学芸員・大沢の研究ノート Second Season

学芸員・大沢の研究ノート Second Season

歴史博物館 青葉城資料展示館の学芸員・大沢慶尋の学芸活動のノート。日ごろの調査研究活動や教育活動、また個人的な日常の関心事や出来事などについて思うままに綴る。

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戦国武将。進退の危機に陥った時、やれることをやり尽くし、クライマックスシーン(最後の場面)を迎える武将は多い。

伊達政宗もその一人といえるが、それにプラスして政宗はクライマックスシーンの前に「歌舞く(かぶく)シーン」を作り自らを演出する。最後の最後に美感ただよう一輪の花を咲かせて、それを見せるのだ。それはオーディエンス(聴衆)がいることを意識してオーディエンスに対して歌舞くのであり、そのことで、最後の最後に聴衆を味方につける。

 

小田原参陣。石垣山の陣所での豊臣秀吉との初謁見時には、髪を水引で一束にし決死の覚悟をもって死装束姿で登場、控える徳川家康・前田利家をはじめとする諸大名、秀吉の重臣・側近らオーディエンスの度肝を抜き、心を掴んだ。いや、命の振り子を握っている天下人秀吉の心をも掴んだに違いない。

【上掲画像2点…みちのく伊達政宗歴史館 提供

 

葛西大崎一揆の弁明のための入京では、金の磔柱を先頭に死装束姿の行列であらわれ、京童を味方につけた。

 

朝鮮出兵の京からの出陣では、きらびやかな軍装行列で京童を驚かせ心を掴み、「伊達者」と言わしめ味方につけた。朝鮮出兵は政宗にとっても決死の覚悟であった。

伊達者軍装

 

未曾有の大災害「慶長三陸地震・津波」(史料には1,783人溺死、あるいは5,000人溺死)が起こった時には、その1年11ヵ月後に、洋式帆船サン・ファン・バウティスタ号を建造し、国の存亡をかけて支倉常長ら慶長遣欧使節をヨーロッパへと派遣してみせた。実に勇壮で美しい船体だ。

 

どんなに劣悪な状況下でも、政宗はその最悪の状況下の頂点(マックスクライマックス)にあって、美しい花を咲かせようとした。

 

そして、それにより、生存をかけた窮地をことごとく乗り超えた。

 

これらを通じて、伊達政宗はわたしたちに大切なことを教えてくれる。

 

どんなに劣悪な環境下にあっても、死を目の前にした淵にあっても、実は人は美しい花を咲かせることができるのだ。

 

状況のせいにしてはならない。

 

環境のせいにしてはならない。

 

他人のせいにしてはならない。

 

美しき花は咲く場所を選ばない。ただ凛としてそこに咲くだけ。

 

伊達政宗の一生を通覧する時、私はそんな政宗独自の美学をそこにみる。

そして、わたしもまた、そうありたい! 

 

あなたにもまたそうあってほしい!

 

遅すぎることはない。

それは今からでもいい。

 

いや、最後の最後でもいいのだ。