〜私の無邪気さと心の傷〜
『花束みたいな恋をした』
この映画、観に行ってきました!💐❤️
絹ちゃん(有村架純さん)と麦(菅田将暉さん)くんの口喧嘩シーン。もともと、「やりたくないことはしなくていいよ」と言っていた麦くんがやりたくないことをやるようになり、それとは対照的な絹ちゃん。
私は2人の仕事に対する考え方から来る言葉のすれ違いのシーンが一番心に残りました。
仕事は遊び、楽しいもの、やりたいことをしたい。それを選んだ麦ちゃん。
もともと絵を描きたいけど、現実を目の当たりにしてからは、現状維持すること、それが2人の将来の幸せに繋がると信じて就職し、やりたくないことを仕事は仕事だからと言ってやっている麦くん。
「偉い人って小説読んでも何も感じないよ」、前に麦くんにかけてもらった慰めの言葉を、今度は絹ちゃんが麦くんにかけた時の麦くんの答え、衝撃でしたね、、
それから、映画を観終わった後も、私の中で何かこのシーンがモヤモヤする。何がこんなにモヤモヤするのだろう。そこを考えているうちに、この「無邪気」な絹ちゃんの姿を自分に重ね合わせているんだと気が付きました。きっと、私がこのシーンを見ていて、心の中で思っていたことは、
「好きで無邪気をやってるんじゃないよ!」
でした。そこが私の中で心の傷の一つだったんです。
思えば、私自身小さい頃から沢山親に怒られて、怒られ続けた人生でした。そこで、私はストレスを顔に出さないという選択を取ってきました。なぜならそうするしかなかったから。私のことを怒った母親は、怒りたいだけ怒ったら、その次の瞬間ケロッとその怒りを忘れて笑顔で別のことをしている。ひどい時には、私の泣き方を笑い物にする。「あんたいつまで泣いてるの?」、これも何度言われたことか...
だから、ストレスを感じても周りに「嫌だ」「辛い」「しんどい」と訴えられなくなってきた。訴えないと決め込んでしまっていました。そこで出来上がったのが、「無邪気」な私、だったんです。
いつもいつも笑顔で、どれだけ嫌なことがあっても無理に忘れて次に目を向けて、引きずってないふりをする。「あんたってストレス無さそうでいいよね」と、親から言われたこともありました。ストレスがないわけじゃなかったけれど、人の前ではそういう素振りを見せずにできるだけ我慢してきた人生でした。
そうやって、「なんでも楽しみたい、いい気分でやりたい。」
そうじゃないと生きていけない、というのから段々、そうあるべきだに変わっていき、知らず知らずのうちにそんな気持ちを仕事にも当てはめるようになっていきました。
だから、
「仕事は楽しい」「やりたいことをやっている」
そう信じて止まない私が、
「仕事なんてダルい」「仕事は大変」
そう愚痴をこぼす人を見ると疑問しか湧かなかったのです。
でも、これも私自身が口には出さなくても、心の中では私の価値観を相手に押し付けているということ。相手の仕事のしんどさ・大変さを理解しようとはできていませんでした。
そして、映画の話に戻りますが、「いつまでも遊び気分でいいよな」、麦くんの発言を聞いた時に、「私だって好きで無邪気でいるんじゃないよ」と。
私の無邪気さには、無邪気なふりをすることで自分を守ってきたという過去があったから、いつも上機嫌なフリでいると褒めてもらえたから、そうじゃない自分のことを自分で許せていなかったから、だから、「好きで無邪気なんじゃない」そのような気持ちが抑えきれずに出ていたんだと思います。
思えば、「口角を上げると、笑顔でいると、落ち込んでた気分が上がるよ。」よく言われるこう言ったことを私が納得できないのも、小さい頃の傷から来てるのかもしれません。今まで散々笑顔でいようと努力してきた。けど、その場限りのもの、何も解決しなかったじゃない、という無力感を学んでしまってたんだと思います。
映画を観ることでその傷に気がつくことができた。その上で、じゃあ今どうするか。
「その無邪気さには価値があるんだよ。なかなか周りの人には真似できるものじゃない、私だけのもの。それが私の良さなんだよ。」と、自分で自分をわかってあげる。
そして、
「無邪気でも無邪気じゃなくてもどっちでもいい」と、少しずつどんな自分でも許可してあげる。
これを十分やって初めて、「仕事は大変」という人の愚痴を本当の意味で聞いてあげられる自分になれるんじゃないかな、と思います。
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