タイトル お隣さんはヒトラー?

公開年

2022年

監督

レオン・プルドフスキー

脚本

レオン・プルドフスキー ドミトリー・マリンスキー

主演

デヴィッド・ヘイマン

制作国

イスラエル・ポーランド

 

かつて、アドルフ・ヒトラーの南米逃亡説がまことしやかにささやかれた時期があった。実際ナチの戦犯で南米に逃亡したものは多く、映画の中でも取り上げられるアドルフ・アイヒマンを始めヨーゼフ・メンゲレにクラウス・バルビーなどは南米に逃亡している。南米には第2次大戦中からドイツと友好関係を持つ国が多く、戦後多くの国で誕生した軍事政権も、戦犯の受け入れに協力的だった。

本作はそうしたことを下敷きにした、ヒトラー南米逃亡説をモチーフに、ホロコーストを生き延びた老人の隣にヒトラーそっくりな男が越してきたことから起こる騒動を描いたドラマ。

コメディ・タッチだが題材が題材だけにあまり笑えるものではなく、イスラエルとポーランドの合作なのに出演者の事もあって、どこかイギリス風のシニカルな作風に思える。

原題は「My Neighbor Adolf(隣のアドルフ)」と何やら日本の某アニメ映画を思わせるが、実は「となりのトトロ」の英題は「My Neighbor Totoro」。隣に住む謎めいた人物という点で、狙ったタイトルだったのかもしれない。もっともだからと言って邦題を「となりのヒトラー」にしたら、あの監督が怒って怒鳴り込んでくるかもしれないが。

今でも演じることを求められる彼もまた、ヒトラーの犠牲者だ

 

1960年5月の南米・コロンビア。町はずれにポツンと2軒並んでいる家の1軒に住むポーランド人のポルスキー。彼はあの忌まわしいホロコーストを逃れたユダヤ人で、自分以外の家族を亡くしていた。それ以来偏屈な世捨て人となって、一人暮らしていた。荒れ果てた家で唯一手入れをしているのが庭に咲く黒いバラ。それはかつて幸せだったことの家族との思い出を繋ぐものだった。

巷では、アルゼンチンで逃亡生活を続けていたアドルフ・アイヒマン逮捕のニュースでにぎわっていた。

そんなポルスキーの隣に引っ越してきたのが、ドイツ人のヘルツォーク。片時もサングラスを外さず、癇癪持ちで飼い犬を唯一の友として独り暮らし。そして絵を趣味としているポルスキーに負けず劣らずの偏屈な老人だった。ある時、彼の犬が塀の割れ目から侵入し、大切な黒いバラを荒らしてしまう。その事に抗議に行ったポルスキーは、ヘルツォークの青い瞳を見ると、死んだはずのアドルフ・ヒトラーに酷似していたのだ。実はチェスの達人だった彼は、一度だけチェスの会場でヒトラーと会った事があった。

この表情から、彼が受けた心の傷の大きさがうかがえる

 

ユダヤ系のポーランド人のポルスキーを演じるデヴィッド・ヘイマンはユダヤ人でもポーランド人でもない、スコットランド生まれのイギリス人。本国では数多くの映画やドラマに出演しているベテラン俳優だ。一方、隣人のヘルツォークを演じるのは、国際的に活躍する名優ウド・キア。ドイツ生まれだが俳優としては英国に移住してから本格的に始めている。ちなみに「アイアン・スカイ」ではナチス残党のコーツフライシュ総統を演じている。

 

ポルスキーは、イスラエル大使館に出向いてその事を訴えるが、相手にしてくれない。何とか証拠を得ようと七転八倒するも決定的な証拠は見つからない。しかも途中で相手の犬を死なせてしまうが、何とか車に轢かれたことにしてやり過ごすことに成功する。だが、犬の死に嘆き悲しむヘルツォークの様子にいたたまれなくなってしまう。隣人がヒトラーである証拠を探す為の戦いは、それまでただ生きているだけだったポルスキーに確かな生きる目的を見出さ、表情も生き生きとしてくる。

