『ビスカイノ金銀島探検報告』の次の記載によると、スペイン国王・メキシコ副王の大使セバスティアン・ビスカイノは、伊達政宗領の三陸沿岸測量のため1611年11月8日(慶長十六年十月四日)仙台に到着。11月10日政宗と会見すべく、仙台城へ登城した。
今回、筆者は、『ビスカイノ金銀島探検報告』の記載から、この仙台城での会見をビスカイノと政宗の動きに着目して、仙台城の城郭内においてどのように移動したかについて読み解いてみたい。本論は《その一》である。
すでに先行研究により、このビスカイノと政宗の会見が、仙台城本丸「大広間」で行われたことは、内山淳一氏などにより指摘されていることではある。しかし、それが本当に事実であるのかを実証史学の方法論をもって詳細に検証した研究は今までない。
そこで、本論で筆者は、諸史料の先行研究により判明している大広間の間取りに、ビスカイノと政宗の行動を落とし込んでみることにより、この指摘が本当に正しく、事実と確定できるのかを厳格に検証していきたい。
また、その解明の過程で見えてくる本丸「大広間」の間取り構造の一部について、実証していくこととする。さて、「裏上段の間」「柳の間」の一義的な使用用途と機能は如何に?
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