前回、せっかくハイ・ファンタジーだったので、
今回もハイ・ファンタジーの話です。
「ダレン・シャン」
ダレン・シャンを読み始めたのは、確か2002年夏だった。
最初は買って読んでいたが、
まだまだ続きそうなので4巻目から図書館に切りかえた。
その関係で、図書館にはいってくる、または返却されるまで、
かなり辛抱強く?待つことになって、この間、やっと全巻読み終えた。
やはり、とびとびだと、前の続きを忘れていることもあり、
ずいぶん前の話を思い出すのに、苦労した。
2,3巻目あたり、
私は、この「ダレン・シャン」の作者は絶対アイルランド人だと思っていた。
なぜなら、彼の考え方自体がとてもケルト的なのだ。
外伝を読んで、「ああ、やっぱり」と。
アイルランド人ではなかったが、アイルランドの血が流れている。
ケルトといえば、とても尊敬できる思想だと私は思っている。
実は、「ダレン・シャン」は、ハイ・ファンタジーとしてはそういう面で
異色のように思う。
バンパイヤという面から少し血なまぐさいというか・・最初の頃、
絶えずそんな思いにとらわれていた。
それが4,5巻目ぐらいから少し、本のもつ色が変化したようにも思う。
外伝を読んで、初めて作者の身辺の話を聞くにつれ、
意外と若いのに驚いた。17歳から書き始めて、今は20代前半らしい。
そういわれてみれば、確かに・・他のファンタジー作家と比べて、
より主人公主体の物語の展開、それから主人公が気負いすぎる場面の
描写が少し目についた記憶がある。
自分が世界を救う場面でも、他の作家なら自然ともっていく手法を、
ダレン・シャンの場合には「自分が世界を救うんだ!」という気負いが
ほんのすこーし感じられたのだ。
英雄へのあこがれ?みたいなもの?というのが、本を読み重ねるごとに
増している気がする。
それなのに反面、自分の優しさを理解されず傷つく繊細さ、
かと思うと攻撃的な一面を主人公が見せたりする。
このアンバランスさは、確かに思春期の頃の不安定さすら思い起こさせる。
何巻目だったか忘れたが、彼の本のあとがきにこう書いてある。
『現実はきたないし、とても厳しい。主人公がどうなろうとおかまいなしで
ハッピーエンドなどそっちのけ。人は死ぬし喧嘩には負けるし悪が善に勝つ』
・・うーん、実にケルト的というか、
作者の年でこんな言葉が出るという驚きというか・・。
これが児童書の部類にはいっているのだから、
時代がずいぶん変わったんだなあとそう思う。
考えてみれば、勧善懲悪の世界はキリスト教なんだよね。
世の中って、勧善懲悪で割り切れるほど、そんなに単純じゃないし、
また割り切れたら、本当は危険なのだ。
ダレン・シャン 1
/ダレン・シャン
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