そんな時、共通の趣味であるチェスからお互いの家を行き来する様になる。最初は証拠を見つけようという下心からだったが、交流を重ねるうちに彼から自分の肖像画を描いてもらった事から、心が揺れるようになる。

ヒトラーが描いた人物画。下手ではないが、うまいとも言えない

 

ネットミームでヒトラーの事を「美大落ち」と呼ぶように、彼は画家を志していたが風景や建物は得意でも人物画は苦手だった様だ。また、想像を絵にしたものも少なく写実的に描くことが得意だったとの事。なお、ある現代美術評論家に、作者を伏せた状態で批評を求めたところ、「とても素晴らしい」と褒めたそうだが、人物画に関しては辛辣な評価を下している。だから本作で描いたポルスキーの温かみのある肖像画は、彼がヒトラーでないことを暗示している。ちなみに劇中で「ベジタリアン」「酒を飲まない」と言われていて、これはヒトラーの特徴としてよく取り上げられていたが、実際にはソーセージは好物だったというし、酒もたしなむ程度は飲んでいたと言われる。これらの事は、ヒトラーを神格化させるためにゲッペルスが広めたとされ、いまだに広く信じられているのは皮肉だ。

そんなある日、ヘルツォークがヒトラーだと確信する場面を目撃してしまう。そこでイスラエル大使館に駆け込むが、今度も相手にしてくれない。怒り狂い我を忘れたポルスキーは、彼の家にスコップを抱えて怒鳴り込むと、彼から意外な話を聞く事になる。

 

偏屈な老人が、隣に引っ越してきたことから生活がかき乱され、更に様々な隣人トラブルを抱えるようになり、屈折した日々を送っていると、その隣人がとんでもない化け物だと思うようになり相手の正体を探ろうと苦手な人付き合いをやっているうちに、次第と友情を感じるようになるという物語は、ヒトラー絡みという点を除いて特に目新しい事は無いが、二人の心の変化というのがしっかりと描かれているので見ごたえはある。それに、二人ともヒトラーにより人生を狂わされたという点も、惹かれるポイントだ。ウド・キアはこうした変わった役が得意だが、本作では特に彼の個性が十分に出ている。最初は「ひょっとしたらヒトラーなのかも」と思わせるほど、ステレオタイプのエキセントリックさだったのが、ポルスキーにだけ次第に内面を見せるようになる。世話係?のカルテンブルナーへの思いを打ち明けるシーンは思わずほっこりとさせられる。こうした二面性を演じられるのはウド・キアならではだ。そしてラストにポルスキーの黒いバラが、ヘルツォークの新たな人生の船出に役に立ち、ヘルツォークの犬が孤独だったポルスキーの友となりそうなことが暗示されているのも良かった。

ここでちょっとした考察だが、実際にヒトラーが逃走していて、それが見つかったらどうなるだろうか?果たして我々はある日、「ヒトラーは生きていた」というニュースを目にすることはあるだろうか?

もし見つけたのがKGB だったら、苦闘の末ベルリンを落とし悪魔の独裁者を自殺に追い込んだという、ソビエトの赫々たる成果が全て無になってしまうので、公表はせず密かに始末される事だろう。

それではCIAが発見したらどうなるか?ニュルンベルク裁判に始まるアメリカの戦後処理がひっくり返る危険があるので、これも公表されず密かに処分される事だろう。

それではモサドが見つけた場合どうなるか?この中で公表される可能性が一番高いと言えるかもしれないが、恐らくイスラエル政府は沈黙と引き換えに、アメリカにはさらなる武器援助を求め、ソ連にはアラブ諸国に武器を売らないようにしたうえで、密かに処分するという道を選ぶだろう。

いずれも公表される事は無さそうなのは残念。そして、いずれも本人が生き残れる可能性もないという点は共通しているが。ちなみにヒトラーの死が明確に確定したのは、本作の舞台の10年後の1970年になってからだそうだ。

この絵もヒトラーが描いたとされる。全想像力を駆使しても、ちょび髭がこの絵を描いている姿が想像できない