タイトル キャッツ
公開年 |
2019年 |
監督 |
トム・フーパー |
脚本 |
トム・フーパー リー・ホール |
主演 |
フランチェスカ・ヘイワード |
制作国 |
アメリカ・イギリス |
T・S・エリオットによる詩集「キャッツ - ポッサムおじさんの猫とつき合う法」を元にした、アンドルー・ロイド・ウェバーが作曲を手掛けたミュージカル作品である。世界的なヒットとなり「オペラ座の怪人」に抜かれるまでは、ブロードウェイのロングラン公演記録を持っていた。
日本でも劇団四季のもっとも著名な演目の一つであり、国内のミュージカル上演回数として最多記録を更新中である。
これだけ著名な演目であれば、ハリウッドの魑魅魍魎たちが食指を伸ばさないはずはなかったが、キャラクターが全て猫というハードルの高さが災いして、なかなか手を伸ばすものはいなかった。まさか着ぐるみを着て出るわけにはいかないだろう。1990年代にミュージカルを原作としたアニメ映画が企画されたのはまあ当然といったところだが、結局スタジオの閉鎖に伴い頓挫。しかし、近年のデジタル技術の著しい伸長に伴い、本作を作るハードルは一気に低くなり、ユニバーサル・スタジオが映画化権を獲得したとのニュースが流れ、2016年2月にトム・フーパーが監督として名前が挙がり、ファンの期待は大いに高まることになる。ただ、予告編が流れると状況は一変。CGIの不具合が指摘され、その修正に追われることになる。まあ、そのあとはだいたいご存じの通り。ちなみに私は劇団四季も見た事が無いので、どの程度演劇版に忠実なのかはわからないが、見た範囲ではかなり忠実に作られていると思っているが、それが本作の致命的な弱点に繋がっているとも。
これを見て不気味と思わなかったのか?
映画は白猫のビクトリアが捨てられるシーンから始まるが、このシーンが本作で登場した唯一の人間。その後、ジェリクルキャッツという猫たちの集団に出会う。彼らはジェリクルボールという月夜の舞踏会を開き、そこでパフォーマンスを競いあう。そして、最終的に長老ネコのオールド・デュトロノミーに選ばれた1匹の猫が、天上に昇って新たな生を得る権利を手にする。そこにお尋ね者の悪党猫マキャヴィティが現れる。彼は、その権利を得るために、ジェリクルボールの有力候補となる猫を次々とさらっていく。
これこそ名優の無駄遣い
そんな中、ビクトリアはワイルドなタム・タガー。グルメで紳士のバストファージョーンズ。ぐうたらでネズミやGの調教にいそしむジェニエニドッツ。いつの間にかビクトリアと良い感じになっている魔術師猫のミストフェリーズ等々、様々な猫と出会い次第と彼らの仲間となっていく。そんな中、ビクトリアはジェリクルキャッツから仲間外れとされる、グリザベラと出会う。かつては輝く美貌を誇る娼婦猫だったが、今ではその美貌も衰え落ちぶれた生活を送っている。そんな彼女が「キャッツ」の代名詞と言っていい「メモリー」を堂々たる歌声で熱唱するのが見事。このシーンは素直に感動した。ただ、本作で感動したのはここだけだ。そして本作の問題点がジェニエニドッツ。というより彼女がGの調教をするシーン。ただでさえもGはたいていの人は嫌悪感を抱くが、それが整然と行進して、しかもそのGを食べるところは嫌悪感では済まない。日本のお茶の間で食事時に流れたら、嘔吐する人が続出するだろう。ひょっとして欧米では、日本ほどGに嫌悪感を抱かないのかと思ったが、やはり普通に嫌われている。ただ、緯度の関係で北欧にはいないといわれる。
本作最大の問題点。このシーンを見てカッコいいと思う人と友達になりたくない
これらの個性的な猫たちに比べると、主人公?のビクトリアは非個性的で、セリフも少なく歌もごく一部に限られている。中盤までは、コーラスに加わる事はあっても、メインで歌うことはない。マキャヴィティと接触したが、最後まで狙われることはないし主人公というより、それぞれのパートを繋ぐストーリーテラーといった方がいい役回りだ。これはそれぞれのパートを繋ぎ、結集した大勢のスターに等しく見せ場を与えるための策なのだろうが、その為映画に核となるものが無く散漫な印象を与えている。映画にするならグリザベラを主人公にすべきだが、彼女もヴィランのマキャヴィティと絡むことはない。こうした物語の構成のおかしさ以上に、ビジュアルのおかしさは子供でも気が付くレベルだと思う。「本作の猫のビジュアルは誰もが不気味に感じる程、ドストライクでついている。これは「M3GAN ミーガン」で触れた不気味の谷現象を、見事なまでに貫いている。
「M3GAN ミーガン」はそれを逆手に取っているのだが、本作ではこのビジュアルを「カッコいい」と思って取り入れている。なぜこうなったかだが、まず「キャッツ」というキラーコンテンツを、巨額の費用を使い映画化し、監督にはトム・フーバーというこれもヒットメーカー。更にジェームズ・コーデン、ジュディ・デンチ、ジェイソン・デルーロ、イドリス・エルバ、ジェニファー・ハドソン、イアン・マッケラン、テイラー・スウィフトと、綺羅星のごとき大スターが結集した。第3者の視点があれば、途中で指摘されていたはずだが、誰も「おかしい」と言えない空気だった事が大きいと思う。そしてその第3者の視点は、最初の予告編公開で示されたが、その時はもう撮り終わって最終調整の段階。今更やり直しは効かない状態だった。結果、1億ドルの製作費に対して、興行収入が6100万ドルと散々な結果に終わった。
映画もビジネスである以上、冷静な第3者の視点は必要だという教訓を残してくれたと思うが、その後も相変わらず「これは誰が見るんだ?」と思うような億ドル越えの大作が、次々と爆死しているのを見ると、一旦進みだした大プロジェクトを止めるのは、かなり難しいのもしれない。