タイトル 関心領域

公開年

2023年

監督

ジョナサン・グレイザー

脚本

ジョナサン・グレイザー

主演

クリスティアン・フリーデル

制作国

アメリカ・イギリス・ポーランド

 

ジョナサン・グレイザー監督がイギリスの作家マーティン・エイミスの同名の小説を原案に手がけた映画。

2023年・第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門でグランプリ、第96回アカデミー賞で国際長編映画賞を受賞。

ホロコーストや強制労働によりユダヤ人を中心に多くの人びとを死に至らしめたアウシュビッツ強制収容所の隣で平和な生活を送る一家の日々の営みを描いている。原作は未見だが調べた範囲では、原作ではヘスをモデルとしながらもポール・ドール、妻はハンナ・ドールという仮名が与えられ強制収容所の司令官、司令官の妻と不倫する将校、死体処理班として生き延びるユダヤ人の4人を軸として進み史実とは異なる展開となっている。

従って本作では原作ということになっているが、事実上原案とした方が良さそうな位、物語を根本から組み直されている。

冒頭は、如何にも幸せな一家の夏のバカンスといった風情。黒塗りの2代の高級車が迎えに来て瀟洒な家にたどり着く。寝静まったあと家長が、家の鍵を閉め電気を一つ一つ消していく。娘がぐずっているのを見ると優しくベッドに連れて行き、絵本を読んで聞かせる。そのあと夫婦の寝室に戻り妻と他愛のない会話を交わしながら眠りにつく。ある意味完璧なヨーロッパのチョイセレブな家庭といったところで、不穏さのかけらもない。ただ、父親が家で穿くには不釣り合いな厳めしい乗馬ズボンと軍人が履くような長靴を履いているのを除けば。翌日、誕生日を迎えた父親に家族からカヌーがプレゼントされ大いに喜ぶ父親。そして職場の部下たちがお祝いに駆けつけてくる。見るからに幸せそうだが、父親が着ているのが明らかにナチス親衛隊の制服で、やって来た部下たちも全員親衛隊の制服姿。そして、来客は収容所の効率的な火葬システムの提案を行う。家を隔てる塀の外では厳めしい建物と、もくもくと湧き上がる煙突の煙。怒鳴り声に犬の吠える声。そして散発的な銃声。ここで観客は、この一家の正体がアウシュビッツ収容所の所長ルドルフ・ヘスとその家族であることを知る。この導入部は本当にぐっと引きこまれるほど見事。

映画は年代が表記されていないが、ヘスが所長となったのが1940年5月で、劇中ヘスの誕生日を祝う姿や、ヘートヴィヒの台詞「3年前ここに来たとき」から、冒頭は1943年の秋と思われる。丁度クルスクでドイツ軍が最後に行こなった大攻勢が失敗に終わり、イタリアに連合軍が上陸し第2次大戦の趨勢が大きく変わっていた頃だ。

またヘスがアウシュビッツの所長を解任されたのが43年11月で、後任者が「寛容すぎる」との理由で解任され、所長に返り咲いたのが44年5月。その1年後には第3帝国は崩壊する。ヘスは偽名を使い海軍兵士となって連合国の追跡を逃れたが、46年3月に逮捕されニュルンベルク裁判でエルンスト・カルテンブルンナーに関する証言を行った後、ポーランド政府に引き渡され47年4月にアウシュビッツで死刑が執行された。

その後も地獄と裏返しの、仮初めの天国で一家の暮らしは続く。前半で下働きのユダヤ人が持ってきた衣装を、屋敷の使用人たちが分け合い、ヘートヴィヒがひときわ豪華な毛皮のコートを着て見て悦に入るシーン。色とりどりの花が咲き乱れる綺麗な庭。休みにはハイキングに行き、カヌーをかって子どもと興じるヘス。そうした暮らしと対照的な、ヘスの官僚そのものの仕事っぷり。この対比が異様な緊迫感をもたらしている。そして、すぐそばが地獄であることを認識させる、塀越しの煙突から立ち上る煙。犬の吠える声や兵士の怒号。囚人の悲鳴。それらに一家がわずかでも関心を示すことはない。ヘートヴィヒが呼んだ母親は、この周囲が地獄という環境に耐えられず逃げ出すが、それを知ったヘートヴィヒは女中に当たり散らすほど怒りを見せるだけ。ヘスの転勤が決まると「ここの暮らしを手放したくない」と当たり散らし、結局そのまま居座ってしまう。

