戦国漫遊記です。



以前から、ちょこちょこと観光先のことを書いていたのですが、


そこのタイトルが決まっていなかったので、「戦国漫遊記」と名づけました。



水戸黄門の講談名「水戸黄門漫遊記」から、勝手に頂戴しました。



戦国時代を始めとする小説を紹介する、


「戦国瓦版」というのも、勝手にやっているのですが、


こっちの旅の方は、少し更新が怠っておりますので、昨日の今日で、早速更新しておきたいと思います。



そうなんです。



昨日、福島県会津若松市へ、遊びに行ってきました。



会津若松と言えば、鶴ヶ城です。



ちょこちょこ観に行くのですが、


今年の1月から、大河ドラマ「八重の桜」が始まったと言う事で、


また行きたくなってしまったというわけなの。



そして、会津若松には、大河ドラマスタートと合わせて、


「大河ドラマ館」という施設がオープンしました。


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中には、大河ドラマ出演者のサインやコメント映像、


そして実際に着ていた衣装などが展示させています。



また、少しマニアックですが、


撮影セットのこだわりなども、映像や模型で展示されていました。



八重の桜をご覧になっている方は、ご存知だと思うんですが、


八重の家、山本家には、射撃場がありますよね。



あの射撃場の秘密が、公開されているんです。



その秘密とは何なのか、行ってみてください。



開いているのは、来年の1月までらしいので、お早めにー。



ドラマ館の最後には、起き上がり小法師制作コーナーが。



復興のための寄付をすると、作ることができます。


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綾瀬はるかさんも作ったようで、ぼくも色付けをしてきました。



できました。


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自分をつくりました。



愛着がコンコンと湧き出てきました。



おうちに飾ろうと思います。



そして、会津武家屋敷にも行ってまいりました。


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これは中心地からは、少し離れるのですが、


絶対に訪れた方が良い場所です。



八重の桜だと、西田敏行さんが演じている、


西郷頼母(さいごうたのも)の屋敷を復元したものです。



西郷頼母というのは、会津藩の家老(重役の人)です。



家老ということもあって、本当に立派な屋敷でした。



ここで問題。



Q.武家屋敷には様々な部屋があります。対面するための部屋、奥方や子どものための部屋、お茶のための部屋、では、玄関の隣の部屋は、何のため部屋でしょうか。


Q.武家屋敷にあるお風呂には、湯を沸かすための釜がなく、台所で沸かした湯を運んできたそうです。それは一体何のためでしょうか。


Q.お茶をたてるための部屋には、銅を金具として使うことは避けたそうです。一体なぜでしょうか。



答えは、おいおい。



真ん中の問題が一番簡単かもです。



さて、ここは、屋敷以外にも、


江戸時代の精米所や役所などもあったり、


坂本龍馬を暗殺したと言われる、京都見廻組の佐々木只三郎の墓もあったりと、


とても充実感のある場所ですよ。



間に、


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会津名物、ソースカツ丼と、


喜多方名物、喜多方ラーメンのセットを食べまして、


雪の降る、鶴ヶ城へ!


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美しい・・・。



美しいじゃありませんか・・・。



雪がすごかったので、


鶴ヶ城天守の、4箇所の撮影スポットの内、1箇所しか行けませんでしたが、


この姿を見られたら、もう満足です。



ちなみに、個人的な撮影スポットの4箇所は、


御殿跡からスタンダードに一枚、


月見櫓跡の高い位置から一枚、


鉄門(くろがねもん)近くから走長屋(はしりながや)を入れて一枚、


帯郭(おびぐるわ)から接近して一枚、


現地に行った際には、ご参考までに。



上の写真は、黒鉄門近くからの一枚です。



あと、廊下橋というところから、


上階の見える天守を入れて一枚撮るのも良いですよ。



あかいらか長谷川のブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』



石垣の上に、ちょっとだけ天守が見えています。



あと、廊下橋付近の石垣は、鶴ヶ城屈指のものです。



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鶴ヶ城で、一番高い石垣なのかしら。



見事です。



鶴ヶ城というのは、京都や江戸から見れば、遠い位置にありますが、


城は、とてもスマートなイメージを連想させます。



北と西に、出丸を築いたり、街ごと堀で囲む総構えを築いたり、


そして、凛とした天守が建ち、とても洗練されています。



会津若松をこういったものにしたのは、


小田原征伐の後に、この地に赴任した蒲生氏郷(がもううじさと)さんです。



誰、それ?



はい、


蒲生氏郷は、


肖像画を見る限り、単なる、顔長もみ上げオジサンなんですが、


実は、戦国の麒麟児(=頭良くて将来有望な子)とも言われ、


織田信長が、自分の娘を嫁にあげたりするほど、


戦国武将の中で、一目置かれていた存在です。



千利休の弟子にもなったり、


当時入ってきたばかりのキリスト教に入ってキリシタン大名となったり、


合戦でも、先頭にたって、相手を圧倒したそうです。



文武両道で何でもできちゃう、そんなカッチョイイ武将です。



ちなみに、キリシタンネームは、「レオ」です。



カッチョイイでしょ。



兜も、ナマズの尻尾からとも、インスパイアーを受けた、奇抜なものをかぶっています。



カッチョイイですよ。



ナマズじゃなくて、ツバメとも言われていますが。



「蒲生氏郷 画像」で、肖像画も兜も出てくると思いますよー。



そんな氏郷は、


現代の会津の基礎を築いたと言われていて、


自分の出身地にある地名をとって、会津を「若松」と名づけたり、


城の名前を、自分の幼い頃の名前「鶴千代」からとって「鶴ヶ城」と名づけたり、


仕事のない武士に、先ほどの「起き上がり小法師」を作らせ仕事にさせたり、


とにかく、カッチョイイんですよ。



殿様の名前のついた会津の祭りは、この蒲生氏郷だけとか、そうじゃないとか。



そんな噂を聞きました。



最後に、鶴ヶ城のゆるキャラ「お城ボ」と一枚。


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動いているお城ボを、まだ見たことがありません。



ちなみに、お城ボの肌を見て分かるとおり、


鶴ヶ城は、赤い瓦を使っています。


※コンビ名の「あかいらか」とは、鶴ヶ城は直接関係ないです。



赤い瓦は表面に釉薬(うわぐすり)を塗って焼いていて、丈夫にできているそうです。



聞いた話によると、雪が解けて、普通の瓦に染み付いて、そのまま凍ってしまうと、


瓦がパリンッと割れてしまうそうです。



釉薬を塗ると、水を通しづらいらしく、瓦が持つそうです。



デザイン的なことはわかりませんが、


とにかく赤瓦は、長く瓦を使うためのコツだったんですね。



あー、また行きたい。



次は、会津藩の学校、日新館に寄りたい。



会津若松、雪にも関わらず、街は大いにぎわっていました。



皆さんも、是非遊びに行ってみてください。






またね。