価値観の違いを理解することは、
とても難しいことだとつくづく思うことが多い。
価値観の違いは、
相手を理解することを難しくさせるだけでなく、
相手への許容範囲をせばめてしまうことすらある。
私たちは、イラク戦争で何を学んだか?
正義はどこにもない。
あるのは、価値観の違いだけだ。
相手を理解しようとしたのか?
自分の価値観を、相手に強要しなかったのか?
大きなことは、小さなことにもつながっていく。
私は、イラク戦争のことをいいたかったのではなく、
そうした人間の思考のあり方に、いつも疑問をもっている。
きのう、こういうことがあった。
きのう、ひさしぶりに会った人に、突然言われた言葉。
「あんたは、結婚前まで、めぐまれすぎてたから、
だから、結婚後、しわ寄せがきて、苦労してるんだ」ってね。
何を基準に、人の幸・不幸を、他人が断定できるのだろう?
私は、むっとして、
「結婚してからのほうが、しあわせだ!」と言い切った。
そんなことを、何も知らない他人にいわれるなんて、
私にとってみれば、余計なおせっかいだ。
たぶん、結婚後、私がお金に苦労することが多かったから、
その人は、そんなことを言ったんだろうとさっしがつく。
その人の幸せの基準は、お金があるか、ないかの基準なのだ。
そして、「私はあなたより、お金をもっているから、
私のほうが、しあわせなのよ」とでも、いいたいのだろうか?
人と比較しての幸せほど、こんな不安定な幸せはない。
というより、その人は、そういいながら、
本当に幸せなのだろうか?と思ってしまった。
私は結婚前は、確かにお金にはめぐまれていたけど、
少しも幸せを感じたことはなかった。
それに比べ、今のほうが精神的には、
充実感、幸福感を感じることが多いのだ。
たとえば、今の夫が、お金持ちでも心がなかったら、
私は、打算ではいっしょにいられない人間だから
すぐに、離婚していたろう。
思いやりのある人だから、いっしょにいれるのだ。
漫才の「かつみ、さゆり」だって、
人からみたら、とても不幸に見えるかもしれないが、
さゆりちゃんは、とても幸せそうだから、それでいいではないか。
他人がどうこういう問題ではない。
ものの基準というものは、本当にあやふやで、
常識をふりまわす人ほど、自分の常識に他人をあてはめ、
その尺にあわないと、攻撃しはじめてくる。
相手の状況、心理などおかまいなしだ。
そういう人ほど、「世間」の一般的な常識で物事をいいはじめるから、
反論できないのだ。
正論なのだ、正論なだけに、反論できないが、
なんと思いやりのない言葉だろうとつくづく思うことが多いのだ。
「理屈ではわかるんだけどね、感情がね・・」というやつだ。
逆に、めちゃくちゃなんだけど、
本質ついた言葉は、魂に響くことがある。
そんな時、私はいつだったか、
テレビでみたNYの日本人ミュージシャンを思いだす。
彼は、言葉をしぼりだすように叫んでいた。
「孤独なオレを、放っておいてくれ!」
年の頃、20代前半のロックの若者。
彼は、人間の何をみてしまったのだろう。
私は時々、ふっとこの人のことばを思い出すことがある。
そんな時は、必ず、TVで、したり顔の大人がでてくる時だ。
何もしない大人が、何の責任もなく、
したり顔で偉そうに「これはよくない」だの、
「そんなことをするべきではない」だのと、
いったい自分の基準でもって、他人を批判している。
いいじゃないか、自分がやりたいなら、
人様に迷惑をかけているんでもないなら・・って思うと
私は、このミュージシャンのことばに戻るのだ。
ほめてくれる大人が、どれだけいるだろう?