お金をおろしてから、

今日は、

江戸東京博物館に行こうと思って、

まずは両国の郵便局に向かいました。


すると、

郵便局までの通り道に、

回向院(えこういん)というお寺がありました。


あかいらか長谷川のブログ『我が名をあげよ、雲の上まで。』

案内板が出てたので読んでみると、

何でもその辺りが、

かつての両国国技館跡だそうです。


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へー、

と納得して回向院に入ると、


相撲関係の方を祀る力塚がありました。


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力強いです。



そんな力強さとは反対に、


このお寺、


ペット供養もしている寺でした。


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あら、かわいい。



墓だけでなく、


ペットの霊安室などもありました。



また、


猫の恩返しの元となった、


猫も祀られていました。


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にゃるほど、


と納得してさらに中へ入ると、


何と、


鼠小僧のお墓がありました。


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まさか鼠小僧のお墓にお目にかかれるとは、


思ってもみませんでした。



変なつながりと偶然性から、

一人でワクワクしちゃいました。


鼠小僧っていうのは実在した人物らしく、

墓のかけらを持っていると、

金回りが良くなるらしく、

小さな石の墓が削りたい放題でした。


あと回向院は、

江戸時代の明暦の大火の振り袖火事の、

死者を祀っているところらしく、

そのことから、

難破や事故などの死者の供養の、

代表的なお寺になったらしいです。


お金をおろして、

そろそろ江戸東京博物館へ向かおうかとすると、

さらに案内板があって、

近くに芥川龍之介の住居跡があるとのことで、

そちらも行ってきました。


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芥川龍之介の実家は、

牛乳屋さんだったみたいですね。


そしてさらに、

案内板があって、

近くに勝海舟の生誕の地もあるとのことで、

そちらにも寄ってきました。


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おじいちゃんおばあちゃん達が散歩していました。



石碑がある場所は公園になっていて、

石碑の隣は、

ラジオ体操の広場になっていました。


勝海舟もここで第二をしてたのでしょうか。


勝海舟って、

それこそマンガに出てきそうなネーミングですよね。


ヨーロッパの海賊の話を、

強引に和訳したらこうなりました、

みたいな。


かっこいい名前です。


さあ、

そろそろ江戸東京博物館に行こうかと思ったら、


赤穂浪士(あこうろうし)の討ち入りで有名な、

吉良上野介邸跡が近くにあるとのことで、

ここまで来て、

吉良邸だけ行かないのもおかしな話だと思い、

寄ってきました。



わずかに復元された吉良邸跡と、

向かいにある和菓子の大川屋さんのまんじゅう、

その名も"吉良まんじゅう"の写真です。


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吉良まんじゅうは、

中身が白あんで、

外の皮にきな粉が入っていました。


これがまたおいしい。


きな粉の皮は始めて食べました。


1個180円です。


あれ、190円だったかな。


ちなみに、


吉良邸の中には、


吉良義央の坐像や、


赤穂浪士が吉良義央の首を洗った井戸などが、


展示されていました。


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寄ってみてください。


さて、

もう江戸東京博物館に行かないとと思ったのですが、

吉良邸跡の史料を見ると、

近くに川が流れているのに気がつきました。



最近、

水運ブームが来ているので、

これは下町の水運事情を知るのに良い機会だと、

見に行くことにしました。


南へ向かうとすぐにたどり着きました。


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川の名前は竪川(たてかわ)、

江戸城から見て人工的に竪に作ったことから、

その名が付いたらしいです。


始めは排水路だったらしいのですが、

後に中川から隅田川への経由で、

使われていたらしいです。


よし、もう隅田川に出ちゃおう、

と隅田川方面に向かうと、

途中に神社がありました。

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名前は、

江島杉山神社(えのしますぎやまじんじゃ)。


奉られているのは、

杉山和一(すぎやまわいち)という方で、

盲人の最高位の検校(けんぎょう)についた方だそうです。


何でも、

鍼術(しんじゅつ)の先駆けになった方で、

管を使って針を刺す管鍼術を編み出した方だそうです。


また、

世界初の盲人の為の教育施設を作った方でもあるそうです。


江ノ島と関係が深いらしく、

江ノ島の洞窟に見立てた、

プチ江ノ島洞窟も境内にありました。


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プチ富士山があるのと同じで、

江戸時代に流行った信仰の仕方みたいですね。


和一さんは、

将軍綱吉に謁見した際に、

何がほしいか尋ねられると、

一つで良いから目がほしい、

と答えたそうで、

それを聞いた綱吉は、

現在の神社がある土地をプレゼントしたそうです。


その土地の名前が、

元々"一ツ目"と言ったらしいです。


何とも意趣のあるやりとりです。


そして、

竪川にかかる一ノ橋を渡りました。

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隅田川から見て一番目の橋だから、

その名がついたようです。


何でもその橋は、

赤穂義士が泉岳寺へ逃げる際に渡った橋だそうです。


その橋を渡って、

とうとう隅田川に出ました。


その辺りに、

首都高が走っており、

ちょうど両国ジャンクションが見えました。



その隅田川と首都高のコントラストが最高でした。


そして、

隅田川に沿って北上すると、

大きな橋、

両国橋にたどり着きました。


橋を渡ってみると、

小さな川が隅田川に合流していることに気がつきました。


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何だこの川は、

かかってる橋は柳橋、知らないなぁと、

そこにある案内板をみると、

この川は何と神田川でした。


知らぬ間に、

神田川と隅田川の合流地点に来ていました。


水運ブームが到来しているぼくには、

これ以上嬉しいことはありません。


そして、

川を見ると、

まるでそこだけ時間の流れが遅くなっているかのように、

味のある屋台船が並び、

川の上に木で組み上げられた出店が並んでいました。


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思わず、

ほわー、

と声を出してしまうと思います。


じゃあ、そろそろ帰ろうと、

もう一度逆方向に両国橋を渡ろうとすると、

左の方に存在感のある建物を発見しました。



何と、


東京スカイツリーです。


線路には、

走行中の総武線付きです。


思わぬ巨頭の出現に、

ほわー、

と声を漏らしてしまいました。


ダルビッシュを観にアメリカ行ったら、

ちょうどマリナーズ戦で、

イチローと川崎も見れた、

みたいなそんな感じです。


きれいでした。


と、日が暮れてきたので、

タイムリーな建物を見て、

散歩を終わりしました。


偶然性が生んだ散歩、楽しすぎました。


散歩というか、

感覚としては旅に近かったです。


いろいろな発見がありすぎて、

こんな楽しみ方もあるんだなぁと、

少し大人になった気すらします。


今度は違う街を歩いてみよう。


こうやって文章にすると、

各所をスラスラと回ってるようだけど、

結構迷ったよ。



今日の写真の中で2枚、


あかいらか長谷川がいるよ。



探してみてね。






またね。