タイトル またヴィンセントは襲われる

公開年

2023年

監督

ステファン・カスタン

脚本

マチュー・ナールト ドミニク・ボーマール ステファン・カスタン

主演

カリム・ルクルー

制作国

フランス・ベルギー

 

2023年・第76回カンヌ国際映画祭の批評家週間に選出されたフランス発の不条理サバイバルスリラー。監督のステファン・カスタンは、短編やドラマシリーズの単独エピソードの監督の経験ならあるようだが、長編劇場用映画監督は本作が初めて。また、脚本のマチュー・ナールトも長編映画の脚本は本作が初めてとなる。

予告編を見た時、「世にも奇妙な物語」を思いだした。確か平凡に生きてきた男が、突然世間から注目(それも文字通り人からガン見されるだけ)とい理不尽な目に合うというモノだったが、たぶんあんな作品ではと思って見に行ったが、想像とかなり違うものだった。目が合っただけで周囲の人々に襲われるようになった男が生き残りをかけて戦う姿を描くもので、主人公が終始理不尽な目にあうという点では、どちらかと言えば「ボーはおそれている」の方が近いようだ。

ちなみに邦題は「ヴィンセント」と英語風になっているが、劇中ではちゃんとフランス語読みで「ヴァンサン」になっている。なんか意味があるかと思ったけど、特にないようだ。

襲われるよりも襲う側の方が似合いそうなご面相

 

リヨンでグラフィック・デザイナーをしているヴィンセント。ある日、会議中に揶揄った職場のインターン生から暴行を受ける。その時は大したケガでなかったこともあり、上司の勧め(というか圧力)で有耶無耶となるが、別の日にも他の同僚にも襲われる。両方とも本人たちに襲撃時の記憶はなく、これを見た会社は加害者を罰するのではなく、ヴィンセントを在宅勤務にしてしまう。よく海外出羽守が「欧米では日本のように有耶無耶にせずに、徹底的に理由を究明して再発防止に努める」なんて言うが、臭いモノに蓋はいずこも同じだ。

多分この子達伏線だろうと思ったら、案の定

 

その後もヴィンセント度々襲われどうやら、目が合うと襲われるということに気が付いた。そこで父親の別荘に籠る事で何とか逃れようとするが、途中のガソリンスタンドでヨアヒムという男と出会う。一見ホームレスに見えたが、彼は元大学教授でヴィンセントと同じようになり、今では人と目を合わさないようにひっそりと暮らしているという。彼から「歩哨」という、同じ悩みを持つ者のサイトを紹介され、犬が危険を察知するから飼えと勧められる。

田舎で人目を避けて暮らすつもりが、かえって人との距離は近くなり、遂に一人を手にかけてしまう。その後、近くのダイナーで食材を買い込んだところ、そこのウェイトレスで、彼を襲わないマルゴーと出会う。彼女の出現は追いつめられたたヴィンセントに一筋の光明を与えたが、運命は残酷な方向に彼を誘うことになる。

本作で一番怖かったのがここ。微笑みが次第に消え無表情になっていくのがじっくりと描かれている

 

主演のカリム・ルクルーは、一見強面で目つきが鋭く、暴行を受けるよりする方がしっくりいくような容貌の持ち主。そんな彼が、いわれなき暴行に慌てふためき、悲鳴を上げながら逃げ回っているのがなんとも滑稽。本当は笑っていられないのだろうが、このヴィンセント氏。前半は理不尽な暴力を受けて、怯えるだけでないところが面白い。最初に暴行を受けた時、傷のある顔をSNSの写真に登録して自己アピールし、それにいいねが付いたりハートが乱れ飛ぶのを見て悦に入る。更にいよいよヤバくなってきて、護身用のスタンガンや防犯スプレー。そして何故か手錠まで購入し臨戦態勢、かと思いきやそれらを手にした写真をSNSにアップし、自己アピールに余念がない。後に、同じような被害者の集まりである「歩哨」に入るとそこではこれまでのSNSの痕跡を消すので、これで終わりかと思いきや、その「歩哨」の中にも独自のSNSがあったりして、そこでもヴィンセント氏は、犬を買った時もこれもアピールし、ある意味SNS社会にどっぷりつかっている。この辺りも、SNS社会への辛辣な風刺が込められているのだろうが、同時の本人のキャラをお茶目で憎めないようにするのに役立っている。

