とり天&豊後牛鉄板焼(フィレ 130g) グリルみつば@大分県別府市北浜 | いろいろアウトな日々

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ただ、一さいは過ぎて行きます。


さて、今回の記事もまた

2016年12月20(火)~22日(木)の
2泊3日大分・別府温泉巡りレポの

続きなんですが。

 

今回は温泉ではなくて、

2日目12月21日(水)の夕食です。

 

いったん宿泊先の

『ビジネスホテル松美』に帰り、

「やよい商店街」をてくてく歩いて

やって来ましたのは……

 

 


『グリルみつば』です。

 

「やよい商店街」から

新宮通りを少し海側に

入ったところにあります。

 

看板の文字が見えますか?

 

「豊後牛 洋食 中華」

と書いてありますよね?

 

『グリルみつば』は

この3つのジャンルを一度に

食べることができるお店なんです。

 

 


とりわけ名物なのが

大分のブランド牛である

「豊後牛」の鉄板焼ステーキと

大分と言えば……の「とり天」。

 

これ先に書いちゃいますが、

僕が大分・別府で

いちばん好きなとり天が

『グリルみつば』のとり天なんです。

 

いや、もちろん僕なんて

数回大分・別府を訪れただけの

旅行者に過ぎませんので、

とり天の経験値は

極めて低いのですが。

 

それでもやはり

『グリルみつば』のとり天は

地元でもかなりの人気のようで

お昼時には行列ができるとか。

 

 


入口を入ったところに

個体識別番号が。

 

前日12月20日の夕食には

『一力』で豊後牛の焼肉を

食べたばかりなんですが、

ここは『グリルみつば』でも

豊後牛を食べなくちゃね!

 

僕は旅行先では

ケチケチしない主義なんです。

 

とは言え、

皆さん覚えておられますか?

 

この日の朝に食べた

メンチカツ2個とコロッケはいいとして、

昼には『丸福』の巨大なからあげの

ももとはねを食べてご飯をおかわりし、

さらには『岡本屋売店』でプリン、

『茶房たかさき』でケーキセットと

立て続けに食べてきたわけで

正直あんまりお腹が空いてない!(爆)

 

 


メニューです。

 

 


もちろん、まずはとり天を。

 

大分・別府では

和食や洋食のお店でも

とり天を食べることができますが、

『グリルみつば』では

「中国料理」に分類されています。

 

 


で、前日の『一力』では

あえて食べなかった

フィレの鉄板焼130gを。

 

まあ安くはないよ、

豊後牛のステーキなんだからね、

でも、比較的リーズナブルかな、と。

 

ゆうて、

この時の僕のお腹の加減では

これが限界でした(苦笑)。

 

 


アルコールメニュー。

 

 


エビスの生をチョイス。

 

あー、

今日も温泉にいっぱい入って

疲れたな~(笑)。

 

 


さあ、来ましたよ、とり天です。

 

軽くマウンテン状態ですね!(爆)

 

でね。

 

とり天には大分市にも別府市にも

有名なお店がたくさんありまして。

 

それぞれがそれぞれの立場で

いろんなことを

主張しているわけです。

 

『グリルみつば』は

とり天の元祖といわれる『東洋軒』から

独立したお店のようですが……

 

とりあえず

『グリルみつば』の「言い分」を

HPからコピペしておきます。

 

長いし誤字もありますが

できれば読んでみてください、

興味深いですから。

 

 

正式には チャーチーペン ⇒鶏肉の天ぷら ⇒ とりの天ぷら ⇒ とり天という風に
呼ばれるようになった。 
カラアゲとは別物です。
まさに別府が誇る大分の名物です。
近年とり天に関して色々言われていますが、当店では昭和28年に今のみつば流スタイルで登場。現在まで昔のままのスタイルで 提供しております。
とり天がメニューに登場した年代でその後少しずついろんなとり天が登場してきました。
トリ天とはその名の通りとりを天プラにしたものです。

 

