さんを呼びました。
それに伴い、
大量の大工用具が必要となり、
それを作る鍛冶職人の方も集まり、
以後、金物の地として大いに栄えることとなったそうです。
現在も全国屈指の金物の街として名を馳せているそうです。
そんな由緒ある場所に建つ、金物神社のお土産がこちら。
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/b4/8d/j/t02200165_0800060012729616575.jpg?caw=800)
左から、
「のこべえ(鋸)」、「のみきち(鑿)」、「かんなどん(鉋)」、「こがたなちゃん(小刀)」、「こてっち(鏝)」。
ぼくは「かんなどん」推しです。
どうやら「かんなどん」は1番人気らしく、
着ぐるみが完成したようで、
11月の「三木金物祭り」でソロデビューするそうです。
どうやら金物のゆるキャラではありますが、
現代の金の問題には勝てず、
この度、ソロデビューということになったそうです。
帰りの電車まで少しばかり時間があるということで、
駅から徒歩30秒の「万寿庵」へ。
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/a8/ce/j/t02200165_0800060012729616579.jpg?caw=800)
「くりのすけ」が出迎えてくれました。
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/88/87/j/t02200293_0800106712729616915.jpg?caw=800)
そして、名物「あまぐりジェラート」を一つ。
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/2f/fb/j/t02200124_0599033712729617805.jpg?caw=800)
やだー、うまあまーい!
あまぐりとジェラートがこんなに合うとは・・・!
この日は既に夕方近くなっていたのですが、
たくさんの城を巡るための分刻みの過密スケジュールのため、
まだ朝から何にも口にしていないことに気づきました。
そんな事情も手伝ってくれて、
あまぐりジェラートのとりことなっていました。
ごちそうさまでした!
では、最後に一句。
「くりのすけ 名前のわりに デカかった」
第3回は「御着(ごちゃく)城」です。
どうかご贔屓に~。
またね。
【大河ドラマ先駆けツアー】
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第2回は「三木(みき)城」です。
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/3b/45/j/t02200124_0599033712729617806.jpg?caw=800)
神戸電鉄粟生(あお)線の「三木上(うえ)の丸駅」が最寄りで、
そこから歩いて1分のところに三木城が、
というか、言ってみたら駅も城の敷地内にあります。
上の丸=本丸って言ってるくらいですもんね。
駅を左手に出て、
江戸時代に栄えた街道だという商店街を左に入り、
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/4e/25/j/t02200165_0800060012729614904.jpg?caw=800)
急峻な坂を登ると、
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/da/ac/j/t02200165_0800060012729614903.jpg?caw=800)
あっと言う間に三木城跡に到着です。
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/b7/91/j/t02200165_0800060012729614905.jpg?caw=800)
現地の案内板によると、
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/5b/22/j/t02200165_0800060012729625693.jpg?caw=800)
本丸にあたるようです。
三木城といえば、
1577から1578年に起きた「三木の干し殺し」が有名です。
織田信長の軍団長として派遣された羽柴秀吉が、
軍師の黒田官兵衛と竹中半兵衛を率いて、
周辺の山々に陣取り三木城を大軍で囲み、
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/c7/a9/j/t02200165_0800060012729615728.jpg?caw=800)
2年に渡る歳月をかけて落城させました。
その壮絶な戦の三木城を仕切ったのが、
播磨の戦国武将、別所長治(べっしょながはる)でした。
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/16/yoshiteru-hasegawa/49/fe/j/t02200165_0800060012729639762.jpg?caw=800)
圧倒的な軍勢を相手に戦った別所軍でしたが、
約2年もの月日は城の兵糧を食い尽くし、
別所さんはとうとう城を明け渡すことにしました。
その時、別所さんは秀吉にこう伝えたといいます。
「自分が腹を切る。だから、領民の命だけは救ってくれ」
享年23だったと言われています。
地元の方といろいろお話しましたが、三木の別所さん人気はスゴイです。
まさに地元のヒーローです。
三木で「別所さんと言えば?」と聞いたら、
「ハムの人」でなく「城の人」と返ってきます。
城自体は、
本丸が跡地として残っているのみということで、
かんかん井戸や、
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/76/a8/j/t02200165_0800060012729614907.jpg?caw=800)
天守台が残っています。
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/e5/8f/j/t02200165_0800060012729614906.jpg?caw=800)
天守台には、
別所長治さんの辞世の句が石碑として残っています。
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/a4/9a/j/t02200165_0800060012729615729.jpg?caw=800)
「今はただ 恨みもあらじ諸人の 命に代はる 我が身と思へば」
好きな辞世の句の一つです。
一番のお気に入りは、
このブログのタイトルとして使わせてもらっている、
剣豪将軍・足利義輝辞世の句なんです。
それは良いとして。
お城の遺構はそれだけということでしたが、しっかり残っていました。
本丸から二の丸の方へ歩いていくと、
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/bb/b1/j/t02200165_0800060012729615732.jpg?caw=800)
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/6e/20/j/t02200165_0800060012729616577.jpg?caw=800)
本丸と二の丸の間に道が走っています。
お!ひょっとして・・・!
