タイトル ブルー きみは大丈夫

公開年

2024年

監督

ジョン・クラシンスキー

脚本

ジョン・クラシンスキー

主演

ケイリー・フレミング

制作国

アメリカ

 

子供の成長期にイマジナリー・フレンドという架空の友達を創作する事があると言われている。正直私に友達は少なかったが、特にそんな思い出もないので友達の多い少ないは関係ないのかもしれないし、私の周辺にもそんな事を語る人はいなかったので、どんなものなのかは全く分からない。そうした中、「奇跡体験アンビリバボー」でゆうちゃんと呼ばれる幼馴染が、実は存在しなかったという事が語られたことがあったが、あれも一種のイマジナリー・フレンドだったのだろうか。そのせいか、日本ではイマジナリー・フレンドと言えば、怪談として語られることが多い様な気がする。

本作の舞台はアメリカだが、日本の様な怪談絡みのイメージはないのか、ハートフルなファンタジー映画に仕上がっているのが特徴。しかもそのイマジナリー・フレンドたちの形態は千差万別で、まるで「未知との遭遇」以前の宇宙人みたいだ。

多様なIF達が楽しい

 

子どもたちが成長して空想することをやめたとき、イマジナリー・フレンドたちはどうなるのかを主題にして、少女の成長を描いている。実写とアニメーションの混在で描いているので、まるでディズニーを思わせるが本作は配給がパラマウントでディズニーとは全く関係ない。Rotten Tomatoesによると例によって批評家受けは最悪だったが、観客からはかなり高い評価を受けている。そうすると大ヒットか?とはならないのが難しいところで、本作の製作費は約1億1000万ドルに対して、興行成績は全世界で約1億7000万ドルとかなり微妙。多分損益分岐点は超えないと思われる。ただ、駄作か?というと、そうとも言えないのも難しい。

主人公のビーは12歳の少女。父親が心臓の手術のためニューヨークの病院に入院したのを期に、幼い頃を過ごした祖母の家に同居する事になる。元ダンサーだった祖母も父もビーがふさぎ込まないように明るく振舞ってくれるが、この家も病院もビーが幼いころ癌にかかった母親が過ごした場所の為、懐かしさと辛さが合わさって複雑な思いだ。

ある時ビーは上の階に変な女の子がいる事に気が付き、その女の子と住民が外出した時、こっそり後をつけると、二人がある家から巨大な紫色をしたモフモフの怪物を連れ出すのを目撃し、気を失ってしまう。目を覚ますと、ビーは上の階で介抱されていた。

 

 

そこで、紫色のモフモフはブルーで女の子はブロッサム。男はカルでブルーたちは子供たちが作り上げたイマジナリー・フレンド。大人になると子供たちは彼らが見えなくなり、一緒にいられなくなるという。これを聞いたビーは彼らが新しい子供で出会えるように手助けをしたいと思い、カルと今は一人になったイマジナリー・フレンドが集まる閉鎖された遊園地に出かけ、そこの長老のテディベア・ルイスと知り合う。彼の助言を受けて、病院で知り合ったイマジナリー・フレンドを欲しがるベンジャミンに引き合わせるが、彼にはイマジナリー・フレンドを見る事は出来なかった。そこで、ルイスと相談し、彼らを元の子供達と引き合わせる事にする。偶然ブロッサムはビーの祖母のイマジナリー・フレンドであったので、祖母のお気に入りの曲をかけ踊りたくなるように仕向けると、引き合わせる事に成功。一方ブルーも紆余曲折はあったものの、元の友達と再会できた。喜ぶビーだったが、彼女の元に父親が手術の後で目が覚まさないという知らせが入る。

予告編を見て、これはビーがブルーの消えることを阻止するために奮闘する映画なのかと思っていたら見事に肩透かし。確かにビーはブルーのために頑張るが、予告編だと他のイマジナリー・フレンドの事は一切触れておらず完全に予想を外れる事になった。北米版の予告編だと、むしろブルーはその他大勢比1体と言った感じで、本作の内容と一致しているが、これは“モフモフと少女を前面に出した方が売れるんじゃないの”という、東和ピクチャーズの考えだろうが、これ自体悪い考えでもなかったと思う一方で、逆に多彩なイマジナリー・フレンドが出る事や、コメディ色が強い事を前面に出した方が受けは良かったかもしれない。この辺りはきっちりと総括して欲しいところだ。

「きみは大丈夫」というのはブルーの方

 

正直中盤まではもっさりした感じで、しかも前述のとおり予想とかなり違ったので、なかなか映画に没入できず、眠気との戦いとなったが、終盤でようやく物語の方向性が決まってからは怒涛の展開。バディとなるカルと共に元いた場所に戻すことで、人生をあきらめていた彼らにもう一度、希望の光を灯すといった内容。カルの正体は途中で気付いたのだが(だってビー以外と話さないんだもん)、その明かされ方は悪くなかった。また、主演のケイリー・フレミングは少々わざとらしくて好みは分かれるかもしれない。

ただ一つ気なるのは、透明のキースの声をブラッド・ピットがやっているようなのだが、映画を見る限り彼が話すシーンはなかったと思うのだが。ひょっとして日本語版だけカットされたのか?