無事という言葉、これを聞いて何を思い浮かべますか?
きっと日常において「無事に帰ってきてね」や、事故や災害に巻き込まれたけど「無事だった」と使うのではないでしょうか?
実は、茶道では、年末になると口をそろえたように「無事」という掛け軸が使われます。なぜなら、今年一年大きな災いに遭うこともなく今ここにいられることへの感謝と、お正月を無事迎えられますようにという願いがこの「無事」には込められているからです。
今回は、職場近くの十日えびすにお詣りに行って、そういう茶道的な「無事」な一年を肌身で感じられたというお話です。
えべっさん最終日の11日の夜、本殿でお願い事をしようとしたときの私は去年もここに来てお願い事をしたことに思いを馳せていました。
「そういえば去年は、そのお正月前の年末に実家に帰ったことが原因で、親との間で散々な年明けだったなあ。」
一年前の年末、久しぶりに実家に帰ってみたのですが、まだその時は自分の心の問題が何も解決していなかった時でした。
・「これだけ社会人として頑張ってたら一人前として認めてもらえるんじゃないか?」
・「家出してこれだけ長い間本当の意味で自力で暮らしていたら、さすがに自分の覚悟は伝わっているはずだ。」
そんな淡い期待を抱いて実家に帰ってみたのですが、そんなものはみごとに打ち砕かれ、さらにそれにとどまらず、追い打ちをかけるような、
「あなたが幸せになろうとどうでもいい、もう関心ないから、勝手にどうぞ」
というメッセージまで来たのでした。これを見た私の中から自尊感情なんてものはすっかり消えてなくなって、
「私なんていないほうがいいんだ」
去年はお正月から出勤だったのですが、一歩歩くたびにこんな言葉が出てきて、歩く気力すらない、もうこのまま立ち止まってへたり込みたい、とまで思うような最悪な年明けを迎えることになりました。その時の私は、普通のレベルでだれかに優しくしてもらっても、「なんでこんな私に優しくしてくれるの?私にはそんな価値なんてないのに」
と心の中で自分を全否定、仕事中でも油断すると涙が出てくるというもうメンタルボロボロな状態でした。
だったからこそ、去年の私にとって「今年は穏やかな一年になりますように」、これが自然と思い浮かんだお願い事でした。でもその後も仕事で上手くいかないことだらけでした。カウンセリングを受けるとは決めたものの自分の過去の心の傷と向き合うしんどい作業、人生を変えるのに自分の一番怖いことと向き合う毎日、まだまだしんどい想いもしたし、世間ではコロナで大変な年でもあったというのが去年の一年間。
今年の私はそういう去年のことを思い出しながら手を合わせてました。でも、「いや待てよ」と考えが少し変わって
「こうして無事ここに自分がいられるのは神様が守ってくれたおかげ、去年一年色々あったけど、これが神様なりの穏やかだったのかも 私は十分恵まれてるのかも。」
去年の色んな感情を忘れたわけではないですが、今ここに自分が生きていられることにどこからともなく感謝の念が湧いてきました。
例えば、
・働けなくなるほどの大きな怪我や病気をしなかった
・ちゃんと仕事もあって貯金がなくなって借金しないといけなくなるってことにならなかった
・そう言えば自転車で一回も転けなかった(今気づいた!)。
全ては上手くいっていたんです。自分がどこを見るかを選んでいただけ。
「こんなしんどいこともあった」「こんな大変なこともあった。」「だから最悪」
と言うこともできますが、
同じ一年でも、
「しんどかったけどそれは自分がそれだけ頑張った証拠」「大変だったけど、それを乗り越えられたのは助けてくれた周りの人のおかげ」「だから、自分にも周りにも感謝でいっぱい」
と思うこともできるんです!
だからこそ、
「今年も一年守ってください。自分のできることを、人のせいにせずにやっていきます。」と今年の私は神様に感謝しながらお願いすることができました。
それを聞いていたのか、おみくじでも、「物事は思うままにはいかないよ」と書いてあって、でも、「そうだよね、そんな世の中でも生きていきたい」と思えた自分でした。
その後、ちゃんと耳の遠いえべっさんのために、裏門からもノックして同じお願い事をするのも忘れませんでした。
きっと日常において「無事に帰ってきてね」や、事故や災害に巻き込まれたけど「無事だった」と使うのではないでしょうか?
