戦国漫遊記です。



あかいらか長谷川が訪れた、


城や古戦場、博物館などをご紹介します。



先日、千葉県君津市の『久留里城(くるりじょう)』をご紹介しまして、


本当にありがたいことに、


「ブログおもしろかったです!今度行こうと思います!」という方がたくさんいて、


というわけではないのですが、


併せて訪問した千葉県の城を、今回もご紹介したいと思います。



今回取り上げるのは、『大多喜城(おおたきじょう)』です!


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千葉県大多喜町にあるお城です。



大多喜城といえば、本多忠勝(ほんだただかつ)さん。



徳川家康の重臣として大活躍した、”徳川四天王”の一人です。



どうすごかったかと言いますと、


忠勝さんは、


姉川の戦い、長篠の戦い、小牧長久手の戦い、関ヶ原の戦い・・・etc、


生涯で57回の合戦に参加したのですが、


何と、カスリ傷一つ負わなかったそうです。



つ、つえー。



見た目はどんな人だったかというと・・・、


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間違えました。



こんな人でした。


あかいらか長谷川のブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』


イカツイですね。



ちなみに、大多喜城の中にある博物館で、


上の歴史バカのように、


無料で兜と陣羽織を試着することができますよ。



ちなみに、頭についている鹿の角の部分は、


あまり重くならないように、紙を固めたものでできていたそうです。



そんな知識を自身の中でひけらかして、


「(これは見た目より軽いから。エッヘン)」と、意気揚々と着用したのですが、


腰のヘルニアに続いて、首ももっていかれるとこでした。



おもっ・・・!



お気をつけあれ。



昭和に再建された天守は、


資料館として利用されておりまして、


小高い丘の上の本丸跡に建っております。


あかいらか長谷川のブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』


本丸跡から二の丸・三の丸・城下町の景色です。



良い景色ですね。



二の丸は現在、


大多喜高校として利用されていまして、敷地内に、


日本最大級の大井戸(周囲17メートル)と、


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薬医門(やくいもん)が残されています。


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そして、


門の中から、本丸を眺めてみると・・・


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あら、イイじゃない!



天守が見えました~。



ああ、大多喜高校の学生諸君、


こんな素晴らしい歴史の景色の中で勉強ができるなんて、


君達がうらやましいぞ。


あかいらか長谷川のブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』


そして、井戸と門を見つめ続ける変な大人を、


見てみぬふりをしてくれてありがとう。



そんなこんなしているとお腹が減ってきまして、


駐車場にある、「食事処 与作」さんにおじゃましました。


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・・・・。



ん? ”鹿から揚げ”? ”鹿南蛮”?



忠勝さんの兜からのインスパイアーに違いない。



恐いもの見たさで、もちろん注文してきました。



手元にある大多喜城のパンフレットと、


先ほど撮った大井戸と薬医門の写真を眺めていると、


鹿料理が着陣しました!!


あかいらか長谷川のブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』

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少し怪しげな見た目と、ちょっと独特のにおい?



恐る恐る一口・・・・。



うまいー!!!



お酒のつまみにピッタリだー!!!



お酒飲まないけどー!!!



あと、本多家の家紋ー!!!


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夏休みに行ったからだけど、カキ氷屋さんの「氷」に見えたぞー!!!






またね。