この度、誰に求められているわけでもなく、


新しいブログコーナーを作りました。



その名も「れきし余論(よろん)」。



話題となっている歴史モノ(映画、ドラマなど)を、


より楽しく見るための歴史のバックボーンや豆知識などをご紹介します。



”本論を補うために加えられた論”という意味を持つ「余論」は、


新井白石先生が書いた歴史書「読史余論(とくしよろん)」から拝借しました。



白石先生、勝手にお借りします。



今回、余論したいなと思う作品は、


劇場版 タイムスクープハンター 安土城 最後の1日 』です!


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【あらすじ】

タイムワープを駆使して、色々な時代の人々の生活を記録するタイムスクープ社。

今回の舞台は、織田信長が築いた安土城。

わずか3年で消失を遂げた幻の名城の謎を、タイムスクープハンターの沢嶋雄一(要潤さん)が謎の解明に挑みます。



さて、この絶賛公開中の映画を楽しむための余論を、


サクサクっとQ&A形式でお送りしたいと思います。



■安土城ってどこにあったの?


安土城は、織田信長が築いたお城で、現在の滋賀県近江八幡市にあったの。


”城”と言われて一番初めにイメージする”天守”が初めて造られたお城で、現在は石垣や堀だけで建物は全然残ってないです。


「幻の」とか「謎」とか言われるのは、安土城の全貌がいまだによくわかってないからで、天守もどんな感じだったかという定説はないのよね。


ちなみに、今回の映画のロケ地として使われたそうですよ。


あかいらか長谷川のブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』

(三重県伊勢市にある伊勢安土桃山文化村の安土城の復元天守。行ってみたいな。)



■3年でなくなったの?


1576年に工事が始まって、1579年に完成して、信長は岐阜城から安土城の天守へ引っ越したんですが、1582年に「本能寺の変」が起きて、その1週間後に焼失したの。


ちなみに、殿様は天守には住まないで、麓の御殿に住むのが普通だったのですが、信長は日本史史上唯一、天守に住んでいたそうですよ。



■何でなくなったの?


それが今回の映画の本筋!、で諸説あるの。


①秀吉軍に敗れた、明智軍による放火

②織田信長の次男、信雄(のぶかつ)による放火

③城の金品を狙った野盗などによる放火

④落雷による失火


一体どれなんでしょうかね。


映画内でも夏帆さん演じる細野ヒカリが、沢嶋に「どの説だと思います?」と聞いていました。


当時の宣教師の記録で、「信雄がバカだから放火した」というのがあるそうなので、②じゃないかなと個人的には思うんです。


でもそれはきっと、”歴史上の出来事は有名な人物が作り上げてきた”という先入観が大きく関係しているんですよね。


この映画は”歴史上の名もない人々の生活を記録する”ということなので、その前提が通用しません!


では、一体どんな結論を見出したのか?それが見所なわけです。



■本能寺の変?秀吉?明智?信雄?ちょっと説明しろや。


・1582年6月2日「本能寺の変」

天下をほしいままにしていた織田信長が、自分の家臣であった明智光秀に本能寺で討たれる。


・1582年6月13日「山崎の戦い」

羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が、信長の仇を討つために、現在の岡山県岡山市にある高松城から引き返してきて、明智光秀を討つ。


OK?


この2つ戦いの間、明智軍は安土城を占拠していたわけ。


だけども、「山崎の戦い」で明智光秀が敗れると、明智軍は安土城から出て行ったの。


その時に、放火したんじゃないかと言われていて、①の説はここから出るわけ。


その後、もぬけの殻になっていた安土城に入ったのが、信長の次男の信雄。


現在の三重県にいた信雄は、宣教師の言う通り”おバカさん”で、お父さんが討たれた「本能寺の変」の後もなぜか動かず、秀吉に大きく遅れをとってしまったの。


「よし!ここが勝負どころ!」というわけで、急に兵を進めて安土城に入るわけ。


無人のお城なんですけどね。


そして、ここで信雄がやったといわれるのが、明智軍の残党のあぶり出し。


つまり、安土の城下町に火をつけて、残った明智軍を見つけ出すという作戦をとったんです


ここで大問題・・・!


何と、城下町に放った火が、城の方へ・・・。


信雄「あ、パパのお城、燃えちゃった・・・・」、というのが、②の信雄放火説です。


これが安土城焼失の謎の一部でございます。


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(織田信雄。愚鈍ではあったのですが、のらりくらりと戦国を生き抜き、江戸時代まで生きました。)



■映画の中で、茶器がキーポイントだったんだけど、茶器について教えろや。


お茶は、戦国武将の流行、ファッション、ステータス!


信長は特にお茶が好きで、その後を引き継いだ秀吉もお茶が大好き。


そのお茶に使う道具も、いつのまにやら価値がグングン上がって、今で言う国宝級、数億円?数兆円?の価値があったの。


信長の家臣の滝川一益(たきがわかずます)さんなんかは、現在の群馬県と長野県の一部、関東全体の県知事のような役職を信長から与えられる時に、「あの、領地や役職より、ちゃ、茶器がほしいです・・・!(ジュルジュル)」と言ったそうです。


信長にきっぱりと断られるんですけどね。


この映画に出てくるのは、天下三肩衝の一つ、”楢柴肩衝(ならしばかたつき)”。


”肩衝”っていうのは、肩の部分が角ばった茶入(ちゃいれ)で、”楢柴”という名前は「万葉集」からつけられたそうです。


豊臣秀吉、徳川家康に渡って、1657年の江戸中が焼けた”明暦の大火”の後、なくなってしまったと言われています。


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(これは、天下三肩衝の一つ、初花。戦国武将はこの茶入のために命をかけたんです。自分が小学生の頃のミニ四駆の存在に遠からず近からず。)



■おもしろい?


おもしろい!!



■ありがとう。


どういたしまして。






またね。