【戦国瓦版 ~あかいらか長谷川がオススメする歴史小説~】



「この仕事はヤダ!自分に向いてない!」とか、


「もっと自分のことをしっかり評価してくれる場所がある!」とか、


自分の現状に満足していない人って結構いると思うんですよ。



僕も闇雲に、「売れたい!」とか、


調子に乗っている時は、「オレはこんなもんじゃない!」なんて思っているわけです。



自己防衛本能なのか、ただのナルシストなのか、一体何なのか、


心理学者の方、カモーン。



(それは良いとして・・・)



そんな風に仕事でモヤモヤするのは現代人だけじゃなく、


なんと400年以上前の戦国武将も同じ!



「戦国武将も仕事で悩むんだなぁ、人間だもの」


ということで、


仕事で悶々とする現代人の心を打つ小説が、こちら、


あかいらか長谷川のブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』-2013-07-30 04.30.01.jpg2013-07-30 04.30.01.jpg


『虚(うつ)けの舞』(伊東潤)です。



仕事で悩む武将は二人、


織田信雄(おだのぶかつ)と、北条氏規(ほうじょううじのり)。



信雄は、織田信長の次男として生まれたポンコツボンボン、


氏規は、北条氏康の四男として生まれた出来杉君でした。



二人の敵は、豊臣秀吉。



本能寺の変の後、織田家の家督を誰が継ぐかという時に、


信長の次男という恵まれた条件をまったく生かせず、


織田家の実権を秀吉に奪われることになった信雄。



天下統一間近の秀吉に敵対した北条氏、


その中で、才能溢れる武将であったが、


四男という立場上、実権を握ることができず家が滅亡してしまった氏規。



二人の武将を通して感じることは、


『”能力”を発揮できる”場所”』との巡り合わせです。



それを著者の伊東さんは小説内でこう描いています。



『”枡”からこぼれた”酒”は、誰にも飲めない』



”枡”は’天運’、”酒”は’器量(才能)’を表すようです。



(枡=天運、酒=器量)



つまり、


『いくら才能に溢れていようと、チャンスが巡ってくるわけではない』、ということでもあるし、


『いくら才能がなくてもチャンスは巡ってくる』、ということでもあるでしょう。



これはまさに、信雄と氏規を表す言葉であると同時に、


僕たち現代人にも当てはまる言葉です。



「イケメンと結婚したい!」



美人だからと言って結婚できるわけでもないし、


ブスだからと言って結婚できないわけでもないんです。



「じゃあ、アタシあきらめない!」



これって本当に難しいですよね。



自分の”枡”と”酒”をしっかり客観的且つ俯瞰的に見ないといけません。



信雄も氏規も、その視点がなかったために悩んでいました。



そしてこれは、我われ現代人が抱えている悩みと一緒なんです。



どこか過大評価してしまう自分、もしくは過小評価してしまう自分がいたり、


何かに一喜一憂して小さく生きてしまう自分がいます。



信雄も氏規もそうでした。



しかし、”枡”と”酒”を自分の『運命』として受け入れてからの信雄と氏規は違いました。



「ただ生きる」ということを腹に決めるんです。



この決断が、かっこいい・・・!



信雄は、自分には”酒”がないことを、


氏規は、自分には”枡”がないことを、しっかりと受け入れるんです。



(信雄は結構後半ではありましたが)



これが、本当にかっこいい・・・!!



秀吉との争いで自分の身内がたくさん亡くなった中、


生き残っている二人は、周りから見れば、


ただただ生き恥をさらしているようなものです。



そういった状況でのこの決断は、心を揺さぶるものがあります。



歴史というのは、ぬくもりのある面白さを時に提供してくれるもので、


二人を苦しめた秀吉の豊臣家は、たった2代で滅亡したのに対して、


信雄の織田家、氏規の北条家は、戦国時代、江戸時代、幕末を生き抜き、


両家の系譜は、現代へ続いているそうです。



そして、この小説の主人公になって、


現代人が抱えた仕事のモヤモヤを、少し軽くしてくれているのです。



ということは、


あなたのモヤモヤが、未来の人の特効薬にやってるかもしれません。



それが自分の愛する子供や孫かもしれません。



(何だか、ミスチルの「彩り」がBGMで聞こえてきそうです)



そんな風に思うと、通勤電車の窓から見える景色が、いつもより・・・・いつも通りですかね。



ははは。



いってらっしゃい!





またね。