タイトル ハロルド・フライのまさかの旅立ち

公開年

2022年

監督

ヘティ・マクドナルド

脚本

レイチェル・ジョイス

主演

ジム・ブロードベント

制作国

イギリス

 

イギリスの作家レイチェル・ジョイスによる1通の手紙をきっかけに、800kmにもおよぶ旅に出発した男を主人公とする小説「ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅」を、「アイリス」のオスカー俳優ジム・ブロードベント主演で映画化したもの。イギリスでは初登場第1位となる大ヒットを記録した。原作は未読なので、どの程度忠実なのかはわからないが、原作者のレイチェル・ジョイスが脚本も務めているので大枠では忠実だと思われる。

ビール工場を定年退職し、キングスブリッジの瀟洒な住宅地に妻のモーリーンと平凡な生活を送るハロルド・フライ。ある日、北の果てのベリック・アボン・ツイードのホスピスに住むクイーニーという女性からも癌でもう長くないとの手紙が届く。彼女はかつて、ビール工場に働いていた同僚だったが、動揺するハロルドの様子からそれだけの関係でない事は明らかだった。モーリーンは返事を書くようにそっけなく勧め、ハロルドも儀礼的な手紙を抱え家を出るが、何度も躊躇いその都度遠くのポストに足を運んでしまう。コンビニの店員と話し、彼女のおばさんが癌で余命いくばくもなかったところ、自分と会って救われたという話を聞かされ、何か吹っ切れたような表情を浮かべるハロルド。

意を決したハロルドは、クイーニーに会うべくそのままベリック・アボン・ツイードに歩き始める。

このハロルドのキャラクター造形が見事で、一見如何にも保守的な英国の老紳士と言った風貌。モーリーンと二人暮らしで決して仲は悪くない様子だが、ややぎこちなさもある。そして、本人曰く「信仰は持っていない」という。無神論者という訳ではないが、彼は神を信じることができないのだが、これには理由がある。モーリーンとのやや冷めた関係もその理由によるものだが、この時点では、昨今の教会の信者の現象という風潮に合わせのかと思わせられるし、モーリーンとの関係も人生の終幕に、昔の女の同僚から手紙が来たということで、焼きもちを焼いているのかと思わせられる。こうしたミスリードがさりげなくてうまい。

ハロルドはホスピスに電話をかけ「私が歩く限りは、生き続けてくれ」と伝言し、手ぶらのまま歩き始める。まるで自分が歩き続ければ、クイーニーは生き続けると思っているかの様に。旅の途中で様々な人との出会いがあるが、流石に何の準備もなく革靴のまま歩くのは無理がある。足は豆だらけでふくらはぎの辺りまでむくんで内出血を起こしている。モーリーンに電話を掛けると、激しく怒られ「勝手にしろ」と罵られる始末。それでも歩き続けるが、やがて限界を迎え道端で倒れてしまう。マルティナという見知らぬ婦人に助けられるが、彼女はスロバキアから来た医師で、イギリスで医師になれずトイレ掃除の仕事をしているという。更に恋人に裏切られた過去を持っていた。彼女の看護でようやく元気を取り戻したハロルドは、再び800キロ先に向け歩き始めた。

途中で旅の仲間となる犬も、終盤には静かに退場する

 

マルティナの、医師として勤務できないというセリフがちょっと気になったので調べてみたが、EU域内ならスロバキアの医師免許も使える。ただし医師として働く際の就職先の内定と当該国のビザ取得も必要。その上で当該国の語学力とそれぞれの国で定められた医療の知識と技能の審査に合格する必要があるとのこと。要するに勤務先の病院が決まっている事がどうしても必要という事だ。マルティナは語学も流暢に聞こえたし、医師としての技能にも問題ないように見えるから、勤務先が決まっていないという事が問題なのだと思う。その後知り合った医師に彼女の事を持ち掛けていたのは、何とか勤務先を探してあげたいという、彼なりの恩返しの気持ちだったのかもしれない。

それと東海道が約500キロだから、この往復位となる。江戸時代の旅人は東海道片道を、約2週間で歩いたという事なので、往復だと4週間。ハロルドは倍以上かかっているが、本人が高齢である事や、準備が無い事。途中でマルティナの元で数日滞在し、更にお供に足を引っ張られたことを想えばだいたい妥当かもしれない。

この青年はハロルドにとっては息子の代替でしかなかったのか?

