タイトル 白馬童子 南蛮寺の決斗

公開年

1960年

監督

仲木睦

脚本

村松道平 高田宏治

主演

山城新伍

制作国

日本

 

本作は、NET(現・テレビ朝日)系列で放映されたテレビ時代劇作品の「白馬童子」を劇場公開作品としたもの。

主人公の葵太郎は、時の将軍の落胤である浪人。行く先々で事件に巻き込まれるのはお約束で、そのたびに白装束に身を包み、白毛の愛馬「流れ星」にまたがった白馬童子となる、悪人退治をしながら、長崎から江戸を目指して東へ旅を続ける物語。30分1話で1カ月で1編のペースで9編が製作された。本作はその第1編の「南蛮寺の決斗」で、どうやら再撮影などをすることなくそのまま公開したようだ。2作に分かれ、それぞれ50分程度の2部構成となっている。計算すると、テレビの30分番組2本分と大体合致する。なんともやっつけ仕事感が漂うが、当時は特に珍しくなかったようだ。そして1本だけで終わった所を見ると、さすがにそこまでヒットしなかったようだ。

この頃や痩せていてスマートなイケメン

 

映画の冒頭は、主人公の葵太郎が礫の忠助と小猿のモン太夫を連れ、長崎に到着するや否や、出島の新任のカピタン、コープスの着任祝賀行列を見物中に、コープスを偽者よばわりした男がたちまち南蛮風の小柄をうたれて倒れ、さらにその後も長崎の豪商が次々と謎の死を迎えるという、米花町の死神もびっくりの衝撃に展開から始まる。

犠牲者のそばに黒い蜘蛛が一匹うごいているのが共通で、太郎は背後に大きな力が蠢いている事を予感する。貿易商の長崎屋も同様な殺され方をした後で、家は火を放たれ、家族は全滅。玄海屋だけが顔一面の火傷で助かったものの、その後家に戻ると使用人を全員入れ替え、更に娘とも会おうとしなくなっていた。だいたいこういう時は、中身が入れ替わっているものだが、本作でもそれは同じで、玄海屋と長崎屋は入れ替わっている。

犯人を黒蜘蛛党目星だとつけた太郎、忠助と元長崎屋手代小助を、白覆面の白馬童子が助けた。黒蜘蛛党首領の黒蜘蛛王は海賊の荒波雲右衛門で、白馬童子にいどむが敵わずに逃げ去る。

その頃、コープスは長崎に大量のニトログリセリンを仕掛け、ボタン一つで爆破できると脅し長崎奉行の公金全額の引渡しを要求してきた。ニトログリセリンが完成したのは1846年。日本では天保年間となるので、ギリ江戸時代だが、ちょっとした衝撃で爆発するニトロを、どうやって日本に運んできたのかは触れてはいけないところだ。

太郎はその邸に忍び込み、コープスが雲右衛門と同一人物であることを見抜く。更に、玄海屋は一味と通じ、仲間の貿易商を殺していたのだ。ただ、ここまで玄海屋(長崎屋)は黒雲一味と別行動だった。この辺り、ちょっとややこしい。事件真相が明らかとなった時、太郎は罠にはまり落し穴におちるのだった。ここまでが第1部。

いつも思うのだが、この衣装はどこに隠しているんだろう?

 

玄海屋は火傷以来人が変わり、雪江をコープスに嫁がせようとした。中身が違うから当然だが、冷たい父に耐えかね、姉弟は家を飛び出し、葵太郎の元へ身を寄せようとする。屋敷でその事を知った太郎は、罠を脱出し二人の逃走を手助けする。その頃コープスは先手をうって奉行所の金蔵を襲、奉行を脅して、逃亡のための船を要求する。「外交問題になるぞ」と脅すコープスだが、お前の方がよっぽど問題だ。どうせ元は海賊だから仕方ないが、それにあたふたしている長崎奉行がなんとも滑稽。そこまで怯えるということは、この時代は阿片戦争の後なのだろうか?知らんけど。

そんな危機に白馬童子が現れ、コープスの正体を暴き、奉行を救うのだった。というのが大まかな粗筋。

誰がどう見ても日本人にしか見えない

 

元がテレビドラマだけに、あまり金をかけていないはずだが、セットもそれなりに豪華だし、群衆シーンには本当に大勢動員されている。今見るとそれでも結構リッチな感じがするが、それは日常的に時代劇が作られている当時だからこそで、衣装もセットも、小道具、大道具等、他作品の使い回しだったと思われる。もし現代、同じ規模の映画を作れば大作扱いになるはずだ。大量のスタントマンやエキストラも、映画会社に潤沢に大部屋俳優がいればこそで、きわめて恵まれた時代の作品と言える。

それに、現代の視点だとどうしても物語の展開がスローでテンポが悪い。この物語なら、現代では1時間で終わらせるところだが、それをテレビシリーズの宿命で、水増しして作られているから仕方がない。その水増し部分を他の登場人物が担っているわけだが、その中で長崎奉行を演じる月形哲之介と与力・近眼半次郎を演じる南方英二が面白い。月形哲之介は名優月形龍之介の長男。一方の南方英二は東映の大部屋俳優。後にチャンバラ・トリオを結成し人気となる。

特に再編集などもされていないようで、ミスと思われるシーンもそのままとなっている等、お世辞にも良く出来ている映画とはいいがたいのだが、まだ細面でイケメンだった、若き日の山城新伍の雄姿が見られるだけでも価値はあると思う。