ただ、一つ気になったのが、何故ヴィンセントはサングラスをしないのか?ということ。やってもダメだったのなら納得いくが、最後まで試みる事はなかった。終盤でサングラスをかけた警察?に襲われているから無駄だと言えるかもしれないが、あそこでは犬は無反応なので、彼らは自分の意志で暴動を起こしていて、警察はヴィンセントも暴徒と勘違いをして襲っている可能性がある。

その一方で、この手の映画の主人公には珍しく、SNSなどで情報を得て、何とか理由を解明しようと努力する冷静な一面もある。彼のキャラ設定はなかなかに絶妙だ。

一方、中盤から登場したヒロインのマルゴーだが、彼女の存在が、ある意味監督の未熟さを表しているかもしれないと思うくらい、難しい立ち位置にいる。最初はヴィンセントを襲わなかったので恋愛関係になるが、これは早期に崩れ彼女も襲う側になる。本来ここで二人は別れるべきだが、どういう訳かその後も危険を冒しつつも行為の時はマルゴーを手錠にかけて関係は続く(そうしたプレイが好きな人はいるだろうが、本作の場合は命に係わる)。そして最後はヴィンセントが襲う側に回りこれでエンドかと思ったら、彼の目を塞ぐ事で二人の関係は続く。特に監督からの解説はないから、この解釈次第で本作の印象はずいぶん変わってくると思う。それとよくわからない、というより完璧に意味不明だったのだが、後半マルゴーのヨットの近くでオランダ人が騒いでいたが、あれは何か意味があったのだろうか。調べると舞台はリヨンとのことなので、オランダに近いわけではない。リヨンは海に面していないし、ローヌ川とソーヌ川が交差している場所だが、両方の川ともオランダを通っていない。

理不尽な理由で暴力の対象になるとか紹介されている事が多い本作だが、実のところヴィンセントに降りかかる災難はその「理不尽な理由」ですらない。これは本人の“研究”で明らかとなるのだが、一応目が合うことがきっかけとなる様だが、後半になるとそれすらあやふやとなる。海岸で犬を遊ばせているとはるか遠くにいる家族が攻撃の兆候を見せ、犬も警告の唸り声をあげたので慌てて逃げる羽目になるが、この時は確実に目を合わせていない。また父親の彼女が襲われた時も、目を合わせたわけではないようだ。その一方、スーパーマーケットの駐車場では襲われなかったりと、後半に行くと設定はがばがばになっていくが、これはそうしたことに監督も脚本家も興味が無く、ファンタジーな暴力を通して現実世界を風刺しようという意図だったと推測している。

この「コミュニケーションが取れない」と「理由なき暴力」という世界観は、いずれもCOVID-19が影響していると思う。前者はロックダウンやソーシャルディスタンスにより、人は自宅にこもる事を余儀なくされた。そして後者は原因を拡散させた中国への憎悪から、アジア系全般が迫害にさらされたことが念頭にあると思う。その意味で、本作の背景ががばがばというのも理解できる。そういう作品を作る気はなく、ただ緊急事態に浮き彫りとなった、人間のダークさを風刺的に描くことが監督の目的だったと思う。

色々突っ込み所も多いものの、見せ場も多いし何より。ヴィンセントとマルゴーの行方が気になり、最後まで画面に引きこまれる。そして解決手段が「現実逃避(と私は解釈している)」というのも皮肉が効いていて面白い。中年カップルのイチャコラシーンもあるし、如何にもフランス映画らしい秀作だと思う。