タイトル マッドマックス 怒りのデス・ロード

公開年

2015年

監督

ジョージ・ミラー

脚本

ジョージ・ミラー ブレンダン・マッカーシー ニコ・ラザウリス

主演

トム・ハーディ

制作国

オーストラリア アメリカ

 

かつて世界中で大ブームを巻き起こした、荒廃した近未来を舞台に妻子を殺された男マックスの復讐劇を描いた「マッドマックス」のシリーズ第4作目となる。85年の「マッドマックス サンダードーム」以来30年ぶりの新作となり、監督・脚本は過去3作同様に公開当時70歳のジョージ・ミラーが担当した。

リメイクではなくシリーズ第4弾で、前シリーズで登場したマックスと同一人物。本作でマックスが度々少女のフラッシュバックを見るのは、前日譚コミック「Mad Max Fury Road Mad Max」での出来事となっている。彼女はグローリーと呼ばれ、バザードという盗賊団に誘拐されていたのは母親の依頼でマックスが救出。無事母と再会するが、マックスと別れた直後にバザードたちに轢き殺され、その亡骸はマックスが埋葬する事になる。その事でマックスのトラウマとなっている。日本語版は出た事になっているが、調べた範囲で見つける事は出来なかった。

撮影はオリジナル第1作と第2作の撮影が行われた、オーストラリアのブロークンヒルの予定だったが、撮影準備期間中に大雨に見舞われ、荒涼とした大地に花が咲き誇るという事態に。結局、アフリカ・ナミビアのナミブ砂漠をロケ地として、2012年7月から撮影が始まった。

本作のヒロイン、というより主人公と言っていいフュリオサは人気が出て、2024年に彼女の若き日を描いたスピンオフ作品が公開される。

元警官のマックスはウェイストランドで、かつて救えなかったグローリーらの幻影に悩まされていたが、イモータン・ジョーを首領とした好戦的な集団の襲撃を受けの彼らの拠点、シタデルに連行さる。ここでのマックスの状況は、環境汚染からの疾病を患う住人に供血枯れるため相手と常時繋がれている。

潤沢な地下水に恵まれ農作物栽培がおこなわれ、それらを牛耳るジョーは絶大な権力を持ちここを支配していた。ウィー・リグに乗りガスタウンへと向かう取引当日フュリオサは、突然コースを離れた事からガスタウンの人喰い男爵一味の襲撃を受ける。フェリオサの巧みな操縦と戦闘術で次々と返り討ちにするが、事情がよくわからないウォーボーイズたちは倒されていく。実はフュリオサはジョー一族が出産させることを目的として監禁していた5人の妻・ワイブズ達を連れ出し、自分が育った緑の地に脱出させようとしていたのだ。

その事に気が付いたジョーは配下のウォーボーイズ達を引き連れ、友好関係にある人食い男爵と武器将軍の勢力を援軍に追走を開始する。その際マックスはニュークスの血液袋として追尾車両に鎖で繋がれ否応もなく戦いの中に身を投じる事になる。そうした中、砂嵐に遭遇し拘束を解くことができたマックスは、フュリオサ達を制圧する事に成功。一人で逃げようとするが、ウォー・リグはフュリオサ仕様に改造されすぐ動かなくなり、結局は同乗する事になる。一方ニュークスはウォー・リグに忍び込んでいたが、ジョーのお気に入りの妻が死亡してしまったことで戻れなくなり、彼に気が付いたケイパブルに諭され仲間になる。ジョー達の激しい追撃をかわして逃走を続けた結果、フェリオサはかつての仲間である鉄馬の女たちと再会。喜んだのもつかの間、土壌汚染の進行で緑の地は既に失われていた。彼女たちは荷物を積み、行けるところまで行くことにするが、マックスはシタデルに戻りそこを乗っ取ることを提案する。しかしそれは、ジョーとの全面対決を意味していた。

スピンオフコミックでフュリオサはジョーのワイブズになるはずが、不妊だったので捨てられたという過去が設定されていた

 

「マッドマックス・シリーズ」の新作の構想は浮かんでは消え状態だったが、2000年に入ったあたりからにわかに動き出すことになる。当初、主演はメル・ギブソンの予定だったがその後も紆余曲折を経た事からメルの興味が薄れ、今度はヒース・レジャーが候補に挙がったりとここでも紆余曲折を経た末に、結局トム・ハーディに落ち着くことになったが、映画を見ると正直誰でも良かった気がする。なぜなら、本作の主役はマックスではなくフュリオサだからだ。

フュリオサを演じたシャーリーズ・セロンでマックスは、中盤までは添え物感が強い。後半に差し掛かり、イモータン・ジョーの砦に向かいところでようやく本格的な活躍が始まる。彼女のこの役への気合の入り方は半端なく丸刈りにしたうえに、ほぼノーメイクで登場する。もっとも、デザインを担当した「KILL BILL」のアニメパートを担当した前田真宏の初期デザインだと、フェリオサは赤毛だったというので、それはそれで見て見たかった気がする。

ジョーのワイブズ達の扱いなどに、今流行りの家父長制批判が見られるし、フュリオサの元仲間たちもすべて年老いた老婆であることなど、かなりフェミニズムを意識した構成になっているが、見ているとあまり気にならない。描き方が上手い事もあるだろうが、映画そのものが面白い事が一番大きいと思う。前半、中盤、後半とそれぞれ見せ場が用意され、アクションシーンも派手で外連味たっぷり。そして敵のジョーも魅力たっぷりとくれば、面白くないはずはない。フェミニズムや多様性を訴える映画は、それに注力しすぎて肝心のストーリーが全然面白くないのだ。フェミニズムを訴えつつも、「バービー」や「哀れなるものたち」はストーリーと登場人物たちが面白く魅力的だったので、面白かったし大ヒットした(もっともこの両作とも、単純なフェミニズム礼賛映画になっていないところも大きいと思うが)。映画は面白くで当たり前。儲かってナンボ。

以前紹介した「胸騒ぎ」も世間一般では好まれないだろうが、胸糞映画が好きな人には確実に刺さる映画で、ちゃんと興行を考えて作っている。何か映画を通して主張したい事があれば、面白いシナリオを作った上で含ませればいいのだが、最近は主張が前面に出過ぎて、面白くするという試みが手薄になっている事が多い。その結果はご存じの通りで、昨年ハリウッド大作が軒並みコケてしまうという惨状となっている。これらすべてに共通しているのは、「面白くする」ことにあまり注力していない事がある。どれだけ立派な事を描いても、誰も見なければ全く意味がない。観客が見たいのは面白い映画であって、立派な事を言っている映画ではない。