ある意味ホラーよりも怖いシーン

 

本作で一番興味が惹かれたのは、ヘスよりも妻のヘートヴィヒで彼女の挙動一つ一つが、人間の関心の方向の狭さを思い知らされる。彼女も毛皮のコートの出どころも知っているし、塀の向こうで何が行われているかも知っている。しかし関心を見せないというよりそれが当然と思っている節がある。彼女の実像がどうなのかは調べても分からなかったが、ナチスの掲げる選民思想を一番受け入れている様に見える。演じているサンドラ・ヒュラーは「落下の解剖学」での演技が記憶に新しいところで、本作でも強大な権力を持つ平凡な主婦を熱演している。

彼女が目立ちすぎるが、ヘスの人間性の描写の興味深いものがある。良き家庭人であり優しい夫で父親。てきぱきと仕事をこなせ、囚人の死体を効率よく焼却するという、鬼畜の所業も淡々とやれる能吏。自分で何か率先してやるというよりも、与えられた仕事はやれる中間管理職。新たな赴任先で散歩している婦人の犬をかわいがり、連れている婦人とも愛想よく応対できる社交性。その一方で、女の囚人と不倫し復帰が決まるといそいそと妻に電話して知らせるという人間臭さを感じさせる面もある。演じているクリスティアン・フリーデルはドイツの俳優で、劇中のヘスとほぼ同年代。極悪非道な平凡な男を好演していた。ヘスの独特の、周囲を刈り上げた髪型も忠実に再現している。

ちなみに酷似した名前のナチスの要人がいるが、全くの別人で血縁もない赤の他人。

向かって右から2番目がヘス。なかなか再現度が高く、コスプレ感もない

 

なお、劇中度々モノクロ画面で、収容所のリンゴを置く少女が描かれているが、彼女はグレイザーが調査中に出会ったアレクサンドリアという女性。当時12歳だった彼女は既にポーランドのレジスタンスで、飢餓に苦しむ囚人のためにリンゴを置くため収容所まで自転車で通っていた。アレクサンドリアはグレイザーにその件を話した後まもなく亡くなったが、その事にインスパイアされ映画に登場押させた。なお、映画で使われている自転車も衣装も、実際に子供の頃のアレクサンドリアの持ち物が使われている。ちなみに彼女を演じているのはジュリア・ポラチェク。

転勤に動揺しヘスを追いかけるが、背後の建物に全く関心が行っていない

 

映画は、ヘスが再びアウシュビッツ所長として返り咲くところで終わり、戦後の彼らの運命について描かれないが、ラストカットの直前に現代のアウシュビッツの様子が挿入されるが、悍ましい展示物の前で淡々と掃除をする作業員たち。そして急にカットはヘスに戻りラストを迎えるが、あれが示しているのはヘス一家だけでなく今の我々の関心の狭さを示しているように思える。

ブチャ大虐殺が世界を震撼させたのは2022年と2年前でしかないが、もうみんな忘れているのではないだろうか。今、こうしているうちにもロシア占領下のウクライナで、もっとひどい事が起きていないと言い切れるだろうか。あるいは、ガザでは今でもイスラエルによる、ハマスでもなんでもない一般のパレスチナ人への攻撃が続いている。これらの事が報道されることはまれになっている。「それは外国の事だ」と言われるなら、能登半島の事はどうだろう?金沢に行った時、被災地までは行けなかったが、半島の付け根の七尾の道の駅能登食祭市場はようやく5月18日から土日休日に限っての仮営業が始まっている程度。政府を攻撃するネタが無くなったら、ネットでも騒ぐ人は激減してしまった。

人間というのは見たいものしか見ようとしないし、聞きたい事しか聞こうとしない。ネットで溢れる様々な情報はガセが多いが、それを何度指摘しても同じ情報で釣られて陰謀論の深渕にはまり込んでしまう人は多い。人間が持つ関心の範囲とは狭いものなのかもしれない。