【戦国瓦版 ~あかいらか長谷川がオススメする歴史小説~】
「この仕事はヤダ!自分に向いてない!」とか、
「もっと自分のことをしっかり評価してくれる場所がある!」とか、
自分の現状に満足していない人って結構いると思うんですよ。
僕も闇雲に、「売れたい!」とか、
調子に乗っている時は、「オレはこんなもんじゃない!」なんて思っているわけです。
自己防衛本能なのか、ただのナルシストなのか、一体何なのか、
心理学者の方、カモーン。
(それは良いとして・・・)
そんな風に仕事でモヤモヤするのは現代人だけじゃなく、
なんと400年以上前の戦国武将も同じ!
「戦国武将も仕事で悩むんだなぁ、人間だもの」
ということで、
仕事で悶々とする現代人の心を打つ小説が、こちら、
『虚(うつ)けの舞』(伊東潤)です。
仕事で悩む武将は二人、
織田信雄(おだのぶかつ)と、北条氏規(ほうじょううじのり)。
信雄は、織田信長の次男として生まれたポンコツボンボン、
氏規は、北条氏康の四男として生まれた出来杉君でした。
二人の敵は、豊臣秀吉。
本能寺の変の後、織田家の家督を誰が継ぐかという時に、
信長の次男という恵まれた条件をまったく生かせず、
織田家の実権を秀吉に奪われることになった信雄。
天下統一間近の秀吉に敵対した北条氏、
その中で、才能溢れる武将であったが、
四男という立場上、実権を握ることができず家が滅亡してしまった氏規。
二人の武将を通して感じることは、
『”能力”を発揮できる”場所”』との巡り合わせです。
それを著者の伊東さんは小説内でこう描いています。
『”枡”からこぼれた”酒”は、誰にも飲めない』
”枡”は’天運’、”酒”は’器量(才能)’を表すようです。
(枡=天運、酒=器量)
つまり、
『いくら才能に溢れていようと、チャンスが巡ってくるわけではない』、ということでもあるし、
『いくら才能がなくてもチャンスは巡ってくる』、ということでもあるでしょう。
これはまさに、信雄と氏規を表す言葉であると同時に、
僕たち現代人にも当てはまる言葉です。
「イケメンと結婚したい!」
美人だからと言って結婚できるわけでもないし、
ブスだからと言って結婚できないわけでもないんです。
「じゃあ、アタシあきらめない!」
これって本当に難しいですよね。
自分の”枡”と”酒”をしっかり客観的且つ俯瞰的に見ないといけません。
信雄も氏規も、その視点がなかったために悩んでいました。
そしてこれは、我われ現代人が抱えている悩みと一緒なんです。
どこか過大評価してしまう自分、もしくは過小評価してしまう自分がいたり、
何かに一喜一憂して小さく生きてしまう自分がいます。
信雄も氏規もそうでした。
しかし、”枡”と”酒”を自分の『運命』として受け入れてからの信雄と氏規は違いました。
「ただ生きる」ということを腹に決めるんです。
この決断が、かっこいい・・・!
信雄は、自分には”酒”がないことを、
氏規は、自分には”枡”がないことを、しっかりと受け入れるんです。
(信雄は結構後半ではありましたが)
これが、本当にかっこいい・・・!!
秀吉との争いで自分の身内がたくさん亡くなった中、
生き残っている二人は、周りから見れば、
ただただ生き恥をさらしているようなものです。
そういった状況でのこの決断は、心を揺さぶるものがあります。
歴史というのは、ぬくもりのある面白さを時に提供してくれるもので、
二人を苦しめた秀吉の豊臣家は、たった2代で滅亡したのに対して、
信雄の織田家、氏規の北条家は、戦国時代、江戸時代、幕末を生き抜き、
両家の系譜は、現代へ続いているそうです。
そして、この小説の主人公になって、
現代人が抱えた仕事のモヤモヤを、少し軽くしてくれているのです。
ということは、
あなたのモヤモヤが、未来の人の特効薬にやってるかもしれません。
それが自分の愛する子供や孫かもしれません。
(何だか、ミスチルの「彩り」がBGMで聞こえてきそうです)
そんな風に思うと、通勤電車の窓から見える景色が、いつもより・・・・いつも通りですかね。
ははは。
いってらっしゃい!
またね。