 

その後ひょんな事からSNSにアップされ話題が沸騰。そのニュースがテレビで報じられたことから一人の若者が同行を申し出てくる。最初は断っていたが、押し切られ同行を許すが、彼の同行を許したのも理由がある。ただその後も次から次へとお供が増え、遂には一大巡礼集団となったことから、次第と足が遅くなっていく。また青年が薬物をやっている事が分かったことから仲たがいする。彼が薬物に強烈な反応を見せたのも理由があり、これも後に明らかとなる。それをきっかけに、ハロルドは元の一人旅に戻るのだった。

リアル寄りの視点で見ると、まず古い友人からの手紙をきっかけに巡礼の旅に出るということも、キリスト教的な“啓示”に他ならないし、息子と街中で顔を合わせるシーンも、劇中ではそれが幻覚なのか真実なのか描かないところ。そして、途中でおせっかいな連中がついて来て、彼らはハロルドのお供なのだが、いつの間にかハロルドが彼らのお供になってしまうという逆転現象が起きるのも、宗教的なメタファーを感じる。こうしたところを含め、本作はファンタジーということになる。いつ死んでもおかしくない相手に会いに行くのに、トボトボと徒歩で行くというのもおよそ現実的な話でないし、高齢にもかかわらず何ら準備もせずに革靴で行くというのも、これは宗教な“赦し”がバックにあると思う。

旅立ちにあたり立ち寄るエクセター大聖堂。

 

その“赦し”はハロルドだけにあるのではなく、妻のモーリーンにもある。彼女はクイーニーからの手紙にもそっけなく対応し、ハロルドから旅の決意を知ったとき激しく取り乱し、ついつい暴言を吐いてしまうが、あれはおかしな行動をとりだした夫への怒りかと思っていたら、彼女もクイーニーに大きな罪の意識を覚える事をやっていた。その贖罪の為か、最後にハロルドの背中を後押しし、そして贖罪を済ませた夫を迎えに行く。ラストでハロルドが持ってきた水晶玉が光を放ち、心に傷を負った旅で出会い人達に優しく癒しを与える。

その意味で本作は“ファンタジー”というよりも“寓話”が近いのかもしれない。イギリスでの批評にはそうしたファンタジー性に対する批判もあったようだ。確かにそうした批判は的外れではないと思うし、ある意味極めて保守的な映画だと思う。ただそれのどこが悪いんだ。

ラストでしみじみと語りあう二人。そうした事が出来るようになっただけでも彼の度は意義があった

 

かつて息子を亡くし、その事から会社の友人にとてつもない借りを作った男が、人生の終末を迎えるにあたり相手の赦しを得る為に旅をして、行く先々で様々な人との出会いから彼らも同じような悩みを持っているのを優しく解放して、最後には自分も妻との愛を確かめ合えるという物語はベタだけど、見終わって言いようがない清々しさを覚える。

もう一つの見どころは、現代の英国の様々な面を描いていること。流行り?の多様性もしっかり描かれていて、ハロルドが旅を決心した店員は、髪を青く染め両腕にタトゥーをした如何にも今風の女性。ボロボロになったハロルドを助けてくれるのはスロバキア人の医師。ホスピスのシスターやハロルドの隣人のレックスはアフリカ系と人種も多様だ。旅する道は都会は避けて田舎町が多いが、そこで出会う風景はいかにもイギリス的で美しい。その一方で同道した青年は薬物をやっていて、ハロルドから大切な水晶を盗もうとした事から退場する。彼はデイヴィッドのメタファーだったのだが、彼の退場はハロルドが息子の死を乗り越えたという事なのだろうか。この辺りドライだが、あそこで元に一人旅にする必要があったからだが、このドライさがなかなか面白かった。