タイトル ザ・ウォッチャーズ

公開年

2024年

監督

イシャナ・ナイト・シャマラン

脚本

イシャナ・ナイト・シャマラン

主演

ダコタ・ファニング

制作国

アメリカ

 

M・ナイト・シャマラン監督の娘であるイシャナ・ナイト・シャマランが長編初監督、脚本を務めるホラー映画で、父親も制作に名を連ねている。娘が心配な父親は、いずこも同じらしい。

本作には原作があり、アイルランドのホラー作家 A・M・シャインによる「The Watchers」。アイルランドでは大ヒットして、その後続編も執筆されている。

予告編を見ると、M・ナイト・シャマランそのものの雰囲気。父が偉大な映画監督だった場合、子供はあえて違う作風を目指す場合が多いが、最近はデヴィッド・クローネンバーグの息子、ブランドン・クローネンバーグなどのように多少スマートになった程度でほとんど作風が変わらないケースが見られているので、本作も父親の完コピかと思われたが、実際見て見ると確かに似ている部分も多いが、あえて違うアプローチをしている部分もあり、なかなか興味深かった。特に最近の父シャマランは、風呂敷を広げるだけ広げて、結局投げっぱなしなことが多いが、本作でちゃんと畳んでいる。原作があるからなのかもしれないが、父シャマランでも「ノック 終末の訪問者」や「オールド」は原作があったのにナゲッパになってしまっている。その事だけでも娘の方がまだ良いと言える。

主演のダコタ・ファニングは、どうしても子役のイメージが強いが、30歳となった今でも精力的に活動していて、本作でも見事な演技を見せている。というより、彼女の存在が本作の魅力のかなりの部分を占めていると言っていいだろう。なお一応ホラー映画だが、実を言うとさほど怖くはない。したがって、怖いホラーを期待すると全く期待外れとなるが、怖くないホラー?が好きな人(ダークファンタジー?)には惹かれるものがあるかもしれない。

アイルランドのゴールウェイにあるペットショップに勤める28歳の孤独なミナは、ショップのオーナーに依頼され、鳥籠に入った鳥を指定の場所へ届けに行く途中で、地図にない不気味な森に迷い込む。スマホやラジオが突然壊れ、車も動かなくなったため助けを求めようと車外に出るが、乗ってきた車が消えてしまう。森の中にこつ然と現れたガラス張りの部屋に避難したミナは、そこにいた60代のマデリンと20代のシアラ、19歳のダニエルと出会う。彼らは毎晩訪れる“何か”に監視されているという。

この部屋には3つのルールが存在する。

①   日が暮れたら部屋を出てはいけない。

②   “監視者”に背を向けてはいけない。

③   決してドアを開けてはいけない。

という、破ると殺されてしまう3つのルールが課せられていた。

ここで設定の甘さが出てくるのだが、このルールを守ればウォッチャーたちから「殺されない」のであって「生かされる」訳ではない。したがってルールを守ると、どこからか自然に料理が出てきて、いつの間にか風呂にお湯が貼ってあり、新しい洋服が用意されているわけではない。

生きる為には、4人が努力しなければならないのだが、作中捕まえた鳥を焼くシーンがあるものの、その鳥をどうやってとらえたのかとか、水はどうしているのかという描写はない。特に水が無いと生きていけないはずだが、どうやっているのか分からなかった。ついでに言うと、トイレはどうしているのかも描写されていない。こんな山奥に下水管が繋がっているとは思えないので、シモはぼっとん便所だと思うが、8カ月もいれば溢れるぐらい溜まっているはずだし、トイレットペーパの描写もないから拭くこともできない。更に8カ月間、着た切り雀ならミナが来た時耐えられないほどの悪臭を感じていたはずだが、この辺りの生理的な描写は皆無。原作がどうなっているのか不明だが、この辺の描写を避けているのは明らかに本作の欠点と言える。このゾーンでは時間が止まったままで、生理的な問題は生じないという設定にするが、短期間にすればよかったと思うのだが。

このあとなんやかんやあって、ウォッチャーたちを怒らせた一同は、この部屋の下にあった地下室でやり過ごし、そこで衝撃?の事実と遭遇したり、そこでなんやかんやあって更に最後に衝撃?の事実が明らかになったりと、終盤になると本当にシャラマン節全開。ただ、前述の通り本作では、伏線を割と丁寧に回収している。

ただ、ウォッチャーたちの正体や、ラストの衝撃の真相なども途中で予想した範囲に含まれていたので特に驚きはなかった。これは中だるみを起こしていて、観客に色々と考察させる隙を作っているからで、ジョンのくだりをうまく使って、考察の隙を与えないほど画面に引き付ける事が出来ればこのリスクは軽減できたはず。ただ、まだ20代半ばの初監督作品なので、欠点とも言い切れない。

それに、ウォッチャーたちの正体に関しては、原作があったせいか割りと納得がいくもので、奇を狙ってはいないものの描き方は悪くないし、いったん解決したと見せかけての、更なるオチに至るのも悪くないと思う。ただ、相手の情に訴えかける終わらせ方も不満と言えば不満だ。

そしてラストシーンでミナの姉のルーシーが登場するのだが、この時頭を殴られるほどの衝撃を受ける事になっる。これは全く予想外だったのでちょっとガツンと来た。そして、私の解釈が正しいのなら、上記の「情に訴えかけた解決」等は間違っていた事になり、これまでの考察が全部ひっくり返ってしまったわけだが、果たしてこの解釈が正しいのかはわからない。

前述の通り、原作では続編も執筆されているので、そのあたりの解説はされていると思うが、果たしてどうなっているのか気になるところだ。そして、その解釈が正しいとすると、これまで書いた本作に関する疑問や不満は、ひょっとしたら的外れなのかもしれない。父シャラマンは最近新作が公開されて見に行くたびに「もう二度と見ないぞ」と思うのだが、それでも又新作が公開されると見に行きたくなってしまうという、困った存在だったが、娘はさらに衝撃的な作品を作ったかもしれない。本当に親子そろって厄介な監督だ。

興行成績から続編の製作はなさそうだが、できれば配信のドラマなどで作って欲しいが、出来たらAmazonプライムで。何故かと言えば、Netflixは入っていないので。