この本丸と二の丸に比べて少し低い道を、
先ほどの城の古地図と見比べてみると、
やはり・・・堀の跡でした!
一段低かった堀の跡を、
現在は道路として整備され利用されているようです。
本丸の跡を巡ってみると、
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/03/f9/j/t02200165_0800060012729616578.jpg?caw=800)
周りより少し低い道が取り巻いています。
400年前の歴史が今も息づいているなんて、素敵じゃないですか。
そして、
何となしに二の丸跡の方へ足を運ぶと、
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』-20131019_135519-1.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/16/yoshiteru-hasegawa/2f/83/j/t02200318_0342049412729656983.jpg?caw=800)
「三木甲冑倶楽部」なるものを見つけました。
少し古い民家のような建物に恐る恐る足を踏み入れると、
中では、ご年配の方や子供たちが、甲冑を手作りしていました。
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/d0/3f/j/t02200165_0800060012729616576.jpg?caw=800)
これ、全部紙で出来ているんです。
指を加えてヨダレ垂らして見ていると、
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/8e/bb/j/t02200124_0800045012729617807.jpg?caw=800)
全身着させてくれましたー!
素晴らしい完成度です。
それと共に、僕の老後の趣味も決まりました。
突然の訪問ではありましたが、
三木甲冑倶楽部の皆様、
親切にしてくださってありがとうございました。
また、本丸跡には「金物(かなもの)神社」があります。
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/31/8b/j/t02200165_0800060012729615731.jpg?caw=800)
別所長治さんが敗れ、秀吉がこの地に入ると、
「立派な若い武将がいた素晴らしい土地」ということで、
秀吉はこの地の復興を大規模に行ったそうです。
その際に、
全国各地から超優秀な大工さんを呼びました。
それに伴い、
大量の大工用具が必要となり、
それを作る鍛冶職人の方も集まり、
以後、金物の地として大いに栄えることとなったそうです。
現在も全国屈指の金物の街として名を馳せているそうです。
そんな由緒ある場所に建つ、金物神社のお土産がこちら。
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/b4/8d/j/t02200165_0800060012729616575.jpg?caw=800)
左から、
「のこべえ(鋸)」、「のみきち(鑿)」、「かんなどん(鉋)」、「こがたなちゃん(小刀)」、「こてっち(鏝)」。
ぼくは「かんなどん」推しです。
どうやら「かんなどん」は1番人気らしく、
着ぐるみが完成したようで、
11月の「三木金物祭り」でソロデビューするそうです。
どうやら金物のゆるキャラではありますが、
現代の金の問題には勝てず、
この度、ソロデビューということになったそうです。
帰りの電車まで少しばかり時間があるということで、
駅から徒歩30秒の「万寿庵」へ。
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/a8/ce/j/t02200165_0800060012729616579.jpg?caw=800)
「くりのすけ」が出迎えてくれました。
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/88/87/j/t02200293_0800106712729616915.jpg?caw=800)
そして、名物「あまぐりジェラート」を一つ。
![$長谷川ヨシテルのブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/15/yoshiteru-hasegawa/2f/fb/j/t02200124_0599033712729617805.jpg?caw=800)
やだー、うまあまーい!
あまぐりとジェラートがこんなに合うとは・・・!
この日は既に夕方近くなっていたのですが、
たくさんの城を巡るための分刻みの過密スケジュールのため、
まだ朝から何にも口にしていないことに気づきました。
そんな事情も手伝ってくれて、
あまぐりジェラートのとりことなっていました。
ごちそうさまでした!
では、最後に一句。
「くりのすけ 名前のわりに デカかった」
第3回は「御着(ごちゃく)城」です。
どうかご贔屓に~。
またね。