当初はマスタードと酢醤油からスタートしました。 当店ではフワット揚がったとり天に甘辛い醤油をかけています。
カボスの時期には、これがまた絶妙な味になる。
とり天はもともとは中国料理(台湾系)からの変化です。
当店では昭和28年ごろから そのままです。
別府では昭和初期に登場したものと考えられます。
みつばの初代はで以前働いていたレストランで中華の料理人とともに働いていてとり天の発祥に係わり提供。その後米軍キャンプを経由してオープンキッチンを学び
大衆洋食を目指して ”三ツ葉”を開業します。

 

その当時の他の店の状態は閉店した店や、営業していてもメニューから消えたり、その本当のとり天の存在を伝える店は当店以外はなかったのです。
昭和初期(昭和30年代まで)のとり天は当時の別府で活躍していた正統な調理人によってのみ提供されていました。

 

昭和40年代に入るといろんなお店が増え始め、特に大分市の発展は急速に進みます。
時代や料理を検証すると形を変えてきたとり天はこの頃から いろんな形でいろんな人によって提供され始めます。
当時わずかな調理人から一般の人が見よう見まねで作り始めることによって から揚げに類似したとり天ができたことはうなずけます。
当店ではメニューに昭和28年に登場してから、その存在は消える事はなく提供してきました。
 当時、高値の花であった洋食 から大衆洋食をめざし、大衆に普及する引き金となり急速に普及する役目を果たし、とり天はみつばと言われて来ました。

当時のお店は数えるほどしかないし、当店みたいに、昔の味を残した店は他にはありません。当然、とり天もです。
現在 マップなどで とり天で紹介されている多くの店は、本家と呼ばれるものも含め町おこしに付随した第二次ブームであります。

 

当店では味を継承した結果、当然とり天も料理として残ってきました。
それが他店との最大の違いであり 今のブームとは関係なく純粋に 別府 で愛されてきたものです。

 

 

えーっと、

これに関しては

僕がわかることではありませんし、

判断を放棄します(笑)。

 

明らかに特定のお店(複数)を

攻撃していますが(苦笑)、

そこにも触れません。

 

まあ以前にも書きましたが、

この「とり天論争」を含め

別府市と大分市は仲が悪い!(爆)

 

ただ、これだけは言える、

『グリルみつば』のとり天は

マジでうまいよ!!!

 

 


一般的にとり天と言えば、

和風のとりの天ぷらを

酢醤油につけて食べるスタイルが

多いように思います。

 

しかしながら、

『グリルみつば』のとり天は

初めからタレがかかっています。

 

タレは油淋鶏のタレに似た

甘辛い醤油ベースです。

 

衣も中華風ですから

完全な中華テイストなわけです。

 

現在のとり天事情からすれば

「亜流」なのかも知れませんが、

この辺りこそが『グリルみつば』の

アイデンティティのように思われます。

 

また、

とり天ひとつひとつの大きさは小さく、

厚みも薄めです。

 

 


これこれ、この味!!!

 

やっぱり、うまいなー。

 

『グリルみつば』では

鶏を丸ごとさばきますから、

いろんな部位が楽しめるのも

特徴のひとつですね。

 

 


からしをちょっとつけてもうまい!

 

 


はい、

フィレの鉄板焼きが来ましたよ!

 

 




レアの絶妙な焼き加減!

 

 


草はまあしょーもない(笑)。

 

 


醤油ベースのタレと

塩&わさびです。

 

 


にんにくスライスを乗っけて

塩わさびで。

 

当たり前だけどうまいね(笑)。

 

肉はものすごくやわらかくて、

フィレならではの風味が豊かです。

 

塩とわさびが

肉の旨味と甘さを

際立たせてくれますね!

 

 


醤油タレも

飯を食うのなら

いいのだろうけども。

 

俺はもうお腹いっぱいで

めずらしく飯はいらんのよ(苦笑)。

 

なもんで、

残りの肉は全部

塩&わさびで食いましたとさ。