実は、茶道では、年末になると口をそろえたように「無事」という掛け軸が使われます。なぜなら、今年一年大きな災いに遭うこともなく今ここにいられることへの感謝と、お正月を無事迎えられますようにという願いがこの「無事」には込められているからです。
今回は、職場近くの十日えびすにお詣りに行って、そういう茶道的な「無事」な一年を肌身で感じられたというお話です。
えべっさん最終日の11日の夜、本殿でお願い事をしようとしたときの私は去年もここに来てお願い事をしたことに思いを馳せていました。
「そういえば去年は、そのお正月前の年末に実家に帰ったことが原因で、親との間で散々な年明けだったなあ。」
一年前の年末、久しぶりに実家に帰ってみたのですが、まだその時は自分の心の問題が何も解決していなかった時でした。
・「これだけ社会人として頑張ってたら一人前として認めてもらえるんじゃないか?」
・「家出してこれだけ長い間本当の意味で自力で暮らしていたら、さすがに自分の覚悟は伝わっているはずだ。」
そんな淡い期待を抱いて実家に帰ってみたのですが、そんなものはみごとに打ち砕かれ、さらにそれにとどまらず、追い打ちをかけるような、
「あなたが幸せになろうとどうでもいい、もう関心ないから、勝手にどうぞ」
というメッセージまで来たのでした。これを見た私の中から自尊感情なんてものはすっかり消えてなくなって、
「私なんていないほうがいいんだ」
去年はお正月から出勤だったのですが、一歩歩くたびにこんな言葉が出てきて、歩く気力すらない、もうこのまま立ち止まってへたり込みたい、とまで思うような最悪な年明けを迎えることになりました。その時の私は、普通のレベルでだれかに優しくしてもらっても、「なんでこんな私に優しくしてくれるの?私にはそんな価値なんてないのに」
と心の中で自分を全否定、仕事中でも油断すると涙が出てくるというもうメンタルボロボロな状態でした。
だったからこそ、去年の私にとって「今年は穏やかな一年になりますように」、これが自然と思い浮かんだお願い事でした。でもその後も仕事で上手くいかないことだらけでした。カウンセリングを受けるとは決めたものの自分の過去の心の傷と向き合うしんどい作業、人生を変えるのに自分の一番怖いことと向き合う毎日、まだまだしんどい想いもしたし、世間ではコロナで大変な年でもあったというのが去年の一年間。
今年の私はそういう去年のことを思い出しながら手を合わせてました。でも、「いや待てよ」と考えが少し変わって
「こうして無事ここに自分がいられるのは神様が守ってくれたおかげ、去年一年色々あったけど、これが神様なりの穏やかだったのかも 私は十分恵まれてるのかも。」
去年の色んな感情を忘れたわけではないですが、今ここに自分が生きていられることにどこからともなく感謝の念が湧いてきました。
例えば、
・働けなくなるほどの大きな怪我や病気をしなかった
・ちゃんと仕事もあって貯金がなくなって借金しないといけなくなるってことにならなかった
・そう言えば自転車で一回も転けなかった(今気づいた!)。
全ては上手くいっていたんです。自分がどこを見るかを選んでいただけ。
「こんなしんどいこともあった」「こんな大変なこともあった。」「だから最悪」
と言うこともできますが、
同じ一年でも、
「しんどかったけどそれは自分がそれだけ頑張った証拠」「大変だったけど、それを乗り越えられたのは助けてくれた周りの人のおかげ」「だから、自分にも周りにも感謝でいっぱい」
と思うこともできるんです!
だからこそ、
「今年も一年守ってください。自分のできることを、人のせいにせずにやっていきます。」と今年の私は神様に感謝しながらお願いすることができました。
それを聞いていたのか、おみくじでも、「物事は思うままにはいかないよ」と書いてあって、でも、「そうだよね、そんな世の中でも生きていきたい」と思えた自分でした。
その後、ちゃんと耳の遠いえべっさんのために、裏門からもノックして同じお願い事をするのも忘れませんでした。