タイトル エルム街の悪夢(2010年版)

公開年

2010年

監督

サミュエル・バイヤー

脚本

ウェズリー・ストリック エリック・ハイセラー

主演

ルーニー・マーラ

制作国

アメリカ

 

本作は、1984年にウェス・クレイヴンが監督したホラー映画、「エルム街の悪夢」をリメイクした作品。リメイクに当たり原点回帰が謳われ、フレディのコミカルで人間臭い面は控えられ、恐怖の殺人鬼としての面が強調されるとしたが、それには嘘偽りはなく、ジェイソンやマイケルなどと同様に、恐怖のスラッシャー・ヒーローとなった。

米国内では6,300万ドル以上、全世界では1億1,700万ドル以上の興行収入を記録し、シリーズ最高の興行収入を記録した。この事から続編はすぐに作られるかと思われたが、現在に至るまで実現していない。これはリメイクであると同時にシリーズの1作目として作られ、少なくとも3作目までは続く予定で企画がスタートした。実際、フレディ役のジャッキー・アール・ヘイリーは、3作目までの出演契約を結んでいる。興行成績はまずまずなのに、どうして企画が停止(頓挫はしていないらしい)しているのか謎だが、配給のニュー・ライン・シネマは「死霊館ユニバース」が好調なので、こちらを注力したい意向が反映されているというが、恐らくそれだけではないだろう。

映画は、エルム街のダイナーにいたディーンは、友人であるウェイトレスのナンシーに注文を告げる無視されたので後を追うと、ディーンは鉤爪の男に襲われる。無論こいつはフレディ。そこで目を覚ますと、左手を見ると鉤爪による傷が出来ていた、と言うシーンから始まる。その直後、ディーンは自分の首をナイフで切って死亡。葬儀に出席したディーンの恋人クリスは、ディーンが幼い頃の写真が飾られていたが、そこに自分が写っている。彼と出会ったのは高校時代だったからだ彼女は困惑する。

それ以来、フレディの夢を度々見るようになり、自分に好意を寄せているジェシーに来てもらい一緒に眠るが、彼女はフレディに殺され、その一部始終を見ていたジェシーはその場を逃げ、ナンシーの部屋へ行くと、彼女に警告をして部屋から逃げたところを警察に捕まる。しかし、留置所にいるところをうっかり寝た時に彼もフレディに殺されてしまう。

一連の事件に疑問を抱いたナンシーは母に「自分たちは一緒の幼稚園にいたのではないか?」と問いただすが、うまくはぐらかされてしまう。そこで、クエンティンと調査を進めると、殺された友人みんな同じ幼稚園に通っていたこと。そして彼ら以外に通っていた園児たちも全員殺されていること。そして、その幼稚園では園児たちが性的な暴行を受ける事件が起き、その犯人としてフレディ・クルーガーが疑われ、警察の捜査が入る前に園地の親たちで殺されたことが判明する。フレディが幼稚園の地下に誘おうとしている事を知った二人は、既に廃園となっている幼稚園に行くのだった。と言うのが大まかな粗筋。

本作は、Rotten Tomatoesでは批評家14%で観客43%と破滅的なスコアとなっている。ちなみに1984年版は批評家95%で観客は84%。従来のファンばかりでなく、若い観客も本作には否定的な意見が多い。

前半のヒロインはクリスティン。後半はナンシーが務めているが、これが映画への没入を妨げている。本当のヒロインはナンシーなのだが、前半はほぼ空気なので突然活躍しだしても違和感がある。

ただそれよりも、本作の問題点はフレディの改変した点にあると言って良い。

最初にフレディが登場するシーンはオリジナルのそうだったが、暗い中シルエットが浮かび上がるので顔が見えないのだが、猛烈な違和感が沸き上がった。

その後、顔が見えるようになると違和感はさらに増すことになる。我々が知っているフレディとは似ても似つかないのだ。特殊メイクだから素顔は分からないが、それでも「これじゃない感」が半端ない。一言で言えば「ちっともカッコ良くない」のだ。

そしてキャラクターだが、お茶目さがなくなっているのは原点回帰として当然にしても、無表情となっていて、フレディの特徴である人間臭さも皆無となり、ジェイソンやマイケルなどのマスクを着けているスラッシャー・ヒーロー同様に、完全に無機質な殺人鬼となった。

上が本作で下が原型。なんでこうなった?

 

そしてオリジナルだと「幼児20人を殺した殺人鬼」だったフレディが、本作では幼児性愛者に変更されているが、それ故子供たちに復讐のため殺すという展開に無理がある。それならむしろ、親を殺し子供たちは夢の世界に閉じ込めて、欲望の対象にする展開の方が納得いく。

結局本作のシリーズ化が中断しているのも、ファンからの酷評が大きかったと思う。とはいえ、ロバート・イングランドに再びフレディをやってもらうのも難しいから、このシリーズはこのままフェードアウトすると思う。制作側は、何がこのシリーズを支えていたのかという事に、少しは思いをはせるべきだったと思う。